「100円ショップで買い物がしたい」知的障害の息子、鬱病の夫、脳梗塞の母をケアする女性の唯一の夢

下記の記事はプレジデントオンラインからの借用(コピー)です

24年前、最重度知的障害・自閉症の息子を出産した
結局出産の1週間前まで働いていた清水さんだったが、5月に破水が起こり、産院へ行くと、看護師に「これは(普通の)破水じゃないよ」と言われて帰宅。翌日も破水があり、産院へ行くと、主治医に「何でもっと早く来なかったの? 生まれても、知的障害とか、肺炎とか、髄膜炎とかが出るかもしれないよ?」と言われ、分娩室へ向かいながら、内心大パニックになった。
「知的障害とか自閉症は、脳に明確な異常が見られるわけではなく、産後しばらくは違いがわかりません。しかし成長するにつれて、他の子との差が明確に現れてきて、『うちの子は何でこんなこともできないの?』と思うことが多くなっていきました」
息子は、抱っこしてもおんぶしてものけ反るため、おんぶ紐をすり抜けて落ちてしまいそうで怖かった清水さんは、常にぎゅっと強く抱っこしていた。
また、話しかけても、名前を呼んでも相手の顔を見ようとしない。絵本を見せても、「犬はどれ?」と訊ねても、興味を示さず、ただ大泣きするだけ。
1歳半検診のとき、まだ言葉が出なかった息子は、小児科へかかるようすすめられる。ところが、脳波を調べたり、CTを撮ったりしても異常は見られず、「3歳にならないと診断はできないので、それまでは成長過程を見守りましょう」と医師に言われた。
「当時(1990年代後半)は手元にパソコンもスマホもなく、医師からも役所の保健師さんからもお母さん友だちからも、みんな母親の私に気を遣ってか、『どこも悪くないよ』『普通だよ』と言われてきましたが、それが辛かった。私も夫も『おかしい』と思っているのに、何がおかしいのかはわからず、誰も教えてくれず、ずっと悶々としているのが地獄のように苦しかったです」
銀行員の夫は朝早くに出勤し、夜遅くまで帰ってこない。清水さんは、朝から晩までグズグズな息子に振り回されてクタクタになっており、夫が帰宅する頃にはぐったり。部屋の中は、息子が暴れて壊したり、食事をこぼしたりしたあと、清水さんが疲れ果てて、片付けられずにそのままになっていることもしばしばだった。
そんな中、息子が2歳になった頃、清水さんは大量に下血。夫の運転で病院を受診すると、大腸からの出血と分かり、大学病院に入院することに。医師から原因はストレスだと言われ、入院中は車で2時間くらいのところにある、清水さんの実家に息子を預けた。
やがて、3歳が目前に迫る頃、児童相談所を訪れると、息子をひと目見た児童相談所の所長が言った。
「お母さん、この子は自閉症ですね」
それを聞いた瞬間、清水さんは所長の手を握り、「やっと言ってくれました! ありがとう!」と固く握手をしていた。3歳になったとき、ついた診断名は、「知的障害を含む自閉症」。知的障害のレベルは最重度で、言葉が出ず、人とコミュニケーションが取れず、こだわりが強いという特徴があった。
最重度知的障害・自閉症の息子の子育て
息子が3歳で通園施設に通い出すと、清水さんは、「大好きな100円ショップでゆっくり買い物がしたい」という夢を叶えようと実行に移した。
息子は数秒もじっとしていてくれないため、商品をゆっくり見られないだけでなく、レジでお会計するにも、大暴れする息子を取り押さえながら財布を出して、やっと購入できるという感じだったのだ。
ワクワクしながら店に入ると、清水さんは涙が溢れてきた。
「息子が生まれてから、1人でこんなにゆっくり買い物ができる日が来るとは、想像する余裕さえありませんでした。通園施設のありがたさを噛み締めつつも、息子が障害児という現実は重く、涙が止まらなくなりながらも、他のお客さんに気が付かれないように、存分に買物を楽しみました」
息子は小学校に入学する年に、養護学校に入った。
清水さんは、息子が居ない間に家事や買物を済ませる。息子は目を離すと何をし始めるか分からず、言葉で注意しても通じないため、危ないものから遠ざけ、安全な環境を作ったうえで、気の済むまでやらせるしかない。些細なことで機嫌が悪くなると、物を投げたり壊したり、清水さんに掴みかかってきたりすることもあった。
