izumiwakuhito’s blog

あなたでしたらどう思いますか?

「あなたが幸せでも私が不幸なら、あなたも不幸なのよ」90歳毒母の狂気と50代娘のヤバい不整脈

下記の記事はプレジデントオンラインからの借用(コピー)です

東北地方に住む50代既婚女性は、高齢で認知症の母親を自宅の近くに呼び寄せて介護した。だが、母親は娘一家が家族で外出し、日が暮れても帰らないと何度も携帯電話を鳴らし、自分が蔑ろにされたと感じると娘の胸ぐらをつかんで激高する。90歳近くになっても子離れできない母を目前にした娘の行き場のない怒り、悲しみとは――(後編/全2回)。
【前編のあらすじ】
関東出身、東北在住の小林都子さん(50代・既婚)の母親の生い立ちは複雑だった。生まれてすぐに実の母が亡くなり、実の父は生まれたばかりの乳飲み子を1人では育てられないと養女に出した。養父母のもとで母親は、子どもの頃からさまざまな我慢を強いられて育ち、やがて親が決めた相手を婿養子に迎える。その婿である父親は小林さんが1歳の頃、交通事故で死亡。未亡人になった母親は、養父母の面倒を見ながら1人で小林さんを育てる。
年老いても異常なまでに娘に執着する母親をしかたなく呼び寄せた
異常なまでに娘に執着する母親のもと、成長した小林さんは、母親が反対する相手と結婚。母親を1人残し、東北へ移住したが、高齢になった母親を心配した小林さんは、自宅近くに母親を呼び寄せた。
小林さんの家の向かいで暮らし始めた母親は、80代になると認知症の症状が顕著になり始めた。
「母は、大事なものは他人には簡単に見つけられない場所に片付けておかないと気が済まない人でした。その結果、しまった場所を忘れて、失くなったと騒ぎます。疑いの目は私や夫に向けられることが多かったのですが、何の根拠もなくまだ中学生の娘を疑われたときはショックでした」
いつも失くしたと大騒ぎするものは通帳や現金で、小林さんたちが探すと見つかった。小林さんは、母親が向かいに引っ越してきたとき、「何かあったときのために合鍵を預かりたい」と言ったが、母親は頑なに渡さなかった。にもかかわらず、「あんたたちが合鍵を使って勝手に私の家に入ったんでしょ!」と疑われた。
「母は、お金に苦労していた時期があったのか、お金にものすごく執着のある人でした。そのせいか、余計なものに大金を使ってしまうとか、誰かに騙し盗られるといったトラブルは全くありませんでしたが、『誰かにお金を盗られるのではないか』という妄想がひどく、他人はもちろん、身内でも疑っている状態でしたので、お金の管理はしばらく母に任せておいたのです」
しかし、あまりに頻繁に通帳やカードを紛失しては、「盗られた!」と大騒ぎし、再発行の手続きに奔走させられるので、小林さんは「安心のために私が預かろうか?」とその度に説得した。
毎日「通帳の記帳内容をコピーして渡してほしい」という85歳の母
そしてようやく85歳になった頃、母親は小林さんに通帳やカードなど一式を預ける。それでも心配らしく、1日に何度も小林さんの家に来ては、一式が小林さんの手元にあるかを確認。毎日のように「通帳の記帳内容をコピーして渡してほしい」と言うため、ずっとそうしてきた。
また、朝になっても雨戸を半分ほどしか開けず、薄暗い部屋で1日中過ごしていることが増えた。小林さんが開けようとすると、「外から人に見られる!」「監視カメラで見張られているから開けないで!」などと不可解なことを言う。
不安になった小林さんは、病院で認知症の検査を受けるように勧めるが、プライドが高い母親は、頑なに拒否。かかりつけの内科に相談して認知症の検査をこっそりしてもらおうとしたところ、激怒された。
そこで、小林さんは包括支援センターへ相談に行ってみる。相談員からは、「介護認定を受けましょう。介護サービスを受けて、娘さんは少しゆっくりされたほうがいいですよ」とアドバイスをされた。
後日、介護認定調査員が母親の家を訪問。調査員は母親と面会した後、「娘さんと少しお話しをさせてください」と言うので、小林さんの自宅で話をしていると、母親から電話がかかってくる。小林さんが無視していると、向かいの家から母親が出てきて、執拗にインターホンを鳴らす。それでも出ないと、母親はリビングへ回り、外から覗いたり、窓ガラスをドンドン叩いたりした。
「多分、自分の悪口でも言われていると思ったのでしょう。母は私の家に友人が来ても、どんな人が来ているのか気になるようで、勤め先や年齢など、プロフィールを聞き出さないと気が済まない人でした。調査員の方も、母の私に対する執着や過干渉に驚き、『これでは娘さんの気が休まらない』と同情されました」
介護認定調査の結果は、要支援2だった。
家族で出かけると、母から「早く帰ってきなさい」と鬼電
