izumiwakuhito’s blog

あなたでしたらどう思いますか?

映画『いのちの停車場』の原作者・南杏子さんインタビュー。「いのちの終わりにあるべきもの」

下記はヤフーニュースからの借用(コピー)です

高齢の患者が多い病院で勤務医として働く南さんが、日々、向き合うのは終末期を迎えて、人生の最後の日々を過ごす患者さんたち。映画『いのちの停車場』で最期の輝きを描いた南さんに、その思いを伺いました。

──本作には病態も生活水準も異なるさまざまな患者が登場します。医療制度において在宅医療とはどういう位置づけでしょうか?
在宅医療とはもともと通院が難しくなった患者さんが受ける医療です。高齢化が進み、最近では看取りまでの医療を含めて考えられることが多くなりました。加齢や大きな病気によっていのちの終わりが近づいたとき、病院ではなく、自宅で過ごしたいと願う方は少なくありません。病院では、何よりも医療を優先するという毎日になりますが、在宅では、生活をメインにして医療も受ける日々を送れるからです。
ただ、患者さんのいのちがいつ尽きてしまうかわからないという状態ですと、見守る家族も大きな覚悟が必要です。人の死に慣れている人はほとんどいませんし、ましてや愛する家族です。
在宅医療では「定期往診」で医師の訪問を受け、「24時間対応」で深夜の急変にも対応してもらえるなど、患者さんと家族の不安を和らげる仕組みが作られています。「多職種との連携」も進み、各種のサービスをより受けやすくなりました。とはいえ、在宅医療がすべての人に適しているわけではなく、幅広い選択肢の充実が望まれます。
作品では、そうした在宅医療のハードルの高さについても書きました。
──自宅で最期を迎える場合、家族の負担が大きいのでは?
確かに最期まで自宅で暮らしたいと希望しながら、現実的には叶わないという方はとても多いです。問題のひとつは、まだまだ在宅医療に関する情報が足りていないことだと思います。かつて公的な援助や民間サービスがほとんどなかった時代、自宅で親を看取った世代は、ものすごく大変だったと思うんですね。ただ、そうした前の時代の苦労話ばかりが語り継がれる一方、進みつつある在宅介護についての情報が不十分であれば、不安になるのは当然のことです。
そういう情報のないところを、この作品で少しでも埋めていきたいという思いもありました。
──『いのちの停車場』というタイトルはどんな思いを込めたものですか?
「停車場」は「天国行きの電車を待つ場所」というイメージです。人生の終末期を迎えたとき、この停車場が心安らかな場所であってほしいという思いを込めました。そこは自宅でも、また病院や施設でもいい。大事なのは温かい環境だと思うんですね。 
寿命に影響を与える要因を調べた統計があるのですが、最も強い影響力があったのは「人とのつながり」でした。自分にほほ笑んでくれる、自分を大事にしてくれる。そういうつながりが人を元気にさせてくれるのですね。終末期の患者さんの、病態ではなく人生に目を向けると、誰もが誇らしく歩いてきた歴史をもっています。私は患者さんを尊敬することで人としてつながっていけると思います。
いのちの停車場がひだまりのように、少しでも温かなものでありますように──。本作は人生のさまざまなステージに立つあらゆる年代の方に贈りたいと思います。

現役の医師だからこそ表現できる臨場感のなか、主人公が携わる在宅医療患者を中心としたさまざまな“いのちの輝き”が描かれていく。温かな人間ドラマであるとともに医療の問題を問いかける。
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広瀬すず>「この瞬間がすごく、すごくうれしい」映画館再開に喜び 吉永小百合と“約束”も

女優の広瀬すずさんが6月1日、東京都内で行われた吉永小百合さんの主演映画「いのちの停車場」(成島出監督)の全国公開記念舞台あいさつに、吉永さんらと共に出席。緊急事態宣言の延長に伴う休業要請が同日に一部緩和され、東京、大阪の映画館が営業を再開。この日が公開後初の観客を前にした舞台あいさつとなった広瀬さんは「このように映画を届けられたことが、肌で実感できる、今この瞬間がすごく、すごくうれしいです。一人でも多くの方にこの映画が届いてほしい」と願っていた。 【写真特集】広瀬すず、ノースリドレスで美肌見せ…この日の別カット&全身ショットも
 映画の舞台となる金沢の「まほろば診療所」の医師と看護師として吉永さんと初共演し、宣伝活動も共に行ってきた広瀬さん。「金沢に一緒に行かせていただいたんですが、取材と舞台あいさつ以外は何も……。私は行って、その日にもう帰ったりして。他のキャストの方も含めて、お仕事以外で一緒に過ごせる時間がなかった」と残念そうに語った。吉永さんから「心残りは、一度もすずちゃんとご飯を一緒に食べられなかったこと。今度いつかね!」と誘われると、「ぜひ!」とうれしそうに笑顔をはじけさせていた。
 映画は、現役医師で作家の南杏子さんによる同名小説が原作。救命救急センターに勤めていた医師の白石咲和子(吉永さん)が、ある事件をきっかけに、在宅医として故郷・金沢の「まほろば診療所」で働き始め、これまでの命を救う現場との違いに戸惑いつつも、患者たちの願いや支える家族の思い、患者の心に向き合うことの大切さに気づいていく……というヒューマン医療ドラマ。舞台あいさつには、田中泯さん、成島監督も出席した。

