izumiwakuhito’s blog

あなたでしたらどう思いますか?

「愛してる」と言って亡くなった小林麻央さんの最期を作り話だという医師たち

下記は文春オンラインからの借用(コピー)です

大切な家族やあなた自身がどんな最期を迎えたいと考えているか、赤裸々に話し合ったことはありますか? 「自宅でなら安らかな死が迎えられる」と美談ばかりが語られてきた在宅医療に様々な問題があることが明らかになりました。ドラマや映画の中ではない「リアルな死」を知らない人が多い現代の日本社会。家族も本人も後悔しない“平穏死”を迎えるには、元気なうちから死を自分の事として考えておくことが大切です。
 兵庫県尼崎市で20年以上にわたり在宅での看取りに取り組み、著作『痛い在宅医』(ブックマン社)が話題の長尾和宏医師に、医療現場に詳しいジャーナリストの鳥集 徹さんが「在宅医療のリアル」を聞く最終回です。
◆◆◆
鳥集 モルヒネなどを投与しても耐えがたいほどの苦痛を訴える末期がんなどの患者さんには、鎮静薬でウトウトと眠らせる「鎮静」という方法もあります。長尾先生はどうお考えですか?
長尾 大病院やホスピスでは鎮静率50%と聞いたことがあります。しかし、僕らはほとんど鎮静しません。去年も100人のうち1人やったかどうか。鎮静を積極的に行うべきかどうかについては、実は緩和ケア医のあいだでも議論があります。確かに鎮静をすれば患者さんは深い眠りにつき、苦痛を感じることはありません。ですが、意識がなくなって、無理やり起こさない限りしゃべることができなくなりますし、命が縮んでしまう可能性もあります。これは倫理的に正しいことなのか、日本では犯罪とされる「安楽死」に当たらないのかどうか、慎重に考える必要のあることなんです。
鎮静をあまりやらないのは最期の言葉を残せないから在宅診療中の長尾さん 写真提供:長尾クリニック
鳥集 長尾先生は、どうしてあまり鎮静しないんですか?
長尾 若い人のほうが痛みに敏感で、とても苦しむことが多いので、そうした方には鎮静することもあります。といっても、鎮静薬を点滴で入れて深く眠らせる方法ではなく、ラムネのような睡眠薬を口から飲んでいただき、浅く眠らせる方法をとることが多いです。僕は大病院やホスピスで鎮静率が高いのは、点滴のしすぎで溺れているような状態になり、息苦しさを訴える人が多いせいではないかと思っているんです。それに僕は、やはり意識は大切だと思っていて、せっかく目が覚めてるなら、しゃべってもらったほうがいいと思うんです。小林麻央さんだって、海老蔵さんの帰りを待って、最期に「愛してる」って言い残して亡くなったでしょう。もし病院でたくさんの点滴を受けて鎮静をかけられていたら、最期の言葉を残すこともかなわなかったはずです。
医師までが「作り話だ」と……みんな平穏死を見たことがないだけ
編集担当 ネットの一部では、「死ぬ間際の人が『愛してる』なんてドラマのように言えるはずがない。こんなのは作り話だ」とまで言われて、心ない反応もありました……。
長尾 そう。ある医師限定の医療サイトでも、ほとんどの医師が「作り話だ」と言って、僕が「作り話じゃない」と書いたら炎上したんです。別に炎上するのは構わないんですが、みんな平穏死を見たことないから、知らないだけなんです。僕は麻央さんと同じような人を在宅で実際に見ている。小さな子供がいる30代の乳がんの女性を看取った経験も2例ありますが、死の直前まで訪問看護師や僕と話していました。ですから僕は事実だと思っています。多くの人が亡くなる直前までしゃべってますよ。そういうことを知らない。多くの医師や看護師は自然死、平穏死をまだ一度も見たことがないんです。市川海老蔵さんに「愛してる」と言い遺して息をひきとった小林麻央さん 
鳥集 ご本人が、「眠らせてくれ」と言った場合はどうするんですか?
