izumiwakuhito’s blog

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眞子さまはなぜICUを選ばれたのか 宮内庁の後悔先に立たず

下記の記事は日刊ゲンダイデジタルからの借用(コピー)です

「小室文書」を公開したにもかかわらず、期待した国民の祝福は得られそうもないようだ。眞子さまの結婚がすんなりいくかどうかは予断を許さないが、皇族の結婚がこれほどもめるのは前代未聞だろう。これも本をただせば、眞子さま学習院大学ではなく、国際基督教大学(ICU)を選んだからで、ICUに行かせなければ小室さんと出会わなかったはず、と宮内庁は悔やんでいるかもしれないが、後悔先に立たずだ。

 それにしても、なぜ眞子さまはICUを選ばれたのか。というより、皇族の学校選びはどうやって決められるのだろうか。

 上皇さまも天皇陛下学習院愛子さま学習院だ。愛子さまが女子高等科3年の頃、学習院大学ではなく東大に進学するのではないかと話題になったことがある。しかし当時の宮内庁関係者が「将来、女性天皇が認められれば、愛子さま天皇になられる方です。学習院以外にないでしょう」と言った通り、結局、学習院大学を選ばれた。

なぜ皇族は学習院なのだろうか。

 学習院が創立したのは明治10年。設立目的が「華族学校」だったように、華族のための学校だった。華族学習院で学ぶことが義務付けられたのである。当時はよほどの事情がない限り学習院から軍人になることが奨励されていたから、中等科を修了すると陸軍士官学校などに編入した。当時も学習院は法的に私立だったが、宮内省華族が拠出して設立したのだから半官半民である。もっとも、その後は皇室の丸がかえだったから「皇立」と言えるかもしれない。

 大正15年の皇族就学令によって皇族も学習院で学ぶことが義務となり、昭和天皇学習院初等科に入った。ただ卒業前に明治天皇崩御され皇太子になられたから、中等科には進まず東宮御学問所で学ばれている。帝王教育を受けられるためだ。

 学習院と皇室の関係が深くなったのは、むしろ戦後で、皇族の教育に熱心だった安倍能成院長以降だといわれる。明仁皇太子(現在の上皇陛下)をはじめ、皇族の多くは学習院に入った。現天皇浩宮さまも幼稚園に入る年齢になると、それまでなかった学習院幼稚園が急きょつくられて入園されている。こうして学習院は皇族のための学校になっていくのだが、かつて学習院で働いた人物はこんなことを言った。

「皇族の方とお話をするにも、いざその方が目の前に立たれると、緊張して言葉が出てこないものです。ところが学習院はそういうことに慣れている先生方が多い。それに職員も警備には手慣れています。一昨年、秋篠宮家の長男・悠仁さまが通われていた中学校で、机の上に刃物が置かれた事件がありましたが、学習院だったらまずそういうことは起こらなかったでしょう」

 学習院なら安心して通わせられるという。

 天皇陛下学習院大学を卒業したあと大学院に進学した。礼宮さま(秋篠宮)も学習院大学だが、皇室記者によれば、浩宮さまとあらゆる面で対照的だったせいか、「兄と同じ学習院大学に進学したくなかったのに、ご両親の説得で仕方なく進学した」とされている。

 もっとも、そのおかげで、紀子さまと巡り合えたのではあるが、眞子さま学習院でなくICUに進学した裏には、秋篠宮さまの学習院に対する複雑な心境が影響したようだ。