izumiwakuhito’s blog

あなたでしたらどう思いますか?

突然の乳がん告知 仕事は子育ては…3歳児母の葛藤

下記は日経ウーマンからの借用(コピー)です

がん患者の3割は就労可能年齢で罹患している
 突然ですが、質問です。もし明日、あなたががんだと告げられたらどうしますか?
 不穏な書き出しですみません。はじめまして。7年前、突然がんと告げられた、藍原育子です。2010年生まれの娘と夫の3人暮らし。都内でフリーランスの編集・ライターをしています。
 「喫煙者じゃないから」大丈夫でしょうか。「『がん家系』じゃないから平気」と思う人もいるでしょう。「定期的に健康診断を受けているし、大きな持病もない」と思うかもしれませんね。実はこれらすべて、私がかつて思っていたことでした。しかし39歳のときに突然、「あなたは乳がんです」と告げられたのです。
 高齢者がかかる病といったイメージが強いがんですが、実は就労可能年齢(15~65歳)で罹患(りかん)する人は増えており、全がん患者の3割に当たります。30代、40代では男性に比べて女性のほうががんになる人の割合が高く、DUAL世代にとっても身近な病気です。
 医療技術の進歩や検診制度の充実によって、今は治療後に社会復帰する人も増えています。たとえ完治できなくとも治療をしながら長く付き合う「慢性疾患」としてがんをとらえる考え方も広まっています。
 しかしそれでもやはりがんは、人生を揺るがす病気です。たとえ初期のがんだと言われても、「どうして自分が」という戸惑いや、「もしかしたら死んでしまうのかも」という恐怖や絶望と無縁ではいられません。
 またがんの種類やステージにもよりますが、多くのがんは思っているよりも長くかかります。特に乳がんは治療後10年、20年たってから再発することもあります。私も手術から丸5年が経過したときに、手術した側の胸に影が見られました。検査の結果、良性腫瘍であると診断されましたが現在も経過観察中で、定期的に病院に通っています。
 私は以前、女性誌の編集部に在籍していたときに医療や健康に関する記事を担当する機会が多く、乳がんについても何度も記事を書いてきました。だから「自分にはがんの知識がある」、そう思っていたのです。いつか、もし自分ががんになる日がきたとしても、ある程度知識があるからなんとか乗り越えられるだろうと。しかしその予想は、がんの告知とともにもろくも砕け散りました。
「何かおかしい」という直感が現実に
 右胸に腫瘍があると分かったのは20代後半。乳がん検診の体験取材でモデルとなって検診を受けたときでした。超音波で腫瘍があるのが分かり、「結婚したばかりなのに、もしもがんだったら……」と目の前が真っ暗になったのを覚えています。しかし結果は良性腫瘍。そこからは定期的に検診を受けて経過観察を続けてきました。
 しかし出産し、授乳を終えたあたりから右胸の内側に、ぽつんと何かが触れるようになりました。検診時にそれを告げると、「そこに良性腫瘍があります」という返事。しかし心配だったので、何度か保険会社の店頭に置いてある「乳がん触診模型」を触りに行き、自分のものと比べました。確かに、自分のものはしこりというには軟らかい。だから問題ないのだろうと思っていたのですが、次第に、軽く触っただけでも違和感を抱くようになりました。「何かおかしい」と嫌な予感がしました。
 医師は問題ないと言っているし……と悩みましたが、あるとき思い切って自分から「針生検をしてください」とお願いしました。針生検とは太い針を刺して組織を取り出し、異常があるかどうかを確認するもので、通常は「がんの疑いあり」となった時点で行われることが多い検査です。
 結果を聞きに行くときも「やはり異常はありませんでした。また来年来てください」と言われるとばかり思っていたのです。しかしそこで告げられた結果は「悪性」。まさかのがんの告知でした。
お迎えまであと1時間。どうして私が…
 診察室を出てその後の検査や今後の手術について看護師から説明を受けながら、ぼんやり壁の時計を見たのを覚えています。16時を過ぎていて、保育園のお迎えまであと1時間ほどしかありませんでした。
 突然「がん患者」になった自分と、お迎えに行くいつものママとしての自分。仕事と家事と育児ですでに精いっぱいなのに、一体どうなるんだろう。何をどうしたらいいんだろう。その場にうずくまって叫びたいのに、心の奥はしんしんと冷えていくようでした。
 その後の検査によって、私のがんは乳がん全体の3%ほどしかない「粘液がん」であることが判明。医師からはとても珍しいタイプのがんなので、分かりにくかったと説明がありました。
 「早期発見は大切だが、検診を受けても誰もが100%がんを発見できるわけではない」。以前そういった記事を書いたことがあります。いくら医療が進歩しても、医療に「絶対」や「確実」はないのだと。だけどどうして、よりによってそれが私なんだろう。なぜ自分がこんな目に遭うのかというやり場のない怒り、そして「死ぬかもしれない」という恐怖。娘はどうなる? 仕事はどうする? 家事は誰がやる? など、告知を受けてからしばらくは完全にパニック状態でした。
 毎日娘を保育園に送り、仕事をし、合間に乳がんについて猛烈に調べました。かつて乳がんの記事を書いたときには他人事だった、「抗がん剤」「5年生存率」「再発」といった言葉が、自分事として生々しく迫ってきたのを覚えています。ああこれは現実なのだ、どこかの誰かの話ではなく、自分のことなのだと。でもそれがなかなか受け入れられませんでした。
 また「次の診察で手術日を決めましょう」と医師から言われていたため、医師が勧める「温存手術」についても調べました。すると、自分の乳房が残る半面、術後5~6週間は放射線治療に通わなければならないこと、また乳房がひきつれたり、乳頭の位置がずれてしまうこともあると分かりました。
 しかし温存手術でなければ、乳房をすべて切除する手術(乳房全切除術)になります。そして全切除術を行った場合は、その後の乳房を再建するかしないかの選択もしなければなりません。
乳がんの標準的な手術法

