izumiwakuhito’s blog

あなたでしたらどう思いますか?

看取りに接する医師と看護師が伝える、 医療者まかせの看取りが怖い訳

下記の記事はダイアモンドオンラインからの借用(コピー)です

人は自分の死を自覚した時、あるいは死ぬ時に何を思うのか。そして家族は、それにどう対処するのが最善なのか。
16年にわたり医療現場で1000人以上の患者とその家族に関わってきた看護師によって綴られた『後悔しない死の迎え方』は、看護師として患者のさまざまな命の終わりを見つめる中で学んだ、家族など身近な人の死や自分自身の死を意識した時に、それから死の瞬間までを後悔せずに生きるために知っておいてほしいことを伝える一冊です。
「死」は誰にでも訪れるものなのに、日ごろ語られることはあまりありません。そのせいか、いざ死と向き合わざるを得ない時となって、どうすればいいかわからず、うろたえてしまう人が多いのでしょう。
今回は、『後悔しない死の迎え方』の著者で看護師の後閑愛実(ごかんめぐみ)さんと、現在ドラマ放映中『泣くな研修医』の原作者である外科医の中山祐次郎(なかやまゆうじろう)先生という二人の医療者による対談を収録しました。
看護師、医師という2つの視点から、患者さん、あるいは家族が死とどう向き合っていってほしいかを語ってもらいます。(撮影:永井公作)(こちらは2019年1月12日付け記事を再掲載したものです)
医療者と患者の距離