長尾 睡眠薬をある程度強めに飲んでもらうということになると思いますが、鎮静の判断は本当に難しい。欧米には「パリアティブ・セデーション(緩和的鎮静)」という言葉があり、安楽死とは違うとされているんです。仮に死期が早まっても「何がおかしいんですか? 全然何も問題ないです。どっちみち死ぬでしょう」と。でも、日本だと人為的な薬剤投与でちょっとでも命が縮まったら、「安楽死をやった」と言われかねません。だから、在宅での看取りをする医師がなかなか増えない。
安楽死を認める国も多い欧米との文化の違い
鳥集 欧米ではスイス、オランダ、ベルギーなど安楽死を法律で認めている国も多いですが、肉体は滅びても魂は残るというキリスト教的な考えが強いからでしょうか。
長尾 欧米人は、自分が正常じゃなければ人間じゃない、正常でないなら意識を消してしまってもいいという考え方が強いようですね。でも、日本人には、もともとはっきりした自分がないせいか、死に方も簡単には決められないんです。今日亡くなった患者さんも、昨日、「娘さんは、最期は病院でって言ってるけど、家と病院とどっちがいいの?」って聞いたら、「どっちでもいい」って言って、結局奥さんが家で看取ることを選びました。
鳥集 今の日本社会は「死」というものをすごく遠ざけていて、自分がどんな最期を迎えたいかあまり考えないし、家族とも話をしません。やはりそれはやるべきことでしょうか?
長尾 これが難しくて。僕も一人暮らしの母親に聞いたんですよ。「お母さんもう86歳だし、だんだん動けなくなるから、施設に入るか?」「最後は病院がいいの? 家がいいの?」って聞いたら、「なんてこと言うの!  親にそんなこと聞くものじゃない!」って、えらい怒られて。結局、車にはねられて即死だったんですけど。
鳥集 エーッ。
長尾 あらかじめ元気なうちから、命の終わりについて患者・家族や医療者たちと一緒に話し合っておくプロセスのことを「アドバンス・ケア・プランニング(ACP)」と言って、日本でもやっておくべきだと思うんですが、まだまだ難しいと感じる人が多いのが現実です。「もしバナゲーム(Go Wish Game)」という、「もしもの時にどうケアしてほしいか」「どこで誰にそばにいてほしいか」といったことを話し合える米国発祥のカードゲームがあって、日本では亀田総合病院(千葉県鴨川市)の緩和ケア科が中心となったiACPという団体が普及活動をしています。そうした遊び感覚で、ちょっとずつ家族で死の心づもりをしておくことは、いいことだと思うんです。
鳥集 地域の老人会なんかでも、「自分はどう死ぬか」を話し合ってみる会を開くといいかもしれませんね。
長尾 それもいいですね。そうした町づくりに関わることこそ、医師会の仕事なんです。医者嫌いで、在宅医療を受けてないおじいちゃん、おばあちゃんだっていっぱいいます。そういう取り組みを上手にやって、在宅で平穏死を迎える土壌を作るのが、本当は医者の仕事なんです。
高校3年生の時に父親が自殺したトラウマ
鳥集 確か、棺桶に入る体験会なんかもありましたね。
長尾 ええ、僕が理事をしている日本ホスピス・在宅ケア研究会のイベントで入棺体験できるコーナーがあって、僕もしょっちゅう棺桶に入ってます。棺桶に入ると、死との距離が一気に縮まる感じがします。そうやって、死を「自分の事」と考えられるようにしておくことが大切なんです。でも、みんな怖いんですよ。お年寄りの人も入らない。入るつもりで来ているのに、入らない(笑)。ですが、それどころか僕、今度7月7日に生前葬もやるんですよ。
鳥集 え?  まだ早くないですか?
長尾 僕は今年還暦になるんですが、そこまで生きられるとは思ってなかったんです。自分の中では、すごくめでたいことだなと。実は、高校3年生のとき、親父がうつ病で自殺しました。それもあって、自分は長くは生きれない運命にあると思ってきたんです。死に関する本を書くのもその辺に理由があって、要はトラウマ(心の傷)、PTSD心的外傷後ストレス障害)なんです。
鳥集 そうだったんですか……。長尾和宏さん 
長尾 なぜ自殺がよくないか。それは残された子どもがPTSDになるから。だから、やっぱり死に関してはナーバスになる。でも、それでも60歳になれそうなので、よかったなということで、盛大にやります。しかし、本当に死ぬ時は逆にひっそりと、誰にも分からないように完全消滅するような死に方をしたいなと。
1人でガンジス川に行って死にたい
鳥集 大切な家族に見守られたいという気持ちはないんですか?