母親が引っ越しをして来て以降、小林さんは一家4人でゆっくり外出することができなくなった。外出していて日が暮れてくると、母親から「早く帰って来なさいコール」が鳴り出すためだ。無視しても何度もかかってくるため、携帯電話を前に途方に暮れている小林さんを見かねた娘が代わりに出て、上手くかわしてくれることもしばしば。それでもかわせないときは、「ご近所の方たちはとっくに帰宅しているのに、あなたたちはいつまで出歩いてるの!」と執拗に叱られた。
「母は私に対して『あなたは世間知らずだから、私がそばにいないと……』と繰り返し言いました。とにかく、親の言う通りにする子はとても良い子。反発する子は悪い子で、どうにかして私を自分の思い通りにしたかったのかもしれません。それだけ母は、不安な気持ちが強かったのでしょう」
2017年10月。フルタイムで働いていた小林さんは、88歳になった母親を昼間に1人にしておくことが心配になり、デイサービスの利用を開始。
ようやく精神科で脳と認知症の検査ができ、診断結果はアルツハイマー認知症統合失調症。医師からは、「統合失調症については、かなり前から発症していたかもしれません」と言われた。
母親は、小林さんが丁寧に優しく接すると機嫌が良く、してもらったことに対する「ありがとう」はよく口にした。
しかし、デイサービスに行かせるなど、他人に介護を任せようとすると攻撃的になり、嫌味や文句・悪口を言われるため、小林さんはその度に罪悪感にさいなまれた。
「あなたが幸せでも、私が幸せでないから、あなたも不幸なのよ」
小林さんは、仕事と家事・育児に加え、母親が通帳を紛失する度に金融機関に行ったり、介護の相談で市役所に行ったりと、多忙を極めていた。そこへさらに母親は、突然わがままを言い出して譲らなかったり、きつい言葉を浴びせかけたりしてくる。
小林さんはいつからか、体の不調を感じていた。朝起きると体全体が痛く、一向に良くならない。2018年5月には、職場の健康診断で血圧が高くなり、治療に緊急を要する致死性の不整脈が出たため、急遽精密検査を受けた。しかし結果は「特に問題なし」。
「当時の私はかなりのストレスを蓄積していたと思います。母が、私に対して辛く当たる原因として一番思い当たるのは、結婚に関して私が母の思うようにならなかったことです。母はよく、『あなたが幸せでも、私が幸せでないから、あなたも不幸なのよ』とか、『あなたはひどい娘! 私を一人戸籍にして!』などと言いました。母は育ての親に恩があるため、親の言う通りに生きてきたのに、『あなたは勝手だ!』という思いがあるのでしょう。私が離れていったことで母は不安になり、お金に執着していったのかもしれない。そして、配偶者に早く先立たれた母は、私が夫と幸せそうにしているのが、どこかで気に入らなかったのかもしれません」
娘が幸せにしていることを気に入らない母親がいるとすれば、それは“毒親”に違いない。
にもかかわらず、筆者が取材していると、小林さんからはしばしば自分を責める言葉が口をついて出てくる。これまで30人以上、介護のキーパーソンから話を聞いてきたが、毒親を持つ子どもほど、介護の際に自分を責める傾向が強い。それは、毒親から何かと責められ続け、マインドコントロールされたため「自分が悪い」と思い込まされているのだろう。
行動を咎めると激昂。90歳とは思えない力で娘の胸ぐらを掴んだ
2019年4月。90歳になった母親は要介護2に進んでいた。50代の小林さんは、介護と仕事との両立が難しくなり、フルタイムの仕事を続けることを断念し、パートで働き始めた。
5月、母親は骨粗鬆症による圧迫骨折が発覚し、3カ月入院。
退院後、母親の認知症は急激に悪化していた。夜中に何度も電話をかけてきたり、インターホンを鳴らしたりすることは日常茶飯事になり、小林さんは睡眠不足から不眠症に。また、母親は夜中に家を出て、ブツブツ言いながら家の周りに落ちているゴミを拾ったり、昼間に近所の家に勝手に上がり込んだりなど、周囲に迷惑をかける行動が増える。
夜中に外で物音を立てられては近所迷惑になると思い、母親を家の中に入れ、行動を咎めたところ、突然母親は激昂。胸ぐらを掴み、90歳とは思えない力で左右に振り回してきた。
「私のことがよほど憎らしかったのか。殴りたい気持ちだったのでしょうか……。私が母に手を上げたことはありませんでしたが、このときばかりはとても悲しくなったのを覚えています。私は、『母から逃げ出してしまいたい』『いっそ消えてしまいたい』と思ったことは何度かありますが、辛いと感じた時こそ、母と距離を取り、会話もできるだけ必要最小限にするよう努めていました」
母親の生活は昼夜逆転し、食事や入浴、着替えにまで介助が必要になっていった。
そして11月。この頃、家の真向かいとはいえ、母親の1人暮らしに限界を感じていた小林さんは、介護老人保健施設に入所させることを考え始める。