後閑愛実さん(以下、後閑):医療者の死生観で、患者さんの生き方が右往左往されてしまっているんじゃないかと思うことがあります。中山先生の著書『医者の本音』の中でも書かれていましたが、医師にとって患者さんの死は2.5人称。やっぱり家族と同じにはなり得ないですよね。そうはいっても、3人称、その他大勢の死というほどでもないとは思いますが、家族も本人もすべて医療者まかせということにはしてほしくないと私は思っています。
中山祐次郎先生(以下、中山):説明を足すと、2人称は「あなた」、3人称は「どこかの誰か」。つまり2人称は家族などの大切な人、3人称は見知らぬ人。医者と患者さんの距離ってどれくらいあるんだろうって考えた時に、やっぱり家族にはどうしてもなり得ないし、愛する人でもない。けれどもまったく知らない他人ではない、というところで2人称と3人称の間、2.5人称と私は考えています。
それくらいの距離感が、医師として冷静かつ温かみのある判断ができるのではないかと感じています。
ただ、医者の死生観もさまざまで、それを押し付けるのか押し付けないのか、それとも家族にまかせてしまうのか、まかせるならどれくらいか、8:2なのか5:5なのか。そういうのは人にもよるでしょうし……難しいとこですよね。
後閑:近すぎず遠すぎず、ということですね。ちなみに、近すぎたなという例はありますか?
中山:ありますね。医者として若かった頃のことです。
私はその時、研修医だったんですが、医者として大した貢献ができずにいて、だけどどうにかしたいという気持ちがあったから、おそらく私は距離を詰めすぎてしまったんです。
その患者さんの病室に休みでも通ったり、医療と関係ない話もたくさんしました。その患者さんはがんで、その後亡くなられました。私はその方のお葬式に行ったんですよ。お葬式に行って、すごく辛い思いをしました。すごく心が傷ついたので、これがしょっちゅう起きたら、とてもじゃないけど自分の心が持たないと思いました。
後閑:私もお葬式に行ったことがある患者さんがいます。
その患者さんは90代の女性でした。経鼻経管栄養で最期まで生かされ、痰も多かったのでよく吸引したりしましたし、体がむくんだりもして辛い思いをさせてしまった患者さんでした。
90代のご主人と息子さんがよくお見舞いに来ていました。最期は夜中の0時くらいに、もう呼吸が止まりかけてると思ったのでご家族を呼んだんです。ご主人と長男さんご夫婦がすぐに駆けつけてくれました。患者さんは、ご家族が来たらちょっと元気になって、目を開けてご主人を見ていたんです。
長男さんは私たちスタッフの分までジュースを買ってくれて、患者さんを囲んでみんなでそのジュースを飲みながら、思い出話とか患者さんのことを話したりしていました。
朝方6時くらいになって、それこそ仲直りの時間だったんですけど、患者さんが持ち直したように見えたんです。すると、今度は高齢のご主人のほうが心配になったので、「いったん帰られて、休まれたほうがいいんじゃないですか。私たちが見ていますから」と提案しました。長男さんも、自分が残るからと言ってくれて、ご主人とお嫁さんは一度家に帰って休み、お昼頃にまた来ます、ということになったんです。
けれど、二人が帰って30分後に患者さんは息を引き取られました。あの時、帰っていいなんて言わなければよかったという思いが私に残ったんです。
長男さんは、自分がいたから最期を穏やかに看取ることができたと言ってくれたし、ご主人も急変を連絡するとすぐに来てくれたので、息を引き取る瞬間に立ち会うことはできなかったけれど一晩一緒にいられたからよかったと言ってくれたんですが、それでもちょっと心につっかえるものがあって、お葬式に行ったということがありました。
けれど、こうしてその人だけを特別視していいのだろうか、じゃあ他の人はどうなの、これはやっぱり続けられないから、少しだけ距離をとろうと思いました。以来、近づきすぎず、ちょっとだけ距離をとるということを意識しています。
中山:看護師さんは医師よりも患者さんと距離が近いですよね。そうすると、やっぱり医者よりも患者さんに感情移入しやすいでしょうし、看取るのは辛いだろうと想像しますが、どうですか?
後閑:今は結構、自分を客観視できるようになった部分もあります。たとえ理不尽な死であったとしても、今は辛いことになっているとしても、それ以前にたくさんの選択をしてきた結果であるわけで、本人やご家族が思ったようになってはいなかったとしても、その選択をした時は最善だと思ったことを選択し続けてきたわけです。なのに今、苦しい思いをしているのは、病気や老化のほうがその一枚も二枚も上手だったというだけです。その人たちが最善と思われることを選択してきたんだと思って、今を否定せずに接するようにしています。
とはいえ、心のバランスをとるのはすごく難しいと思いますね。医療介護職は感情労働ですから、自分の感情をコントロールしないといけない。そんなふうに見えてはいないという方もいらっしゃるかもしれませんが……。中山先生は、どうやってメンタルをコントロールしていますか?
中山:痛く飲むと書いて「痛飲」するという言葉がありますが、僕は本当に文字通り痛飲していて、自傷行為そのものでしたね。すべてを客観視して、他人事にしてこなしていくのは違うと思っています。
毎回落ち込んだり傷ついたりしているのは危ないし、それでは持たないとは思うんですが、それが正しいと僕は思っているんですよ。危険な思想だとは思いますけどね。
後閑:医療者も患者さんの死に対して、家族と同じ悲しみではないけれど、悲しんでいることをわかってもらいつつ、ともに看取りを穏やかな最期へと着地させるためにはどうしたらいいかを考えてほしいと思います。
「先生ならどうしますか?」
後閑:医療者と患者さんやご家族には、その思いにギャップがあるんですよね。治療方針を決定する上で、中山先生自身が気をつけていることはありますか?
中山:基本的には、その場で決めないということかな。緊急手術の場合以外は、必ず一週間は開けて、一回持ち帰ってもらって、ご本人に家族と一緒に考えてもらうことにしています。それで改めて集まってもらって話し合う、ということを大事にしていますね。
後閑:中山先生の本『医者の本音』の中で、大腸がんの父親の手術をするのか、人工肛門にするのか、それとも何もしないのかを悩んで、手術を選択したというエピソードがありましたが、このケースも持ち帰って考えてもらったんですか?
中山:あの話に関しては、もう腸閉塞になっていて、放っておけば腸が腐って死ぬという状態だったので、大急ぎでみんなで話して決めました。
最近は風潮として、患者さんに選択を完全に丸投げするという姿勢がちょっと多いように思います。
ABCと選択肢があります、どれがいいですか? というシーンがちらほらあって、安易すぎてプロとして非常に恥ずかしい。やはりある程度、プロとして責任を持ちつつ、自分の医学的な専門性を加味して、さらに経験を加え、せめてオススメを言うべきだと思っています。僕はそれだけは気をつけるようにしています。全部並列して提示して、さあ、どれかに決めてくださいというのは、僕は好きじゃない。