●乳房温存手術…乳がんのある乳房の一部分のみを切除して、できるだけ乳房を残す方法。残った乳房には、放射線療法を行うことが原則となる。
●乳房全切除術…大胸筋と小胸筋を残してすべての乳房を切除する手術。
●乳房再建…手術によって失われた乳房を作り直すこと。体の一部(おなかや背中の脂肪や筋肉など)を胸に移植する方法と、人工乳房(インプラント)を使う方法がある。
 とても一人では決められず、気力を振り絞って、乳がん経験者が自らの治療体験を語ってくれる患者会に出かけたり、セカンドオピニオンを受けたりしながら検討。最終的には右胸の乳房を全切除し、同時に再建する方法を希望しました。最初に診断してくれた病院とは折り合いがつかず、別の大学病院へ転院して手術を受けました。
仕事、家事、育児…治療に使う時間はどこ?
 当時は育児と仕事の両立に苦しみ、試行錯誤の毎日でした。夫は出版社勤務で早めの帰宅は望めず、平日はファミリーサポートやベビーシッター、どうにもならないときには実家の母に泊まりにきてもらって、なんとかやっていました。そこに新たに加わった「がん治療」。
 「治療に使う時間などどこにもない」というのがそのときの正直な気持ちでした。いっそ聞かなかったことにして、治療を先延ばしにしてしまおうかと思ったこともあります。もしかしたら何かの間違いかもしれない。だってずっと良性だと言われていたし、他の病院に行けば違う診断が下るかも……。しかし転院先でも、がんという診断は覆りませんでした。
退院がゴールではない。ママががんを患う現実
 実際にがんに罹患した者として、メディアで描かれるがんは、まだまだステレオタイプだと感じます。登場人物の一人にがんが告げられ、闘病生活が始まる。結果そこから回復する、または悲しい結末を迎える……。
 しかし現実は、がんの闘病とともに生活も続いていくことが多く、がん治療だけに専念できる人はなかなかいません。特にママががんになった場合、仕事に家事に育児にと、すでにずっしりと背負っているところに、「治療」という新たな柱が加わります。そしてそのどれも簡単に手放すわけにはいきません。
 いわゆるがん家系でなくても、食生活に気を付けていても、たばこを吸わなくても、がんになる可能性はゼロではありません。まさか自分はならないだろう……と思っていても、がんの告知は突然やってくることがあります。がんは「特別な病気」ではなく、誰もがなりうる病。ママががんになるのは、映画やドラマの中だけの話ではないのです。
 もしがんを告知されたら今の生活はどうなるのか、またがんでなくとも何かしらの病気を患って入院・闘病生活が始まったら、働くママは何をどのようにしていけばいいのか。私の経験を基に、ぜひ自分事として考えてもらえたらと思います。

藍原育子
編集者・ライター