病に苦しむ人が「死」を望むとき、あなたならどうしますか?…「いのちの停車場」南杏子さんの問い

インタビューズ
 在宅医療を巡る生と死のドラマを描いた映画「いのちの停車場」が、全国で公開されている。女優の吉永小百合さんが主人公の医師を演じ、金沢市内の小さな診療所を舞台に、末期がんや脊髄損傷による四肢麻痺脳出血など、ぎりぎりの状況で命に向き合う患者と家族、医師や看護師らが織りなす物語だ。原作者で現役医師の南杏子さんに、作品に込めた思いを聞いた。(ヨミドクター副編集長 飯田祐子
雑誌編集者から医師に
南杏子さん
 ――以前は出版関係の仕事をしていたそうですね。30歳を過ぎて、医師を志したきっかけは?  もともと人間の体に興味があって、人体図鑑をボロボロになるまで読むような子供だったんです。大好きな本を作る仕事がしたくて、日本女子大を出て編集者になったのですが、育児雑誌を担当して小児科医などに取材するうちに、改めて「お医者さんって、いい仕事だな」と。  夫の留学に同行し、イギリスで暮らしていた時、現地で購読していた読売新聞で東海大医学部の学士入学を紹介する記事を見つけたんです。ちょうど帰国する予定でタイミングがよかったので、試験を受けてみたら合格しました。  ――まさに巡り合わせですね。5年前から医療をテーマにした小説を手がけるようになり、今度は書き手として出版の世界に戻られたわけですが、一方で医師としても現場に立ち続けているとか。  10年余り前から、高齢の患者の専門病院で内科医として勤務しています。患者さんは90歳を超えた方もたくさんいらっしゃいます。  急性期の病院で、延命を第一に考えながら過ごしていた時代もあったのですが、その頃とは違う景色が見えるようになりました。「命の最初から最後まできちんと診るのが医療でしょう?」って、言われ続けているような気がしています。患者さんに教えていただく日々ですね。
祖父を介護した大学時代
 ――急性期医療に携わっていた時代があったというと、「いのちの停車場」の主人公の女性医師が、救急の専門医から訪問診療医に転身したのと重なります。  作品に出てくるエピソードは全くフィクションですが、小説は現場で自分自身が感じたことや悩んだことなどがベースになっています。実話でなくても、登場人物の心の動きなどはリアリティのあるものにしたい。こういう時代、環境、立場にある人が、どう感じるかをきちんと書かなければ、空想の世界になってしまうような気がして。主人公は自然と自分に近い人物を描く形になりました。  ――そもそも高齢者医療の現場に入ったのは、どんな思いがあったのですか?  高校を出て上京し、祖父母の家から大学に通いました。当時、祖父は寝たきりで介護を祖母が1人で担っていたんです。子供の頃、元気でよく笑って食べて歩いていた祖父を見ていたので、老老介護の姿に戸惑いました。1980年代のことで、まだ介護保険もなく、祖母が本当に大変そうでした。私も手伝ったのですが、水を一口飲ませるのにも「のどにつまらせてしまうかも」と恐る恐るで。身体と心の両面で、悩みや苦しみの大きい体験でした。同じような状況で頑張っている方を支える仕事ができたらいいな、という思いがありました。
苦しむ人に向き合って…
南杏子さん
 ――作品の重要なテーマの一つが「安楽死」です。きわめて重い問題で、日本では、なかなか議論が進みません。この難しい題材を選んだ理由は?  私がいる終末期医療の世界は、決してきれいごとでは済みません。もう終わりにしたいと思うほどの苦しみにさいなまれている人の訴えを「死にたいなんて言わないで、頑張って」と受け流してしまうのは、なんだか冷たいように思ったんです。もっとみんなで一緒に考えて、より良い終末期を目指していけないか。非常に難しい問題ですが、これは今、書いておかなければいけないような気がして、勇気を持って書きました。  ――終末期の医療は、良い悪いでは割り切れないことの連続です。  確かに教科書通りにはいきませんね。さまざまな選択肢が考えられるだけに、現場の迷いも多い。ご家族もいろんな考えがあります。やっぱり何歳になっても、親には生きていてもらいたいものですし。  患者さんが一番、喜ぶようにするにはどうするのがいいか、いつも時間をかけて話し合いを重ねながら、進むべき方向を見いだしていく感じです。その迷いや苦しみが創作の原動力になりました。  人が亡くなるときにどんなことが起きるのか、知らないと家族はやっぱり慌ててしまう。ゆっくり考える時間がない場合も多く、とても冷静にはなれないでしょう。作品の中で人が亡くなる時の様子をつまびらかにすることで、心の準備ができるのではと考えました。