息子が中学生になった夏休み。ずっと家の中にいると息子が機嫌を悪くなるため、買物にでも行こうかと車に乗ったとき、ルームミラーに写った自分の顔に一瞬目が止まる。口が異様に曲がっていたのだ。「あれ? なんでだろ。嫌だな、変な癖がついちゃったかな」。そのときは特に気にもとめず、そのまま出かけた。
しかし夜になると、だんだん不安になってくる。顔の右側だけ下がってきて、右目は瞬きができない。口の右端が半開きのまま閉じないため、飲み物を飲んでもこぼしてしまう。
深夜に帰宅した夫に「絶対おかしいよ。病院に行きなよ」と心配され、「脳が原因だったらどうしよう?」と動揺する。
翌朝、行きつけの内科に電話したところ、「ああ、それは耳鼻科なので、耳鼻科で相談してみてください」と言われ、近所の耳鼻科へ行くと、「入院ですね」と言って大学病院への紹介状を書かれた。
「耳の中の神経がストレスで壊れてしまったらしく、表情が動かせなくなっていたようです。治療は、強いステロイドを大量に点滴で投与し、監視が必要になるため、入院しないといけませんでした」
入院中は、車で1時間半ほどのところで一人暮らしをしている義母が来て、息子や夫の世話をしてくれた。
「息子は中学生くらいまでは、常にイライラしている感じでした。気に入らないことがあるとパニック状態になり、地団駄を踏んで、窓ガラスをバンバン叩いて怒っていました。一番ひどかったのは、15歳の時です。虫歯の治療の後、麻酔が切れて痛みが出てきたせいでパニックになり、テーブルやテレビなど、リビング・ダイニングにあるものをほとんどなぎ倒して暴れました。私は身の危険を感じて外に避難し、そろそろ落ち着いたかなと思って玄関を開けると、息子が血まみれで立っていました」
息子は、割ったガラスのコップで手を切り、その手であちこち触ったため、家の中はまるで殺人事件現場のよう。冷蔵庫の引き出しの手をかけるくぼみには、血が数ミリ溜まっていた。
清水さんは真っ青になり、すぐさま夫に電話する。仕事中だったが、電話に出た夫は救急車を呼ぶよう言った。
救急車が到着すると、清水さんは事情を説明。救急隊員は血だらけの息子を見て、「最近子どもの虐待が多いため、決まりなので、念のため家の中を見せてもらいますね」と言って家の中を確認。血のついたコップを発見し、「このコップですね」と言い、テキパキと応急処置をした。
病院に到着すると、息子は暴れて傷口を縫えないため、包帯を巻かれて終了。仕事帰りの夫と落ち合い、3人でタクシーに乗って帰ると、大惨事の後片付けをした。
夫が適応障害から鬱に
清水さんの義父は、40代でベーチェット病を発症。ベーチェット病とは、口腔粘膜のアフタ性潰瘍、外陰部潰瘍、皮膚症状、眼症状の4つの症状を主症状とする慢性再発性の全身性炎症性疾患で、難病に指定されている。発症以降、闘病を続けてきたが、70代に入ってから急激に悪化。

清水さんは障害を持つ息子を抱えながら、義父の病院への送迎や病院手続きなどをする義母をサポートした。夫には姉がいるが、関西に住んでいるため、あてにできない。
息子が中学生に上がる頃(2010年頃)、義父は肺がんを併発し、帰らぬ人となった(享年78歳)。
その頃から清水さん(当時36歳)は入浴中、発作的に強い不安に襲われることが増える。
「ふと、息子と自分の将来について考えると、強い不安に襲われて、まるで今現在、自分が死んだような気持ちになり、息子を1人にしてしまう恐怖感で耐えられなくなりました」
しばらくして夫(当時43歳)が転勤になり、上司からパワハラを受け始めた。夫はストレスから精神のバランスを崩し、心療内科に通い始める。幸い夫の味方は多く、深刻な状況にはならなかったが、主治医に夫が清水さんのことを話したところ、「奥さんのほうが心配だから連れて来てください」と言われた。
清水さんは気が進まなかったが、障害の程度を判定する障害者区分認定を受けるために、息子を心療内科に連れて行く必要があったため、ついでに自分も受診。清水さん自身は自覚がなかったが、医師は清水さんの不眠を見抜き、睡眠導入剤抗不安薬を処方した。