長尾 全然ないです。今ここで言っちゃったらバレるけど、たぶんインドに行って、1人でガンジス川に行って、行方不明になってそのまま帰ってこないみたいな。
鳥集 えー、ガンジス川ですか? 僕なんて1人で死ぬなんて考えられないです……。いずれにせよ、いつか自分も死を迎えると自覚できる仕掛けがないと、死について考えたり語り合ったりするのは、なかなか難しいですよね。
一人暮らしでも在宅死はできる
長尾 死の受容と言うと、『死の瞬間』(1969年発表)を書いた米国の精神科医キューブラー・ロスの五段階モデル(終末期の患者は、1.否認と孤立、2.怒り、3.取り引き、4.抑うつ、5.受容、と段階を踏んで死を受け入れるという考え方)が有名ですが、実は本人よりも「家族の死の受容」が一番大変なんです。本人は覚悟が出来ていて「もういい」と思っているのに、家族がなかなか受け入れられない。実は日本の終末期医療の問題は、8割ぐらいが家族の問題なんです。だから今、家族に向けた本ばっかり書いています。この本(『痛い在宅医』)も、本人より家族に読んでほしいと思っています。とくに遠くに住んでいる息子さんや娘さんたちに。
鳥集 家族の問題は、よく聞きますよね。せっかく在宅で死を受け入れる準備ができているのに、「なんで病院に連れて行かないの」って、離れて暮らしてる娘や息子がやってきて怒り出すという。実は、在宅医の先生方にうかがうと、一人暮らしの患者さんを看取るほうがかえって楽なんだと言います。家族のいる人はいろんなことを言う人がいるので、意見がまとまらず困ることが多いと。
長尾 そうなんです。病院の方々も「一人暮らしの方は、在宅は無理です」って言うんだけど、私たちからしたら「なんでできないの?」って思います。だって、世の中一人暮らしの高齢者だらけじゃないですか。65歳以上の人の独居率は3割近くにもなっています。長生きすればするほど、いつか一人暮らしになって、しかも認知症になるんです。それが普通のことなので、町を挙げて包み込み、柔らかく見守る。建物でなく町が病院になる。そんな社会になるべきです。でも、医者が一番頭が固い。とくに病院でわかっていない人が多いんです。病院の医者が「在宅の看取りなんてインチキだ」と思っている限り、なかなか世の中の空気は変わらないですね。
それでも家で死ぬのは幸せなこと
鳥集 今回のテーマは、国が在宅医療に本腰を入れて10年以上たち、そろそろ美談ばかりでなく、ダメな現実も見るべきだという話だったわけですが、インタビューの最後ぐらいは希望を持てるような終わり方にしたいと思います。いろいろ問題はあっても、やっぱり在宅で看取るほうがいいんですよね。
長尾 はい、在宅死は非常にご家族の満足度が高く、「死んだのにこんなにありがたがられるのか」というぐらいご家族から感謝されます。別に自慢しているわけじゃないけど、家で死んで後悔する家族って僕らは知らないんです。人類はみな「遺族」ですから、僕らはお看取りした家族は遺族とは言わず、家族と言うんですが──みんなで思い出を語り合う家族会をすると、たくさんの方が来られて、みんな「よかった」って口々に言いますよ。家で看取って、悪いことなんて一つもないからです。
鳥集 逆に病院ではたくさんの管をつけられたあげく、心停止した瞬間に蘇生措置をするために、「ちょっと病室から出てください」と言われて、家族が患者さんの死の瞬間に立ち合えないと言った話もよく聞きました。そのような無理な延命治療や蘇生措置は減っただろうとは思いますが……。
「こんなに楽に逝くとは思いませんでした」
長尾 なんで在宅死をよかったと思うかというと、病院での死をみんな知っているから。お母さん、お父さん、兄弟などが病院でえらい目に遭って、えらい死に方をして、あれだけは嫌だと思っていた。だけど、家では全く違った。「まさかこんなに楽に逝くとは思いませんでした」「先生、思ったよりずっと楽に逝きました」。ほとんどの人がそう言います。2人、3人と在宅での平穏死を経験した家族は自信満々になりますね。もう分かっているから。でも、初めての人は全員ビックリする。「人ってこんな楽に死ねるんですか」と。異口同音に言うんです。だから、死んだ瞬間に笑顔になる。「先生、朝ご飯食べませんか?」。そう言われることもある。ほんとに、そんな感じなんですよ。
鳥集 まさに、死が日常の中にあるという感じですね。この『痛い在宅医』の中には、〈正しい在宅医選び10カ条〉も記載されています。
長尾 はい、まずは看取りの実績が多い医師を選ぶことが大切です。それには、僕が監修した『さいごまで自宅で診てくれるいいお医者さん』(週刊朝日ムック)が参考になりますので、精読することをおすすめします。また、24時間対応の内容や、診療所の医師数も確認してください。それから、家族だけで受診して在宅医と話し、医師との相性を確認することも重要です。可能なら、訪問看護師さんやケアマネージャーさん、それから実際に在宅看取りを経験したご家族から話も聞いてみてください。
鳥集 多くの人が「よかった」と思える看取りができるよう、在宅医療のレベルアップを望みたいと思います。本日はどうもありがとうございました。
長尾和宏(ながお・かずひろ)
医学博士。医療法人社団裕和会理事長。長尾クリニック院長。一般社団法人 日本尊厳死協会副理事長・関西支部長。