izumiwakuhito’s blog

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96歳、軽度の認知症があっても一人暮らし「自宅が気楽でいいの」〈ルポ・独居の限界はある?

下記は婦人公論オンラインからの借用(コピー)です

認知症になってからも、すべての人が施設に入居するわけではない。自宅でひとり暮らしを続けている人は、どんな状態で、どう生活をしているのか──。当事者とサポートをする人たちの声を聞いた。(取材・文=樋田敦子)
軽度の認知症があってもひとり暮らし
毎朝6時になると、稲葉美恵子さん(96歳、仮名)は、都心にほど近い公営団地で目を覚ます。軽度の認知症であるが、住み慣れたこの家で独居を続けている。テレビでニュースを見ては、世の中のことを知り、天気の様子をうかがうのが日課だ。
「(新型)コロナっていうの? 嫌ねえ。私が若い頃は、なんて呼んでいたかしらね、忘れちゃったけれど、ひどい風邪がはやったこともあったわ……」
大正12年9月。関東大震災が起こった、まさにその9月の末に、美恵子さんは千葉県で生まれた。6人きょうだいで裕福な家で育ち、女学校を卒業後は東京で職を得た。結婚して一男一女を育てたが、すでに夫は他界し、息子も70代で数年前に亡くなっている。
毎朝、お線香をあげて夫と息子の位牌に手を合わせる。
「あと4年で100歳になるけれど、『もう少し迎えに来ないでね』ってお願いしているの」
朝食はほぼ決まっていて、具だくさんの味噌汁に白飯、納豆、目玉焼き、漬物が食卓に並ぶ。これらはすべて自分で用意しているという。以前、食堂で働いていたこともあるため、料理の手際はいい。
そのうえ、「添加物が入っているものを避ける」「規則正しく食べる」など、自分なりのルールを守り、食生活には気を配る。そして、ガスの使用にはことのほか気をつけている。火事を出すと自分だけではなく周囲に迷惑をかけるので、「揚げ物はしない」が鉄則だ。
デイサービスでは積極的に体を動かす
料理に使う野菜は、月に2回、団地の下にやってくる巡回の八百屋で購入する。
「お米を買うときには、5000円くらいかかるけれど、たいていは1000円以内ですむの。ほら、そこに置いてあるネギも3本で100円。安くて新鮮で甘くて、おいしいのよー」
何を買い、いくら使ったかなどのお金の管理もできていて、こちらが質問をすると、次から次へと言葉が出てくる。もちろん、同じ話を繰り返したり、過去と現在の記憶が混在したりもするが、96歳という年齢を忘れてしまうほどだ。
水曜と金曜は楽しみにしているデイサービスの日。迎えの車がやってくる前に、集合場所に到着して仲間を待つ。手押しのシルバーカーを使って、自分で歩く。デイサービスでは積極的に体を動かし、「ボウリングでピンを倒したので、みんなにほめられて表彰されたのよ」と嬉しそうだ。時にはカラオケで十八番の「壺坂情話」を歌うことも。
それ以外の日にも、バスやタクシーを使って友達に会いに行き、自治体から支給される入浴クーポンで銭湯に行くこともある。
娘には「一緒に暮らさないか」と誘われるけど
3年前から、美恵子さんのもとに1日2回通っている「エイプレイス新宿」(定期巡回・随時対応型訪問介護看護サービス)の管理者、川窪諒さんは、曜日ごとに区分けされたウオールポケットの薬を見ながら、こう話す。
「足腰もまずまず丈夫で、おひとりで生活はできますが、軽度の認知症が見られる要介護2の状態。頻繁に薬の飲み忘れがあるので、毎日、朝と夕に薬を飲んだかを確認し、忘れがちなゴミ出しを促します。忘れているよと言うと、ご自分できちんと下のゴミ置き場まで持って行かれます」
処方された薬を曜日ごとに分類。1日2回訪れるヘルパーが飲んだか確認してくれる(撮影:本誌編集部)
ヘルパーは毎日の訪問で変化していく暮らしぶりを観察し、できないところをサポートする。自身でできることには手を出さないのがポイントだ。
じつは、美恵子さんは過去に2回、バスを降りる際に転倒し、腰を骨折したことがある。2週間の入院を経て家に帰ったときは、おむつを使用していた。川窪さんは、このままおむつで過ごすようになるかと危惧していたという。ところが、奇跡的な快復をし、今では普通の下着をつけて、排泄に何ら問題がない。本人はその事故のことも忘れているが──。
50代になる孫は月に1度訪ねてくる。忘れっぽいのを心配して、部屋のあちこちに「ゴミをおきっぱなしにしないこと」などといったメモを貼っていく。埼玉県に住む娘からは、「心配だから一緒に暮らさないか」と誘われるが、応じないでいる。
「あちらに行っても知っている人もいないし、家事を手伝おうとすると、危ないからやめてと怒られる。大きなテレビを買ってくれて、それを見ていろと言われるけれど、じっとしているのは嫌。ここで暮らしているのが気楽でいいの」
笑顔で話す美恵子さんは、今の生活をとても楽しんでいるように見えた。
樋田敦子
ひだ・あつこ
東京生まれ。明治大学法学部卒業後、新聞記者に。日航機墜落事故阪神淡路大震災など、おもに事件事故報道の現場に立った。10年の記者生活を経てフリーランスに。