ところが、息子の養護学校卒業が迫ると、清水さんは再び強い不安に襲われ始めた。
養護学校は、子どもも親も同じ境遇の人ばかりで居心地が良く、ふと、『もうすぐ卒業か、せっかくできたお母さん友だちとの交流も減るだろうな』と思ったら、急に恐怖心が湧いてきたのです」
そこで清水さんは、「働きに行こう! 新しいコミュニティができるし、お給料ももらえて、お客さんの役に立つこともできる!」と思い立つ。清水さんは週3~4日、大好きな100円ショップでパートとして働き始めた。
「息子や夫の世話をしても感謝されませんが、お客さんからは喜んでもらえます。仕事に行くと気持ちがシャキっとするので、私にとってはすごくいい気分転換になりました」
しかし2017年。再び夫(当時51歳)が転勤になり、新しい上司からパワハラを受け始める。前支店では味方が多かったが、今回はほぼ全員が上司側につき、夫は苦しんだ。それでも夫は半年ほど頑張っていたが、適応障害鬱病の診断書が出されると、夫は問題の上司に診断書を提出し、1年間の休職に入った。
そして2018年末。会社から今後の選択肢を提示され、夫は退職を選んだ。
父親が突然死、母親が言語障害
悪いことは重なるもので、同じ年、清水さんの父親が体調を崩し、病院を受診すると、心臓が悪いことが発覚。専門の医師に診てもらう段取りをしていたところ、入浴中に急死していた。74歳だった。
「父はお酒が大好きな人でした。それでも晩年の数年間は、自発的にお酒をやめてくれていたのですが、体調が悪化したあたりには、こっそりお酒を飲んでいたようです。心臓が悪いのにお酒を飲んでお風呂に入り、一度救急車のお世話になっているにもかかわらず、また同じことをやり、今度は亡くなってしまいました」
当時、67歳だった母親は、まだフルタイムでバリバリ働いていた。夜、仕事から帰宅して父親の姿がないことに気付き、家中を探し回ったところ、浴室で発見した。
母親から電話を受けた清水さんは、何となく嫌な予感がしていたという。実家に着くと、救急車ではなくパトカーが停まっていることに気付き、「やっぱり……」と思った。自宅での急死だったため、家族への事情聴取や遺体の検視が行われた。
そんな最中、ふと母親に話しかけると、反応がない。座ったまま固まったようになり、言葉が出ない。ちょうど到着した葬儀社の担当者も異変に気付き、救急車を呼ぶことに。
「病院に着いたとき母は、人が変わったように暴れ、『もう死んだっていいんだ~!』と叫び、手がつけられない状態になっていました。普段はこんな人ではないので驚きました。後で知ったのですが、脳梗塞の急性期に出る症状の一種だったそうです」
MRIを撮ったところ、脳梗塞によって言語領域が損傷を受けていることがわかり、急遽大学病院へ転院となった。だが、翌日に父親の通夜・葬儀を控えている清水さんは、一人っ子のため、他に頼れるきょうだいはいない。
翌日、母親の付添は母方の叔母に頼み、自分は喪主を務めた。導師が息子を気にかけ、大きな音を鳴らさないようにお経を上げてくれたため、息子は奇跡的に葬儀に参列できた。
それからは、毎朝息子を送り出してから実家へ向かい、少し実家を片付け、父親が兼業農家だったため、少し農作業をやり、母親の病院を見舞い、着替えなどを交換し、施設から戻った息子のことは夫に任せ、清水さんは22時頃帰宅する……という日々を過ごす。
1カ月後、母親はリハビリ病院への転院が決まった。
母親は運動能力には問題はなかったが、脳梗塞の後遺症で以前のようには言葉が出ず、出ても「窓開けるね」と言いながら閉めるなど、行動と反対の言葉を言うようになってしまっていた。
「医師から『もう1人暮らしは難しいよ』と言われ、何よりも母自身が、父が亡くなった家で一人暮らしをすることができなくなってしまったので、私の家へ呼び寄せ、同居することに決めました」
母親は、浴室で亡くなった夫を見つけたときの記憶が、トラウマになってしまったのだ。
自閉症の息子と鬱病の夫、体が不自由な実母・義母との5人同居生活
