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父が79歳で突然「結婚相談所」に入会。いったいなぜ……娘が気づいた“ある異変” 北村 浩子

下記の記事は文春オンラインからの借用(コピー)です

筆者の父は、母が亡くなってからの10年間、八王子の一軒家でひとり暮らしをしていた。単独行動を好んでいた父は独居に向いた人だと、筆者も、筆者の妹も思っていた。料理も好きだし、囲碁やゴルフなどの趣味もある。近所の人たちや母の友人たちが、ときどきお総菜などを持って訪問してくれることも安心材料だった。原付に乗って気ままに出かけ、好きなものを作って食べているだろう、プロ野球を見ながら焼酎を飲んでいるだろう。そう思っていた。
いつのまにか「話をしたい人」になっていた父
 異変に気付いたのは父が80歳の、4年前の冬だった。
 連絡をせずに、実家へ帰ったときだった。母の姉、筆者の伯母が来ていた。伯母はなぜかそそくさと帰った。10万円がテーブルに置かれていた。
「返してくれたんだよ」「え、貸してたの?」「困ってるっていうから」
 キッチンの引き出しに入っている家計の通帳を見る。数回に分けて、数十万円が伯母の口座に振り込まれていた。「おばさん、食べ物を持って来てくれたんだよ」と父は冷凍庫を開けて見せた。業務用のソーセージが大量に入っていた。「食べ物がないと困るからありがたいよ」写真はイメージです 
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 責められると思ったのか「横浜から八王子まで来てくれるんだよ」と何度も口にする。お金を貸すのは別に悪いことではないから、返してくれているのか聞きたいのだと言っても「この年になると、昔のことを知っている人と話したくなるんだよ」と話を逸らす。
 と思ったら「ほら返してくれたよ」と、電話台の引き出しから数万円としわくちゃのメモを出してくる。日付とサインが書いてあるが、金額は合わない。「きちんと返してもらったほうがいいよ?」と言うと「〇〇のおじさんとか××ちゃんとかの話をしたいんだよ」と親戚の名前を挙げていく。
 そんなに「話がしたい」人だったっけ、家族とはほとんど話さなかったのに、と思ったが、その「証拠」は、実は家の中にたくさんあったのだった。
 ひとり暮らしにはどう見ても大きい洗濯機。使わない部屋にも取り付けられているエアコン。
「どこで買ったの?」と聞くと父は、ここ、と名刺を人差し指で叩いた。〈お困りのことは何でもご相談ください!〉という文字の下に、若男子のイラストが描かれている。八王子市内の電器店だが、近所ではない。「何度も来てくれたから」 
生保、電器屋、証券会社…、次々と出てくる契約と買物の痕跡
 散らばっている名刺を見る。銀行、保険の代理店、便利屋その他。鉛筆で日付が殴り書きされているものもある。おそらく「来てくれた」日なのだろう。ピアノの蓋の上に積まれている郵便物を見て合点がいった。数社の証券会社や生保から「ご契約情報のお知らせ」が何通も届いていた。
「この人、夏に汗びっしょりかいて、自転車で来たんだよ」
 中堅どころの証券会社の名刺を叩いて言う。「そういうの、追い返せないでしょう」
 父は退職金を母に1円も渡さなかった。念願のゴルフ会員権を買って、あとは貸金庫に入れていた。わたしたち家族は、旅行どころか休日にファミレスで食事をしたことすらない。
 けれど汗だくでやってきた見ず知らずの営業マンに、父は100万円分をぽんと出していた。電器屋が勧める通りに家電を買い、親戚には何度も送金していた。
 80になって、父は人を求める人になっていた。お金を、人と繋がる手段として使うようになっていたのだ。
 ひとつふたつ打ち明けたら気が楽になったのか、某メガバンクの名刺をつまみ「この人はさあ、何度も来てくれて、お酒が好きで」と笑いながら話し出した。
