izumiwakuhito’s blog

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「お母さんの声は黄緑色」天才作曲家・加藤旭の才能が目覚めた"4歳の出来事"

下記の記事はプレジデントオンラインからの借用(コピー)です

作曲家の加藤旭さんは、脳腫瘍で亡くなる16歳までに約500曲を作り、その実力はプロから「モーツァルト以上」と評された。類まれな彼の才能はいつ、どのようにして目覚めたのか――。
※本稿は、小倉孝保『十六歳のモーツァルト 天才作曲家・加藤旭が遺したもの』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
3歳になる頃にはピアノで遊びはじめる
赤ちゃんのころから加藤旭は音に敏感だった。遊びにも音の出るおもちゃを好んだ。穏やかな音が好きで、テレビ番組でも、「題名のない音楽会」(テレビ朝日系)などで穏やかな音楽が流れると、旭はいつの間にかそれに聴き入っていた。
旭は希に絵本を読んでもらうことも好んだ。2時間でも3時間でも飽きずに聞いている。希自身、絵本を読むのが嫌いではない。よく読んだのは『てぶくろ』という絵本だった。ウクライナの民話でエウゲーニー・M・ラチョフが絵を描いている。
車で彦根に帰省する際、希はこの絵本を読み続けたことがある。車内は暗く、絵は見えない。『てぶくろ』は繰り返しの多い絵本である。音のリズムが良い。旭は絵よりも、希の声を楽しんでいた。希はこう思った。
「延々と読んでいても、この子、全然飽きひんな。絵を見たり、ストーリーを追ったりするよりも、聴くこと自体が心地よいのかもしれへんわ」
自宅リビングにはカワイのアップライトピアノがあった。音に興味を持った旭は3歳になるかならないころから、ピアノで遊びはじめる。希がピアノの前に座ってひざに抱くと、旭は飽きることなく鍵盤をたたいた。希のひざに座るとようやく鍵盤に手が届いた。少し大きくなると旭は、「開けて、開けて」とおねだりした。
希がピアノのふたを開けてやると、彼はピアノの前に立って頭の上に手を上げ、見えないにもかかわらず鍵盤をたたいて遊んだ。その後、ベビーチェアに座って鍵盤に手が届くようになると、一人遊びを始める。
「ピアノを習わせたらどうやろ?」
ピアノを知った旭は赤ん坊が普通、喜ぶような玩具には関心を示さなくなった。何よりもピアノが好きだった。曲を弾くわけではない。強くたたくと強い音が出て、弱く弾くと小さな音が出る。それが楽しいようで、強弱を確認しながら鍵盤をたたき続けている。
ピアノの構造にも興味を持ち、調律師がやって来てピアノの裏を開けると、旭は真剣にその内部をのぞき込んだ。彦根の祖父母宅でも、応接間の古いピアノで遊んでいる。希の母は、孫のそんな姿を見ながらこう言った。
「ピアノを習わせたらどうやろ?」
03年の初めである。旭は3歳。希はまだ早いと思った。子どものころは、おおらかに育てたいと考え、逡巡する希に母はこう言った。
「旭はピアノが好きやで。こんなに好きなんやから、習わせてあげた方がええんと違うかな」
希が「ピアノ、習ってみる?」と聞くと、旭は素直に、「うん」とうなずいた。
知人に紹介してもらったのが、小田原市小田急線栢山《かやま》駅に近いピアノ教室だった。教えるのは小西とも子である。旭は3歳7カ月で小西からピアノを習いはじめる。旭が初めて教室に顔をみせたとき、小西はこんな印象を持った。
「目がくりくりして可愛い子だな。ちょっと人見知りでシャイなところがあるのかな。それにしても人の話をよく聞く子だ」
テキストの曲をどんどんこなしていく
旭は同じ年齢の子に比べて落ち着いていた。ぐずったり、注意力が散漫になったりすることはなかった。いつも小西の話を真剣に聞いている。大きな目をしながら、一言も聞き漏らさないという意志を感じさせるほどじっと話に聞き入った。
小西は教えはじめてすぐ、旭の飲み込みの良さ、習得する能力の高さに驚かされる。とにかくよく家で練習してくる。一つ教えると、それを自分のものにするスピードが他の子よりもずいぶん速い。どんどんテキストは終わっていく。だから旭を教える過程で小西自身、勉強することになる。新しいテキストに入るときは教える側も勉強しなければならない。小西は追い立てられるように、新しいテキストに入っていった。
彼女が子どもたちにピアノを教えはじめたのは、自身が音楽大学に入学した1980年である。ピアノ教室を開いている企業の営業担当者から、「幼稚園でピアノを教えてもらえないか」と依頼されたのが最初だった。これをきっかけに小田原の幼稚園でピアノを教えるようになり、その後自宅で教室を開く。多いときは約60人の生徒を抱え、これまでに教えた子どもは500人を超えている。
旭の才能に気づいた“ある瞬間”