2020年1月。9年前に夫を亡くして以降、一人暮らしを満喫していた89歳の義母が庭先で転び、肩を骨折。肩にボルトを入れる手術を受けるため、入院することになる。
生活が不自由になった義母は、手術前と手術後の合計半年間、関東地方在住の清水陽子さん(仮名・46歳・既婚)の家で同居することになった。4LDKの自宅内には、最重度知的障害・自閉症の息子(22歳)と、その介護を一手に引き受ける清水さん、上司によるパワハラ鬱病になり休職中の夫(52歳)の3人家族、さらに清水さんの母親(69歳・脳梗塞の後遺症で言語障害)、そして義母という5人の同居生活が始まったのだ。
清水さんは炊事・洗濯だけでなく、「息子には恥ずかしくて頼めない」という義母の背中を毎晩流し、頭を洗ってあげるなど、献身的に介助した。
幸い嫁姑仲は良く、義母は、自分が入院しても見舞いにも来ず、お盆とお正月くらいしか顔を見せない娘(清水さんの義理の妹)のことを「あの娘はダメね」と、不満をこぼした。母親と義母も、ちょうど20歳の年齢差があるためか、お互い好意的だった。
コロナの第1波も去った7月になると、義母の肩は完治し、自分の家に帰宅。再び母親と夫と息子、4人での暮らしに戻り、一息ついたのもつかの間、義理の母は鬱病を患ってしまう。月に2回、心療内科への通院が必要になり、退職した夫が様子を見がてら連れて行くようになった。
コロナ第3波が始まった11月、母の認知機能が急激に低下した
第3波が始まった11月。さらに追い打ちをかけるような出来事が起こる。
母親が「お腹が痛い」と訴え始めたのだ。清水さんは心配し、母親と同じ部屋で眠っていたが、夜中に何度も起こされ、早朝に嘔吐で目が覚めた。
「これはまずい」と思った清水さんは、息子を施設に預けると、母親を連れて病院へ。母親は脾臓が腫れて、炎症を起こしていた。血液検査の結果も良くないため、そのまま入院に。医師には、「2週間ほどで退院できる」と言われたが、その3日後、突然母親の意識がなくなり、別の病院へ転送。さまざまな検査をしたが異常は認められず、夜には元の病院へ戻った。
医師によると、症状は安定したが、認知機能の急激な低下が見られているとのこと。現在も予断を許さない状況だ。
子育てと複数人の介護を同時に担当する辛さ……
清水さんの息子は22歳になった。現在も、朝晩の歯磨きと入浴は清水さんが全介助し、食事と服の着替えは一応自分でできるが、食事は手づかみで、服は前後ろや裏表になっていることが多い。
「息子は今でも大きな建物に入るのが嫌で、入ると大絶叫します。食べられるものがすごく限られていて、好きなものでもパッケージや味がリニューアルすると、途端に食べなくなってしまいます。睡眠もまとまらず、夜中や早朝に起きてしまうこともしばしばです」
息子は現在、障害者福祉施設に通っている。軽度の障害者は簡単な作業を行うが、障害が重い息子は作業量が少なく、主にレクリエーションをしてお昼ご飯を食べ、掃除をして帰ってくる。
機嫌よく通ってくれる間はいいが、夏に大好きな水遊びが中止になると、機嫌が悪くなり、2カ月ほど通ってくれなかった。
一方、夫は回復傾向とはいえ、うつ病心療内科に通院を継続。現在は国家資格取得を目指して勉強中だ。
「息子が小さかった頃、夫は仕事で朝から晩までいなくて基本私のワンオペ。肉体的にも精神的に参っていた私は、夫を気遣うこともできず、会話もありませんでした。障害のある子の親御さんは離婚率が高いのですが、うちはよく離婚しなかったなと思います」
お笑いコンビU字工事の漫才…私が笑うと、息子の精神も安定
養護学校でできたママ友とは、現在も、同じ悩みを共有してきた戦友のような仲だ。
「ママ友とよく、『私が倒れたらどうなるんだろう?』っていう話をしているんです。みんな、障害のある子どもに頼れないことはわかっているので、『最悪みんなで一緒に住まない?』って話してます」
睡眠障害や軽い鬱を患っているとはいえ、清水さんから感じられる明るさやおおらかさは、長い間苦労や不安を経験し、その時々に自分で考え、解決や納得をしてきたからこそ得られた賜物のように思う。