「え、うちで飲んだの?」「いい若者だよ」
 その「いい若者」が父に勧めたのが、豪ドル建ての終身保険だった。払込保険料は900万円、契約時のレートは1豪ドル96.27円。先のことは分からないとはいえ、なんて「安い」ときに契約したのだろうと、苦々しい気持ちと腹立たしさが同時に湧いてくる。写真はイメージです 
「いい若者」が勤める銀行の支店へ行ってみた
「いい若者」はもうひとつ、系列の証券会社の口座も開かせていた。100万円分つぎ込まれていた。父に株の知識があったとは思えない。自転車の営業マンにいい顔をしたのと同様、これも言われるがままに買ったのに違いない。
 銀行に電話をした。担当者が替わりました、と若い女性の声が言った。保険の件で相談がしたいと告げ、予約を取って「いい若者」がいた支店へ足を運んだ。 
 応対してくれたのは筆者と同い年くらいの女性だった。父が契約したことはもう仕方がないと思っているが、高齢者が高額の保険の契約をする際に、家族の承諾を得るようなルールはないんでしょうか? と尋ねてみた。
 保険証券をあらため「……たしかに、この場合はご家族の承認を得たほうがよかったと思います」と女性は言った。「でも、すぐにご入用というわけではないのなら、このままお持ちになられたほうがいいです」
 とても感じのいい女性だった。尻拭い的なことは、こういう親身な雰囲気の女性に担当させているのかもしれない。うまいよねえと思ってしまった。すみませんと言わずに申し訳なさを醸す女性の技術は、すばらしかった。
通販でお菓子やワイン、そしてアダルトビデオも
 やがて父は、新聞広告やテレビの通販に電話をかけまくるようになった。実家へ行くと、必ず果物やお菓子の段ボール箱が台所に置かれていた。2ダースのワインを頼んでいたこともあった。ヘルパーさんにお願いして、荷物が届いたら伝票を写メしてもらい、購入先に電話をして返品できるものはし、今後は注文が来ても商品を送らないで欲しいとその都度頼んだ。
「食べるもの、たくさんあるのに」と言うと「ない」と言い張る。「ここにあるよ?」と目の前に差し出しても「ないんだよ。食べ物がないと困るんだよ!」と怒鳴る。よくない兆候だった。
 ほどなくして、電話の対象は通販から馴染みのパン屋さんやケアマネさんの事務所、つまり身近な知り合いに移った。遠慮がちにケアマネさんが教えてくれたところによると、数分おきに着信音が鳴る日もあったらしい。あちこちに菓子折りを持って謝りに行った。父のひとり暮らしはもう限界だった。
 施設探しを始めた。持病で酸素導入をしているため、看護師さんが24時間常駐している施設を探さなければならなかった。酸素の管を装着するのは、とても簡単だが医療行為なので、介助者がやってはいけないことになっているのだ。11か所の特養に申込書を送ったが、要介護3では予想通りどこからも連絡はなかった。なんとかひとつ、受け入れてくれる老人ホームを見つけた。ひと月の年金をオーバーしてしまう額だったが、背に腹は代えられなかった。写真はイメージです
 お世話になっていたヘルパーさんに手伝ってもらい、空き家になった実家の整理を始めた。
 新聞の切り抜きや写真などの紙類、雑誌に混じって大量の封書が出てきた。アダルトビデオのカタログだった。宛名は母。消印は数年前。自分の名前で頼むのが嫌で、母の名前で申し込んだのだろう。そのカタログから注文したらしきDVDも、収納にたくさん詰め込まれていた。ため息が漏れた。
そして結婚相談所にも入会していた
「なんでしょう、これ」  
 小さくたたまれたその紙は領収書だった。〈入会費用の一部として〉13万5000円、日付は27年7月23日。八王子ではなく、隣県の住所。〇〇ブライダル。
 ヘルパーさんと顔を見合わせる。「結婚相談所?」えーっ、と2人して声が出てしまう。平成27年7月、父は79歳だ。79歳で入会したってこと?