後閑:たしかに、A案B案C案ありますけど、どうですか? と投げて、家族がA案を選択したとすると、面談の後で、「なんであれ選ぶかな?」と口にする先生もいますね。いやいや、先生が提示したからでしょう? みたいなこともあるから怖いんです。私も医者がせめてオススメを言うべきだと思います。
逆に、「先生だったら何をオススメしますか」と聞ていみてもいいものでしょうか?
中山:そうですね、それは有効だと思っています。
「先生だったら何を選びますか」「先生が私の立場だったら何を選びますか」と聞いてみるのは、すごく大事です。最終的には主治医の判断になるわけですが、私は、この患者さんが自分の親だったとしたら何を選ぶだろうかというように意思決定すると、比較的すっきりとする選択ができるようには思っています。
後閑:私の親も肺がんの手術の後に「抗がん剤をしますか」と聞かれて、「先生だったらどうしますか」って聞いたら、「僕ならしません」と言われてやめました。
中山:その質問は、本当に有効だと思います。
静かに尊厳を持ってその生を閉じていく
後閑:中山先生は本の中で、「静かに尊厳を持ってその生を閉じていく姿はとても自然なものだったと記憶しています」と書かれていましたが、その時はどう思われたんですか?
中山:その話は、私が初めて治療をしなかった患者さんのことです。
中山:患者さんが食事がとれなくなって、その状況に対して医療には点滴をする、鼻から管を入れる、胃に穴を開けて胃に直接食事を入れるといった3つくらいの方法がありますが、そのすべてをご家族としっかり話し合った結果、どれもやらずに食べられなくなって、そのままだんだんと死に近づいていきました。ああ、こういう終わり方があるんだと、初めて知りました。
しかし、僕の心の中では葛藤もありました。もうちょっと治療したら、1ヵ月、2ヵ月、半年ぐらいは何とか頑張れたかもしれないという医学的な思いと、ある日突然、知らないところから医療従事者という親戚が現れて、「なんで何もやらないんだ、そのせいで死期が早まったんじゃないか!」と怒られ、訴えられるんじゃないかという不安も正直よぎりました。
ですが、その二つの葛藤を飲み込むほど、最期のお看取りのシーンは自然で、神々しいとさえ思えたんです。人間は、こうやって生きて、こうやって死んでいくんだと思いましたし、こうあるべきだと、理解ではなく「感じた」というのが正しい表現です。
後閑:それはすごく共感できます。私も患者さんが亡くなった後に、その患者さんがすごくおしゃれな方だと聞いていたので、ご家族に「お母さんはすごくおしゃれな人だったと聞いたので、皆さんでメイクをしてもらえませんか」とお願いしたんです。エンゼルケアという身体を綺麗にしたり浴衣を着せたりするのは看護師がやるのですが、最後にメイクだけご家族にやってもらったんです。
家族が思い出話をしながらメイクをしてくれて、お孫さんが「おばあちゃん綺麗だね」って言ったんです。お嫁さんも「ほんとだ、綺麗」、長男さんも次男さんも「母さん、綺麗だ」って。その光景に、人生の最後に家族みんなに綺麗って言われるって、なんて素敵な人生だろうと思いました。そのすべてに、まるで美しい景色を見ているような高揚感を覚えました。尊厳を保ったまま亡くなることができた、生ききったんだ、と感じました。
中山:やっぱり、僕も後閑さんもそういうふうに感じるということは、たぶん多くの人が同じように感じると思うんですよね。そう考えると、ラストシーンに人工的なことが増えるというのは自然ではないんでしょうね。
後閑:本来は、歩けなくなって、食べられなくなって、木々が自然に枯れていくように自然に亡くなっていくんでしょうけれど、医療はそれをひどく遠回しに、より困難にしているように思えることがあるんです。
中山:すごくあちこちに行った結果、僕たちは戻ってきた気さえしますよね。
後閑:本人家族が医療者まかせにしないためにどうしたらいいかという、アドバイスはありませんか。
中山:有事の際に考えるのではなく、普段から家族ともしもの時の話し合いをしておいてほしいということですね。自分の葬式はどうしてほしいとか、意識がなくなったらどれくらい積極的に治療をしてほしいとか、死にまだ遠い時に死について話し合っておくことが大事だと思っています。
その辺の意識は後閑さんと同じだと思っていて、だから僕も以前、『幸せな死のために一刻も早くあなたにお伝えしたいこと』という本を書いたんです。元気な時に考えておいてほしいんです。
後閑:本当にそうですよね。私も元気な時にこそ考えておいてほしいという思いがあって、看取りや死について病院の外でトークイベントをしたり、ネットで発信したり、今回、『後悔しない死の迎え方』という本を書いたりしているんですよね。
元気なうちに、自分はどう過ごしたいか、何を大事に思っているのかなどを話し合っておいてほしいですね。「延命治療はしないで」というのでは、話し合ったうちに入りません。なら、延命治療って何ですか? という話になりますし、じゃあ、どうしたらいいのと、結局は医療者まかせとなって不本意な形で生かされ続けたりしてしまうわけです。ですから、どう最期を過ごしたいか、どういう思いを大切に生きていきたいかを、何かの機会で話し合っておいてほしいなと思っています。
穏やかな最期を迎えるために重要なこと
(1)医療者も家族や本人とはまた違う苦しみを味わっていると理解する
(2)プロの意見をもらう質問「先生だったらどうしますか?」
 鵜呑みにはしないこと。なぜなら医師の死生観に左右されることになるから。
 それに自分の人生観をプラスして考えること。
(3)静かに尊厳を持ってその生を閉じていくには、元気な時から話し合いをしておくこと

後閑愛実(ごかん・めぐみ)
正看護師。BLS(一次救命処置)及びACLS(二次救命処置)インストラクター。看取りコミュニケーター
看護師だった母親の影響を受け、幼少時より看護師を目指す。2002年、群馬パース看護短期大学卒業、2003年より看護師として病院勤務を開始する。以来、1000人以上の患者と関わり、さまざまな看取りを経験する中で、どうしたら人は幸せな最期を迎えられるようになるのかを日々考えるようになる。看取ってきた患者から学んだことを生かして、「最期まで笑顔で生ききる生き方をサポートしたい」と2013年より看取りコミュニケーション講師として研修や講演活動を始める。また、穏やかな死のために突然死を防ぎたいという思いからBLSインストラクターの資格を取得後、啓発活動も始め、医療従事者を対象としたACLS講習の講師も務める。現在は病院に非常勤の看護師として勤務しながら、研修、講演、執筆などを行っている。著書に『後悔しない死の迎え方』(ダイヤモンド社)がある。