izumiwakuhito’s blog

あなたでしたらどう思いますか?

「死について考えない」日本人を待つ壮絶な最期

下記の記事は東洋経済オンラインからの借用(コピー)です

終末期、緩和ケア、尊厳のある死に方……「死」をどう迎えるかをテーマに、メディアやニュースで語られるのを耳にする機会は増えた。新型コロナウイルス感染拡大はとまらず、自らがどんな最期を迎えるのか、想像してしまうという人も多いかもしれない。死をどう捉えるかは人それぞれだが、おそらく誰でも死を前にした苦痛を思えば恐ろしくなるだろう。
兵庫県尼崎市で、30年以上にわたり在宅医療に関わってきた長尾和宏氏が、2016年に刊行した『痛くない死に方』が、高橋伴明監督・柄本佑主演で2021年2月、実写映画として公開される。映画に描かれているように、いざ「その時」がきたとき、私たちははたして「痛くない死に方」を選択することができるのだろうか。原作者の長尾氏に話を聞いた。
「死について語るのはタブー」とする傾向強い
──映画に登場する、奥田瑛二さん演じる在宅医は、長尾さんがモデルになっているとのこと。長尾さんはすでに10年以上前から、末期がんや認知症の患者さんが病院ではなく、在宅で穏やかに最期の日々を過ごすことの意味を訴えられていました。この10年でいわゆる終末期の過ごし方への人々の考え方は変わりましたか。
残念ながらほとんど変わりませんね。最近になって「終活」といった言葉がメディアで扱われますが、それでも「死について語るのはタブー」とする傾向は強い。
『痛くない死に方』 (c)「痛くない死に方」製作委員会
海外の多くの国では、死は避けられないものとして受け入れていく考えの下地がありますが、日本人にとって死は穢れ、忌み嫌うもの、という意識がまだ残っている。
何より医学においても、患者の死を扱う教育が確立されていません。そういう現状の中、一般の方が、自分たちの死にどう向き合えばいいかを考えろと言われても難しいですよね。さらに、医学が発達して高度な治療が可能になるほどに、自然かつ平穏な死を迎えにくくなってきているという気すらしています。
──医学発達のために平穏死ができないとは。
明らかに終末期に入っていると考えられる患者さんの場合でも、治療をしようと思えばどこまでも医療が介入できる状態にある。例えば「ドクターX」のようなドラマがはやるでしょう。「絶対失敗しない」スーパードクターが人気で、実際に“名医”と呼ばれる医師がメディアで取り上げられて、死にそうな人をある程度よみがえらせてくれることもある。
「医療にかかわればいつまでも生きられる」という治療信仰が強くなっているように感じます。でも、人は誰でも死ぬものです。医療の発達に伴い、「終末期」がどこにあるかが医療者にも見極められなくなってきて、曖昧になってきていることが問題なんです。
「枯れる」ように死ねれば「鎮静」は必ずしも必要ない
──映画の中で、宇崎竜童さん演じる末期の肺肝臓がん患者が登場します。病院で点滴など多くの治療を受けてベッドに縛られるのが嫌で、自ら在宅医療を希望します。病院医療と在宅医療の大きな違いはどこにありますか。
同じ病名であっても、その人の年齢や進行具合によって、また個人の状態によって当然異なりますから、どういった医療がその人にとっていいのか、明確な正解はありません。
長尾和宏(ながお・かずひろ)/
1958年生まれ。香川県出身。1984年に東京医科大学を卒業後、1986年から大阪大学医学部附属病院で診療と研究を行う。1995年に長尾クリニックを開院。1999年に医療法人社団裕和会長尾クリニックに移行し、理事長に就任する。現在、兵庫県尼崎市の長尾クリニックにて多くの看取りを行う。日本慢性期医療協会理事、日本ホスピス在宅ケア研究会理事、日本尊厳死協会副理事長関西支部長、全国在宅療養支援診療所連絡会理事など多くの団体、医学会、大学の理事を務める(撮影:ヒダキトモコ)
しかし、例えば今回の映画で取り上げたような末期がんの人の場合、死に向かうまでにいくつか段階があります。どこで医療の手を緩めていくのか、抗がん剤治療のやめ時はいつかなど、医療者側からもっと意識するべきだと思います。
病院では、最後期まで積極的に治療をしますが、それが本当に患者さんの利益となっているかどうか……。
例えば、本当に末期の方の場合、過度な点滴や栄養剤は不要どころか苦痛を増すだけです。終末期の脱水を許容すると、やせて枯れていきます。脱水を自然なこととみて上手に見守ることができれば、大きな苦痛を伴わずに穏やかな最後期を迎えることはできるんです。そういうことを、私たちの在宅医療チームは日常的に行っています。
──「上手に枯れる」とは? 最近では、モルヒネなどの医療用麻薬を使用しても激しい痛みを取り除けない場合、鎮静薬を使って眠らせた最期を迎える方法もあると聞きます。長尾さんのいう「自然に枯れる」最後期の迎え方と、それとは異なるのですか。