家族で話し合うきっかけに
 ――私も取材などでよく聞くのが、本人は延命を望まず、それに家族も納得していても、いざ病状が急変するとびっくりして救急車を呼んでしまう。その結果、人工呼吸器などにつながれてしまい、本人の希望がかなわなくなってしまうと。  私は、胃ろうも含めてチューブ絶対反対というわけではないんです。何が何でも救命してほしいと考える方もいるでしょうし、それはそれでいいと思います。ただ、なるべく苦痛のない、穏やかで自然な最期をと願っているのであれば、それが本人だけじゃなく周りの人々のコンセンサス(合意)になってないと思ってもいない結果になってしまうことはありますよね。  コンセンサスといっても、いま生きている人の死について語るのは「縁起でもない」なんて言われて、なかなか話題になりにくい。この作品がひとつのきっかけになって、家族で話し合う機会ができればいいと思います。
心が一つになれば「大往生」
南杏子さん
 ――本人が苦痛を伴う延命を望んでいなくても、家族は、愛情が深いほど、一日でも長く生きてほしいと願うものです。本人と家族の希望が違っていた時に、命の終わり方をどのように決めればいいのでしょうか。  その問いの答えになるかどうかわかりませんが、患者さんの最期をたくさんみてきて感じているのは、年齢にかかわらず、最終的にご本人とご家族全員の意思が一致しないと「大往生」という感じにならないということです。  ほとんど意識のなくなった女性の患者さんの例ですが、自宅のベッド脇の引き出しから、一通の手紙が見つかりました。「私は尊厳死協会にも入ってるし、延命処置はしないで、静かにみんな受け止めてほしい」といったことが切々と書いてあったそうです。  息子さんはとにかく1分1秒でも長く生きてほしいと希望していて、姉である娘さんたちと意見がぶつかり合っていたのだけれども、その手紙を読むと全員が「潔いね。お母さんらしい」と納得したとか。亡くなられた時、患者さん自身は思いを遂げた様子でしたし、そんな姿を見て、ご家族も心穏やかに死を受け止めて、その後の自分の人生をしっかりと生きていく力を得たような感じでした。
議論を呼ぶ結末
 ――意見の食い違いを乗り越えて、大団円に向かっていく感じがしますね。結論は同じだったとしても、「話し合う」というプロセスを踏むことが重要なのかもしれません。  そのためには、患者さんが自分の意思を示しておくことも大切です。ご本人の意思がはっきりしないと、かわりに家族が決断の重責を負うことになりかねません。急に「人工呼吸器をどうしますか」とか「中心静脈栄養はどうしますか」とか聞かれてもよくわからないでしょうから、あらかじめ検討できるように、医療者側もそういった情報を提供する必要もあるだろうと思います。  ――「いのちの停車場」の主人公の父親は、苦痛から逃れるために死を望むようになります。肉親の苦しみを目の当たりにして、愛情と法の間で悩む主人公が最後に下した決断には、賛否があると思います。  「自分ならどうするか」を多くの人に考えてもらいたいと、議論を呼ぶような結末にしました。大切な人が、命を終わりにしたいと思うほど苦しんでいる時、あなたならどうしますか、という問いかけです。  私は安楽死については、賛成か反対かで言えば反対です。日本ではまだきちんとした議論もされていないし、医師も法のコントロールの下で動かなくてはなりません。ただ、人の心は法律だけでは救えない時もある。苦しんでいる人が一人でも救われるように、世の中が変わっていくといいなと思います。
南 杏子(みなみ・きょうこ)
 1961年、徳島県生まれ。小説家、内科医。日本女子大を卒業、出版社勤務を経て、イギリス滞在中に長女を出産。帰国後、33歳で東海大学医学部に学士入学。現在は、都内の病院に内科医として勤務。2016年、終末期医療がテーマの「サイレント・ブレス」(幻冬舎)で小説家デビュー。「いのちの停車場」は4作目。