教え子はそれぞれ特徴がありどの子も違った印象を残しているが、中でも旭の印象は強烈だった。とにかく一生懸命学ぼうとしているのが伝わってくる。新しいことを教えると、彼はすぐにそれを吸収した。小さな植物が水や栄養分を摂取するのに似ていた。小西自身、旭を教えるのにやりがいを感じた。性格的にも合ったのだろう。2人の師弟関係は続くことになる。
旭は簡単な曲なら楽譜通りにピアノを弾けるようになり、1年ほどすると楽譜をアレンジして弾くようになっていく。「ここはシャープを付けた方がいいと思うんだ」と言いながら、曲を変えて弾く。有名な曲は楽譜通りに弾くのだが、練習用の曲の場合、しばしばアレンジする。これが作曲への萌芽となる。
旭は五線譜に音符を書くようにもなっている。最初は曲というよりも、音符を使って絵を描いているようなものだった。クレヨンを持って、5本の線を引き、そこに適当に音符を置いていく。そのため希は、旭が作曲をしているとは考えていない。子どもがよくやるお絵かきを、たまたま五線譜や音符を使ってやっていると思っていた。
そして、04年3月26日の昼、希が旭の五線譜ノートをぱらぱらとめくっているときだった。希ははっと、何かに気付かされたような感覚にとらわれた。
「この子、意識して作曲しているのかも」
実際に弾いてみたら…
旭は4歳5カ月。希は「まさか」と思う一方、ひょっとしたらという気持ちもあり、ゆっくりと音符を読んだ。曲には「あめあめふったふった」というタイトルが付いていた。すでに旭はひらがなの読み書きができた。それまで希は旭の音符をピアノで弾いてみようと思ったことはなかった。お絵かきしているだけと思っていたので、弾くことはできないと考えていた。でも、この「あめあめふったふった」は音符の並びが整っていた。希は弾いてみようと思った。すると、旭が言った。
「ファはシャープにしてね」
旭の希望通り「ファ」を半音上げて弾くと、ト長調の曲になった。
──タタタタ・タンタン、タタタタ・タンタン、ターン
雨が降ってきたのを楽しんでいる感じが伝わる曲だった。短くも、可愛いメロディになっている。
「旭が弾いてほしかったのは、今お母さんが弾いたこの曲?」
旭はにこりとしながらうなずいた。希は確信した。
「この子はわかって書いているんや。絵じゃなくて音楽なんや。この子の中に音楽が流れている」
希は旭のノートをめくってみた。2日前に作った曲も整っていた。タイトルは「おかあさんがだいすきおとうさんもだいすき」。恐らく旭が意識して作ったのはこの曲が最初である。
クレヨンで絵を描くように音符を重ねられる
「あめあめふったふった」を作ったのと同じ日、旭は「おうちであそぼう」という曲も作っている。以降、2日後の3月28日に「しゃぼんだまふいた」、翌29日に「ふわふわしゃぼんだま」。翌月になると、「サーカス」「ふしぎなもうふ」「たびをする」「ちょうちょがとんでる」。旭は次々と曲を作っていく。
曲はときにゆったりと流れ、ときにテンポを速めた。暗く寂しい感じの曲も、とびきり明るい曲もあった。身の回りに起こる変化をその都度、音符に変えていった。子どもたちが目に飛び込む景色を、思いのままクレヨンで白紙に描いていくのと同じように、旭は頭に浮かんだことを音符にして書き連ねた。頭の中に流れる音がそのまま旭の右腕から右手に伝わり、五線譜の上で形になっていく。
旭の作曲はこのとき、本格的に始まっている。雨の音、鳥の声、人の会話。とにかく音を聴くと、それが曲になって頭を巡るようだった。
19世紀に活躍した英国の詩人、ジョージ・バイロンも言っている。
「草のそよぎにも、小川のせせらぎにも、耳を傾ければそこに音楽がある」
他の教え子とは違った才能
旭は耳に飛び込む音を五線譜に書き、形にしていった。複数の音が一度に頭に浮かび、それを譜面化することもある。消しゴムは使わず、猛スピードで五線譜に音符を載せていく。頭の中で流れる音楽に手が追いつかず、ある曲を書いている間に、次の曲が浮かぶこともあった。
小倉孝保『十六歳のモーツァルト 天才作曲家・加藤旭が遺したもの』(KADOKAWA
その場合、旭は最初に書いていた曲をあきらめて次の曲を書いた。次々と浮かんでくる曲を追いかけ、捕まえては音符にしていく。取り逃がしたら最後。その曲はもう帰ってこない。
小西も当時、旭の書いた楽譜を見たことがあった。白い紙に音符が並び、曲になっていた。印象に残っているのは、曲に題名がついていることだった。旭は四小節くらいの短い曲を、理論的なことを知らず、ただ素直に書いていた。
子どものころから音符を並べる子はいるが、タイトルまで付けて、自分の思いやイメージを音符に載せることはない。旭の場合、最初に自分の中でイメージを膨らませ、それを表現するために音符を並べていた。
旭はこのころ、「音が色に変換される」とも言っている。救急車のサイレンはオレンジで、怒っていない希の声はやわらかい黄緑色である。希が絵本を読むのを聴きながら、旭の頭の中は黄緑色に染まっていたのだ。(敬称略)

小倉 孝保毎日新聞論説委員