「息子はテレビがついているとすぐに消してしまうのですが、15~16年ほど前に偶然お笑いコンビ・U字工事の漫才を見て笑ったところ、息子もつられて笑い、それからはお笑い番組は見るようになりました。私が笑うと息子も笑い、息子の精神も安定しました。彼らには感謝しています。当時は笑うことを忘れるほど辛かったけれど、今は、めったにできない経験をしてきたからこそ、ちょっとやそっとじゃ動じない落ち着きや、人間としての深みが得られたのかなと思えるようになりました」
そんな清水さんの癒やしは、息子が7歳のときに持ち帰ってきた金魚から始まった、淡水魚と海水魚の飼育だ。水換えが大変だが、やり終えると気持ちがスカッとするという。
「今は、気になることがあったらインターネットで調べることができますが、私が息子を生んだときは、まだパソコンもスマホも普及していませんでした。最近、『うちの息子の小さい頃の話を書いたら、今のお母さんたちの助けになるのでは?』と思い、ブログを始めました。私のように育児で悩んでいるお母さんがいたら、『大丈夫よ』と声をかけてあげたくて……。徐々に療育制度が整いつつあるので、お子さんに必要とされる分野の療育を、躊躇せず、1日も早く受けさせることが大切だと思います」
これから息子と夫、2人の母親の4人の介護をすることに
一人っ子の清水さんは、確実に母親の介護をすることになる。
すでに89歳の義母も、いつ要介護状態になってもおかしくはない。夫の姉はあてにならず、清水さんが介護をする可能性は高い。
しかし清水さんには、最重度知的障害の息子がいる。子育てと介護でダブルケアだが、実際はたった1人で息子と2人の母親、夫も入れれば4人の世話をすることになる。
集中する負担を、少しでも軽減することはできないだろうか。
2018年にソニー生命保険株式会社が実施した「ダブルケアに関する調査」によると、全国の大学生以下の子どもを持つ30歳~55歳の男女1万7049人に、“子育て”と“親(または義親)の介護”が同時期に発生する状況である「ダブルケア」について聞いたところ、全体で約3割の人がダブルケアを経験していた。
ダブルケア経験率は年齢が上がるにつれて高くなり、50代女性では約4割以上が経験していた。さらに、ダブルケアに対する備えとして行っている(いた)ことを聞いたところ、「特になし」が4割近く。「ダブルケアに対する備えとして行っておいたほうが良かったと思うこと」の1位は、「ダブルケアの分担について親族と話し合う」だった。
多くの人が、ダブルケアに対する備えをしないまま、ダブルケアを経験することになってしまっていることが伺える。
また、ダブルケアのキーパーソン205人に、キーパーソンとなった理由を聞いたところ、男性は約6割が「自身の希望で主に関わりたい(関わりたかった)」と回答しているのに対し、女性は「自分以外に主に(介護)できる人がいない(いなかった)」が6割強と、「自身の希望で主に関わりたい(関わりたかった)」の4割強を上まわる結果となった。
多くの人が準備期間なしでダブルケアに突入する
加えて、同調査では、ダブルケアラーの8割近くが「公的介護サービスは不十分」、7割強が「公的子育て支援は不十分」と回答。ダブルケアラーの多くが、介護施設や保育施設の入所基準にダブルケア加点をするなど、ダブルケア世帯に配慮した介護施設入所基準にすることや、介護も育児もあわせて相談できる行政窓口の設置、ダブルケア経験者が地域で直接相談にのってくれる場、ダブルケア当事者が地域でつながる場を望んでいることが明確になった。
清水さんも、ダブルケアに対する備えなどする間もなく、ダブルケアをキーパーソンとして経験することになってしまった。もちろん、ダブルケアの分担について親族と話し合う暇などなかった。
今でこそ息子の養護学校時代のママ友がいるため、孤独感や不安感を抱えることは少くなったが、ダブルケアについて話せる相手はなかなかいない。
清水さんには、「難しいかもしれないが、優先順位をつけて、何よりも自分を大切にしてほしい」と伝えずにはいられなかった。