izumiwakuhito’s blog

あなたでしたらどう思いますか?

【緩和ケアの医師が伝える】 患者自身が求めなければ助けは受けられない現実があるから、知っておいてほしいこと

下記の記事はダイアモンドオンラインからの借用(コピー)です

『後悔しない死の迎え方』の著者で看護師の後閑愛実さんが、飯塚病院 連携医療・緩和ケア科部長で緩和ケア医の柏木秀行先生に、患者さんの人生に関わる緩和ケア医としての思いについてうかがったお話をお届けします。(この対談は2019年11月に行われたものです)
「過ごしたい場所で過ごす」
という選択肢を届ける
後閑愛実(ごかん・めぐみ)
正看護師
BLS(一次救命処置)及びACLS(二次救命処置)インストラクター
看取りコミュニケーター
看護師だった母親の影響を受け、幼少時より看護師を目指す。2002年、群馬パース看護短期大学卒業、2003年より看護師として病院勤務を開始する。以来、1000人以上の患者と関わり、さまざまな看取りを経験する中で、どうしたら人は幸せな最期を迎えられるようになるのかを日々考えるようになる。看取ってきた患者から学んだことを生かして、「最期まで笑顔で生ききる生き方をサポートしたい」と2013年より看取りコミュニケーション講師として研修や講演活動を始める。また、穏やかな死のために突然死を防ぎたいという思いからBLSインストラクターの資格を取得後、啓発活動も始め、医療従事者を対象としたACLS講習の講師も務める。現在は病院に非常勤の看護師として勤務しながら、研修、講演、執筆などを行っている。著書に『後悔しない死の迎え方』(ダイヤモンド社)がある。
撮影:松島和彦
後閑愛実さん(以下、後閑):柏木先生とは緩和医療学会に参加したときに知り合ったんですよね。ほかにも緩和医療学会で何人もの緩和ケア医の先生にお会いしましたが、緩和ケア医の先生は、優しくて人間性高いというか、話しやすい先生が多いですね。
柏木秀行先生(以下、柏木):まぁ、いろんな人がいますよ。ただ「多様性に寛容であること」が緩和ケアの分野ではすごく大事なんです。いろんな価値観に対して批判したり評価したりするような態度でなくて、「そういう価値観もありますよね」という。
後閑:柏木先生は、どうして緩和ケア医になろうと思われたんですか?
柏木:いくつかあるんですけど、「緩和ケアをやりたい」というより、「過ごしたい場所で過ごせる地域づくりがしたい」。そのためにどうしたらいいかという手段が緩和ケア医になることだったという話です。
後閑:過ごしたい場所で過ごすためにできること。なるほど、その問題点については、地域に受け皿を作るとか、病院がどうなればいいとか、そういうことももちろんあるけれど、家族も結構関係したりしていませんか。
柏木:日本の場合、研究でも在宅に移行できない要因で一番多いのが、家族の介護力ですからね。家族の状況をアセスメントして、可能なサポートとか、少なくとも「過ごしたい場所で過ごす」が選択肢としてあるということを考えるのは大事だと思います。
究極は、患者と家族の問題
後閑:先日、あるがん患者さんが、「自分はがんでそんなに時間が残されてないとわかってる、だからこれからこうしていきたい、こういう準備をしておきたい、という話を家族としようとすると家族に逃げられてしまう」と言っていたんです。これからのことを話したいのに家族が聞いてくれない、だから孤独を感じると。それを聞いていたまわりのがん患者さんが、うちもうちも、といった感じで。
柏木:そういうことはよくあります。僕なりの解釈ですが、家族自身もつらいんだと思うんですよね、家族ケアをすることがまず最初だと思うんです。
ぼくはあまり患者さんをかわいそうだと感じることはないんですが、ぼくが唯一、これはかわいそうだなと思うのが、本人は自分の状況に向き合うし、向き合う力があるのに、そのことを誰も信じてくれない、特に家族が。「いやいや、本人はもう家に帰るのは無理なので」と家族が言うから「本人と話し合ったんですか」と聞いたら、「いや、話し合ってはいないけれどわかるんです」という感じ。多くの患者さんは僕よりも年上で、何十年も過ごされてきた方を赤ちゃんのように扱うようなシーンだけはかわいそうに思ってしまいます。