自然に枯れることができれば鎮静はほぼ必要ありません。脱水が自然の麻薬の役割をするのです。しかし、こんな単純な事実は医療界でほとんど知られていません。2020年、私のチームで、在宅で看取った方は140人ほどいらっしゃいましたが、鎮静を行って看取った人はゼロです。しかし、ある大病院では鎮静率が50%を超えるという。もちろん鎮静剤が必要な場面もあるでしょう。しかし、平穏な死を迎えるために脱水さえあれば、鎮静を行う必要はほぼないことがわかっています。
例えば映画でも出てきましたが、末期の肺がん患者さんの場合はとくに、1日500ml以上の点滴をしなければ、せきやたんで苦しむこともなく酸素も必要ありません。
病院では終末期の患者さんにも毎日約2リットルの高カロリー点滴を行うことが普通になされています。でもそうすると、胸水や腹水がたまって苦しくベッドの中で溺れたような状態になる。だから今度は胸水や腹水を抜いたり、酸素吸入、鎮静となる。するとせきやたんが出て眠れない。
その結果、鎮静剤投与のような、本来は必要がないような介入が起きてしまうことがあります。つまり過剰な医療こそが、鎮静をせざるをえない要因になっているのです。
私自身、勤務医だった35年前、同じことを終末期の患者さん全員にしていました。苦しむ患者さんを楽にしたいと思って。でも実際は逆でした。患者さんを苦しめていたのは、がんではなく私自身が指示した点滴でした。枯れていくことを見守り、待つことさえできたら鎮静は必要ないのです。
平穏に死ぬとは何か
──映画では柄本佑さん演じる若い在宅医が、患者を苦しませて死なせてしまうというシーンがありました。家で穏やかに最期を迎えたいという希望が本人や家族にあっても、それがかなわないこともあるということですか。
残念ながら、在宅で看取りを希望しても、必ず穏やかな最期を迎えられるかというとそうではありません。長く在宅医療をやっていらっしゃる先生ならきっと問題ないでしょうが、病院の医療をそのまま在宅に持ち込むことが在宅医療だと思っている医師も最近は増えています。そうすると病院と同じで、すごく苦しんで死にます。
柄本さん演じる若い医師のエピソードは、実話です。東京にお住まいだったある40代の女性から、「長尾先生の平穏死に関する本を読んで、在宅医療なら父親を穏やかに見送れると思って病院から連れて帰ってきたのに、とても苦しみながら死なせてしまった。私が父を殺した。在宅医療なんて選ぶんじゃなかった!」とクレームを受けたのです。
その女性と私が直接お会いして、一体、何がいけなかったのか実際のやりとりを記録したのが、この映画の原作となった『痛い在宅医』という本なのです。
どんな医師に最期を診てもらうかを、元気なうちから考えておければいいですね。在宅医療に関する本や雑誌もたくさん出ています。どんな選択肢があるのか、自分はどんなふうに最期を過ごしたいのか、元気なうちからある程度でも考えておきたいですね。
自分の「最期」のあり方を考える
──患者が「リビングウィル (終末期医療における事前指示書)」を書くというシーンも出てきます。延命治療を含め、どこまで医療を受けるか受けないかについて書面にするというものですが、実際、元気なうちに家族とそういったことを話し合うのは難しい気もします……。
もちろん難しいですよ。私も自分の母親に最後期はどうしたいかと聞いたらひどく怒られましたね。「親に縁起が悪いことを聞くものじゃない!」ってね。
でも、そういう人にこそ、今回の映画を見てほしい。本作はあくまで1つの物語で、みんな同じではありません。でもそれをきっかけにご自身の最期を考えてもらえたら。誰もがリビングウィルを書くべきと言っているわけではなく、あくまでひとつの提案です。
現実は患者さん自身もご家族も日々思いが揺れて、考えも刻々と変わります。また患者と家族と医者の思いはたいていの場合は三者三様なので、すれ違ったり葛藤の連続です。
医師は自分の意見を押し付けるのではなく、その揺れる思いに伴走する存在であるべき。どんな人生を送ってきたか、最期までどんなふうに生きたいかを時間をかけて話し合ってくれる医師を探すことが大切です。映画に描かれている世界は、私のチームの日常なんです。この物語と同じことを、毎日やっている。
──平穏に死ぬということは、最期までその人らしく生きられるかということでもありますね。
そのとおりです。だから平穏死といっても簡単にマニュアル化できるものじゃない。映画で宇崎竜童さんが詠んだ川柳が大きなヒントになるはずです。あの川柳は、実際は、高橋伴明監督がすべて作ったものだけど。あの一句一句をかみしめてほしいですね。
自分の死についても家族の死についても、考えるのが怖い、考えてもしょうがないという人がいるけれど、少しでも考えておけば、その人なりの準備ができるはず。もちろん、どんな病にかかるかも、今日どんな急病が起きるかもわからないですから、完璧な準備などありません。でもこの映画をしっかり見て自分なりに考えておければ、少なくとも「こんなはずじゃなかった」と悔やみながら死ぬことはないでしょう。