「すみません、そちらに父が入会した? ようなんですが」
 問い合わせると、仲人から折り返させますと言われた。十数分後、領収書の収入印紙に押された印鑑の名前の人から電話がかかってきた。
「北村さんの、お嬢さん?」いがらっぽい咳払い。
「長女です。領収書を見つけまして」
「あー、そうですか」
 60代後半くらいの女性だ。また空咳。軽侮が混じっていると感じるのは気のせいか。
「どうして父がそちらを知ったんでしょうか。八王子から遠いですよね」
「こちらからお電話したら、お運びくださったんですよ」
「なぜ電話を? 母が亡くなったことをご存じだったんですか」
「えーと、名簿です、名簿」
 ああ、またか。またセールスか。セールス電話や訪問は特殊詐欺とそう変わらないのじゃないかと、何度も思ったことをまた思う。
「お父様、寂しいって。パートナーが欲しいとおっしゃってましたよ」
 なんて気持ちの悪いことを言うのだろう。
「そちらのHPに、男性は定職のある方のみって記載されてますよね? 年金生活者を入会させたんですか?」
「年金は定収入ですからね。あのねえ、社会にはお嬢さんが思う以上に、寂しいとおっしゃる高齢の方多いんですよ」
 こちらの質問を聞こうとせず、かぶせるように話してくる。自然とこちらも声が大きくなってしまう。写真はイメージです 
入会「した」のか「させた」のか?
「父はいつまで入会していたんですか?」
「お支払いいただいたのは入会金だけですよ。本当はそのあと月会費がかかるんですけど、私は厚意で2年間、女性の情報を差し上げてました」
「厚意? 会費も払わない会員に、厚意で?」
「ええ。お父様真剣でしたから」
 海千山千の声が苛立ちをかきたてる。ちなみに、筆者はかつてラジオでニュースを読む仕事をしていた。あの頃の滑舌を久しぶりに発揮してやろうじゃないの、と挑発に乗るような気持ちになる。
「当時、父は認知症の症状が出始めていたかもしれないんです。お気づきになりませんでしたか?」
「えっ、お父様とてもしっかりしておられましたよ?」
「それは〇〇さんの判断でしょう? 〇〇さん、専門家じゃないですよね。受け答えの感じで勝手に判断して入会させたんですか。高齢者の入会に際して、それはあまりにも」
「させたんじゃなくて、お父様が自分の御意志で入会されたんですよ」
早く切り上げたいという気配が伝わってくる
 遮られて頭に血がのぼる。
「じゃあ、どうして2年で情報を送るのをやめたんですか」
「お手紙を差し上げたんです、退会されますか? って。お返事をいただけなかったのでストップしたんです」
「それでも、丸2年も情報を無料で送ってくださってたなんて親切ですね」皮肉を言わずにはいられない。
「いいご縁があったらと思いましてね。お父様、お嬢さんのことも心配しておられましたよ」笑ってしまった。いくらなんでもそんな場所で、娘の話なんかするわけないじゃないか。
「わたしのことが話に出たのに、高いお金を払う前にご家族に相談されたらどうでしょう、って言ってくださらなかったんですか?」
「それは個人の自由ですよね。知られたくない方もいらっしゃるでしょうし」
 このあたりで早く切り上げたいという気配が伝わってくる。
「とにかく、入会金以外のお金はこちらではいただいてないですし、退会された方の情報は消去するのでこのくらいしかお伝え出来ないんです」
「え、情報消去したのに、こんなに覚えていらっしゃったんですか、父のこと」
「お父様、お元気でとお伝えくださいね」
 咳払いとともに電話は切られた。
 少し前に、ツイッターでこんな内容の投稿を見た。
〈自分の身内が詐欺に合ってないか心配なとき「怪しい電話や訪問はなかった?」と尋ねるより「最近、親切にしてくださってる方いる?」と聞いた方がいいそうです。○○の営業の方がよく話し相手になってくれるとか枝を切ってくれた、というのは危険です。母に今度聞いてみよう。〉
 本当に、本当にその通りだ。身にしみて思う。身にしみすぎて、筆者はもう煮びたしのようになっている。
 来週、また実家の片付けに行く。もしかしたらあの家にはまだ、父が人と繋がりたかった証拠が埋まっているかもしれない。
 それを考えると、すこし寂しくて、すこしこわくて、ほんのすこしだけ、わくわくする。
北村 浩子2021/05/03
genre : ライフ, 社会, ライフスタイル, ヘルス