そういうときは、ワントライはします。「本人がどう感じられているかが大事だから、やっぱり聞いたほうがいいと僕は思いますがいかがですか」「怖いですよね、でもご家族だけで話をしてほしいというわけではなく、ご本人と話し合う時に僕らも参加して一緒に聞けたらいいなと思いますがどうですか」とか。
この辺りというのは、家族自身のつらい状況に対する対処方法や、何十年単位の人間関係だったりもするので、たとえば1週間で亡くなるような状況で、その1週間で全部リカバリーできるかと言ったら医療者に全部ができるわけではないけれど、「1回はトライしてみる」を僕のルールにしています。
柏木秀行(かしわぎ ひでゆき)
飯塚病院 連携医療・緩和ケア科部長・地域包括ケア推進本部副本部長・筑豊地区介護予防支援センター長
1981年生まれ。2007年筑波大医学専門学群を卒後、飯塚病院にて初期研修修了。同院総合診療科を経て、現在は連携医療・緩和ケア科部長として研修医教育、診療、部門の運営に携わる。グロービス経営大学院修了。
後閑:いま入院中のがんの患者さんが「おれは死ぬのか」って家族に言ったんです。そうしたら家族が看護師に「本人に弱気になるようなことを言ったんですか」と怒ってきたんです。「本人がおれは死ぬのかなんて弱気になっているから、そんなこと言わないでって私が否定しておきました。もう弱気になるようなことは言わないでください」と言うんです。正直、患者さんをかわいそうに思ってしまいました。こちらももちろん「もう死ぬよ」なんて言ってはいないんですが、明らかに時間はもうないんです。弱っていく一方だから、本人もわかっているんです。本人は弱音を医療者には言わない。ようやく家族に本音を言えたんだと思うんですけれど、その家族に否定されてしまい、つらいだろうな。
柏木:ぼく社会福祉士の資格を取ったんですが、対人援助のスキルを勉強した時に、支援のあり方を集中的にインプットした時期があって、今の話を聞いて思い出しました。人を支援するってどうするかというトレーニングを医療者自身も受けているわけではないし、家族はなおさらですから、「自分がつらくないように」を優先するんです。
おそらく、自分は死ぬのだろうかと家族に聞いた患者さんも、家族でなければ聞けないなんらかの心情があったのだと思うんです。それに対して、励まさなきゃいけない、ポジティブにしないと病気が悪くなる、あとはその話題に触れたくないから閉じ込めておきたい、とかね。ですが、支援の本質ではないような対応しかできないというのが家族の状況なのでしょう。
「自分の人生を自分で考えられる力」を磨く
柏木:ヘルスリテラシーの話なんですが、緩和ケアに限らず、どういう医療がいいかというのは、結局は医療受益者が何を求めるかによって決まるんです。究極的には患者さんと家族の問題ですから。だからヘルスリテラシーを向上するにはどうすればいいか、なんていうことはよく考えます。
後閑:「ヘルスリテラシー」について、わかりやすく言うと?
柏木:ヘルスリテラシーは、健康面での適切な意思決定に必要な基本的健康情報やサービスを調べて、それを得られて、理解して、効果的に利用できる個人能力。たとえば健康問題とか、人生の最終段階に対して自分で考えられる力。
ぼくらなりにACPがどうとか、この人の価値観はどうかとか考えたり努力したりするじゃないですか。でも、「本来はあなた自身のことだから、自分で事前に考えるべきことだけど、あなたにはできないでしょ。だから我々(医療者)が色々な工夫をしているので従ってください」というような構図に感じてしまう時があります。つまり、今はあまり共同作業的な感じがしないんです。患者さん自身にも「自分はこういうことが大事です」「こういう医療支援を求めています」ということを考えられる能力を向上させることへの意識を高めてほしいですし、我々の支援の方向性も変えていかないといけないかなと感じます。
後閑:どちらかに任せっきりになるのではなく、医療者と患者さんや家族と一緒になって考えていかないといけないですよね。
柏木:ぼくらはそこをアセスメントするんですよ。ヘルスリテラシーの程度とか、伝える情報量だったり伝え方だったり、考えるんだけど、一方で「自分のことなんだから自分で対処できるように能力を磨く」っていう発想自体ないじゃないですか。我々も含めて。だからそこはぜひ取り組めたらなって思いますね。
知識があって行動できる人でないと支援は得られない