母親に介護老人保健施設のことを話し、事前にその職員が面会に来ると、なぜか自分の家が売られると思い込み、職員に暴言を吐き、睨みつけるなどして激しく拒否。小林さんは夫と2人で数カ所見学に行き、その中で近くて設備や雰囲気の良い施設に決めた。
母親には、「寒くなってきたけど、火を使うのは危ないし、エアコンはリモコン操作が難しいから、冬場だけでも施設に入ったら安心じゃない?」と伝えたところ、しぶしぶ承諾。
約3カ月後、介護老人保健施設の退所期限が迫ってきた2020年1月に、2年ほど前から申し込んでいたグループホームに空きが出たとの連絡を受け、移った。
92歳になった母親は2021年2月に要介護5となり、特養に入所
小林さんの長男は、県外の大学を卒業。現在は社会人となり、県外でひとり暮らしをしている。長女は現在県外の大学に入学し、下宿中だ。今は2人とも祖母の介護に直接かかわることはできないが、家にいた頃は、施設へ面会にいってくれたり、小林さんの話を聞いてくれたりしていた。
「親と子どもの世話を同時にするダブルケアとはいえ、振り返ると、子どもたちの受験の頃は、母の認知症もそこまでひどくなかったため、乗り越えられたような気がします。ただ、私が子どもたちの受験のほうに意識がいってしまい、母のことにあまり目を向けていなかっただけかもしれませんが……」
自分を蔑ろにすると不機嫌になる母親だったようだが、子どもたち優先でよかったのだと思う。小林さんはずっと母親に対する罪悪感にさいなまれてきたと言うが、ちゃんと正しい優先順位がつけられていたのだ。
「当時は疲れていたし、時間もなかったので、少しでも時間が取れる時は、夫と外出したり、子どもたちと楽しい話をしたり……。やはり夫のサポートと子どもたちの優しい言葉で気持ちが落ち着き、それがパワーになったと思います」
夫は通院の送迎や、買物などをかって出てくれた。
小林さんにとって、フルタイムの仕事をしながら認知症がひどくなった母親の在宅介護をしていた頃が疲労とストレスのピークで、その後、母親が施設に入所してからは、不眠症も完治し、体調は回復。ただ、以前起きた不整脈に関しては命にかかわる問題のため、要経過観察としている。
92歳になった母親は、2021年2月に要介護5となり、特養に入所した。
今度は夫の両親の介護問題が浮上した
「一人っ子の私は、ある意味、他に頼る身内がいないと自分に言い聞かせていたので、介護をする覚悟はできていたと思います。それでも一番つらいと思ったのは、いろいろ自分なりに考えてしてあげたことが、母からしてみればほとんどが恨みつらみになっていたことです。幸いにも同じような立場の方が近くにいたり、ケアマネージャーさんも良い方だったので、話を聞いてもらったり、情報交換をしたりできたので救われましたが、たった1人だったら、ここまで頑張れたかどうかわかりません」
現実の相談相手の他にも、わずかな1人時間にSNSを利用し始めて、同じような境遇の人たちと出会い、悩みを共有し合うことで困難を乗り越えた。
「もともと母と衝突することがたびたびあったので、介護となったときは義務として向き合っていたというのが本音かもしれません。介護が大変な時期は、正直言ってやりがいも喜びも感じることはありませんでしたが、母の症状が進んで寝たきりになり、攻撃性が消えたことで、私も素直な気持ちで接することができるようになりました。今は母が穏やかに微笑んでくれることが、私の喜びでもあります」
小林さんの母親の介護問題はようやく解決の方向に進んでいるが、小林さんが休息できる日はまだ先になりそうだ。なぜなら、今度は夫の両親の介護問題が浮上しているからだ。
今年に入って80歳の義母がくも膜下出血を起こして倒れたが、81歳の義父は救急車の呼び方がわからなかったという。幸い、義母は一命をとりとめ、後遺症も残らず無事退院したが、義実家の近くに住む夫の妹(既婚)や弟(独身)は、義父は明らかに認知症だと言い、誰が介護のキーパーソンになるか揉めている。
「介護経験者として思うことは、これから先、親の介護が必要になるのが分かっているのなら、介護する側が先に情報収集をしたり勉強をしたりしておくこと。介護費用に関しては、やはり万が一の時のことについて、親や兄弟と話し合いを持つべきだと思います」
小林さんの夫は妹や弟と話し合いたいと考え、2人に呼びかけている。
親を介護する際に念頭に置いておいてほしいのが、「優先順位をつけること」だ。親が一番なら迷うことはないが、子どもや仕事などがそれより勝っているのなら、何を差し置いてもそちらを大切にするための方法を考えてほしい。
「親と子を比べるなんて……」と思うかもしれないが、あれもこれもと欲張れば、すべてを失いかねない。そんな究極の選択のような状況に陥るのがおかしいのだが、残念ながら、現状介護のキーパーソンが自分を守るすべは、これが一番だと筆者は考える。
決して優先順位を間違えないでほしい。
旦木 瑞穂ライター・グラフィックデザイナー