後閑:一緒に働いていた看護師が、お母さんが末期のがんでそんなに時間がないとなったときに、3ヵ月取れる介護休業制度を使って、自宅で介護して看取ったんです。当初は余命1ヵ月くらいだろうと思っていたらしいんですね。だから最後は家で看取ろうと。1ヵ月くらいは一緒に過ごし、多少前後することを想定して、その後の葬儀なども含めても3ヵ月もあれば十分だろうと思っていたんです。周りも「わかった、あとのことは任せて」と送り出したんですが、結局1週間で亡くなられてしまい、葬儀などを済ませて1ヵ月で戻ってきました。けれど、「最後の一週間だったけど、一緒にいられてよかった」と言っていて、「仕事がんばりなさいっていつも言っていたから、早く仕事をしてほしくて予想より早く逝ったのかもね」という話をされていました。大切な人だからこそ、時間の長さではなく使い方にこだわってほしいし、そういう制度もあるんだから活用できたらいいなと思います。
柏木:そうですね。いくつかハードルはあって、そもそも制度自体知らなかったり、制度は知っているけれど職場の雰囲気が許さない、また、制度も職場としても活用できるんだけれど、みんなに迷惑をかけるんじゃないかとそれを活用する自分に葛藤がある。よく聞く、ありがちな理由ですね。
何を大事にするかは人それぞれでよく、制度を活用しても活用しなくてもいいけれど、そういう本人が活用できる制度を知らされないというのは権利擁護の観点からよくないと思うんです。だから、職場に対して調整しやすくなるような見通しをお伝えするとかいう、情報提供をしなくていいのかなとか思うことがあります。
後閑:進行がんなら障害年金もらえるとか、そういうことも知らないと、知らないままで終わってしまったりしますよね。
介護保険も40歳過ぎたら勝手にお金は引かれるのに、介護が必要になっても申請しないと制度は使えないですよね。知らないことが悪い、知らない人が損をするというのではなく、自分が知らなくても知っている人が助けてくれるとは思うんです。けれど「助けて」と言わないと助けてはもらえません。
柏木:今の日本のヘルスケアのシステムだと、「知識があって行動できる人じゃないと支援が得られない」というのを医療者はもっと知ってたほうがいいと思います。社会保障制度の中で自分が積み立てているんだから、自分が本当に必要な時に介護サービスを受けるというのは権利の話なので。その権利がちゃんと守られているのかというのをアセスメントするのも専門職の役割だと思います。アセスメントして、「それってもしかしたら活用できる社会保障制度があるかもしれないから、もうちょっと詳しい人に相談しませんか」と言うだけでいいですから。
後閑:確かに自分だけで全部なんとかしようとするんじゃなくて、「それだったらそこに相談するといいよ」とつないでもいいですよね。
柏木:自分のほうから「相談してみていいですか」と聞いてもいいと思います。
一人で立っていることを周りは望んでいない
柏木:ご家族には「本人本位の支援を大事にしてほしい」と思うんです。どうしてもご家族もつらいから自分のつらさを優先してしまうのもわかるんですが、「本人本位で患者中心の医療を提供しようと思ったら、ご家族の協力も必要なんです」と伝えたいっていうのが一番。医療者自身が本人本位でないことも多いのですが、家族が本人本位の支援を阻害する構図もよくあるので、そこを理解してもらいたいなと思いますね。
後閑:患者さんのよき理解者になってあげてほしいですね。つらさを理解してくれる人がいるだけで、本人にとって希望になったり救いになったりするから。
柏木:がん患者さんやその家族だけに対するメッセージではないですけれど、僕は結構大事だと思うのは、自立してるっていうのは依存先がたくさんあることだと思うんです。迷惑をかけたくないとかそういう精神的なつらさは当然なんですが、無理して一人で立ってることを周りもそんなに望んでなかったりするというのは知っていてほしいなと思いますね。
後閑:もっと助けてって言ってほしいし、そうしたら周りも行動しやすいですもんね。
柏木:できないことはできないと誠実に言いますからね。依存先、頼れる先があるということが、自分自身が自分らしく生きるために必要なので、そこを覚えておいてほしいと思います。
まとめ
・「過ごしたい場所で過ごす」という選択を選べるように、家族と話すことを避けない
・「自分の人生を自分で考えられる力」を磨き、どう自分の人生を締め括るかを考えておくこと