izumiwakuhito’s blog

あなたでしたらどう思いますか?

樋口恵子が70代で経験した、和式トイレでの死闘「立てなくなりましたァ!」

下記は婦人公論jpオンラインからの借用(コピー)です

昨日できたことが、今日できなくなるのが高齢者。『老~い、どん!』『老いの福袋』などの著書で、高齢者のリアルをユーモアをもって綴る樋口恵子さんは、何をするにもヨタヨタヘロヘロ=「ヨタヘロ期」まっただ中。「老いの冒険」に飛び込むファーストペンギンとして、皆の教訓になるべく(?)、自身の死闘を綴ります。
「老いの冒険」に飛び込むファーストペンギン
いま日本は、ぶっちぎりの世界1位です。
高齢化オリンピックがあったとしたら、堂々金メダル!
これは、全人口に対する65歳以上の割合「高齢化率」のこと。日本は28.7%(2020年9月・総務省統計局の調査)。2位イタリアの23.3%とは大きく水をあけています。高齢化は先進国すべてで起きている現象です。それだけに日本がどう豊かな高齢社会を築いていくか、世界中が注目しています。
かくいう私は現在88歳。ここまで生きて、ようやく平均寿命に達したのですから、少々驚きます(2019年の平均寿命=女性87.45歳、男性81.41歳)。というのも、私を含め、いま80代の人が生まれた1930年代と現在を比べると、平均寿命はなんと7割以上も延びているのです(1935年の平均寿命=女性49.63歳、男性46.92歳)。20歳からを大人の人生と仮定すれば、人生はゆうに「倍増」したことになります。
そこで課題になるのが、人生後半、とりわけ高齢期をどう過ごすか、です。歳をとれば体のあちこちに不具合が起きますし、自立した生活が困難になる人もいます。老後の資金や、どこで暮らすかなど、先々の生活に不安を抱いている方も多いでしょう。
2025年には国民の5人に1人が75歳以上となり、国民の3割が65歳以上、どこを見てもおじいさんおばあさんだらけになります。本当に待ったなしの事実に驚きますが、高齢者世代がマジョリティになる世の中を怖れてばかりはいられません。
私たち80代は、言ってみれば全人類の先陣を切って、しかもけっこうな大人数で、「超・長寿社会」という未知の大海へとすでに一歩を踏み出しています。天敵がいるかもしれない海に獲物を求めて真っ先に飛び込むペンギンのことを、その勇気に敬意を表してファーストペンギンと呼ぶそうですが――気がついたら私たち世代は、「老いの冒険」に飛び込むファーストペンギンのような立場になったわけです。
トイレで死闘――「老いるショック」の教訓
あれは70代半ば頃だったでしょうか。いつものようにあわただしく講演に出かけた際、京都駅0番ホーム近くのトイレに入りました。勝手知ったる京都駅。そこにトイレがあるのは熟知しています(当時のことです)。
入ったトイレは和式でしたが、当時の私は、トイレが何式だろうが気にしていませんでした。用を足して、水を流して一件落着。スッキリした気分で立ち上がろうとしたら――なんと、た、立てない! 立ち上がれないのです!
一瞬、そんなバカなと思いましたよ。でも次の瞬間、冷や汗がたら~り。スッキリ気分はどこかに行ってしまいました。壁には手すりもないし、じめじめした床に素手をつく勇気はありません。膝の角度を変えたらなんとかなるかと思っても、狭くて身動きできず、気持ちは焦るばかり。パニックになりかけて、呼吸も浅くなります。
で、どうしたかというと――。じめっとした床にトイレットペーパーを敷いて、床に両手をついて、なんとかガバッと立ち上がりました。時間にして、ゆうに10分はかかったでしょうか。思い出すのも悲しい「死闘」でした。トイレットペーパーのムダづかいをして、なんとも申し訳ありません!
老いとは、こんなふうに人に不意うちを食らわせるものなのかと、おおいにショックを受けました。昨日できたことが、ある日突然できなくなる。それが、「老いる」ということなのですね。まさに「老いるショック」。
そうやって少しずつ、できないことが増えていく。老いの現実を実感したという意味では、思い出したくはありませんが、私にとってその日は「トイレ記念日」でした。
「この足がダメね」とわたしが知ったから 7月6日はトイレ記念日
――なんて、有名な短歌のパロディの一つも口をついて出てきそうです。
「ドアを開けてください。立てなくなりましたァ!」
あぁ、それなのに5年ほど前、またしても同じ轍を踏むことになるとは!
お悔み事があって娘と一緒に地方へ出かけ、帰りにトイレを拝借しようかと思ったのですが、見るからに典型的な日本建築。もしかして和式かもしれないと思い、我慢して近くのスーパーマーケットに行くことにしたのです。思えばこれが痛恨の判断ミスでした。
二つあったトイレは、なんとどちらも和式。でも自然の呼び声が差し迫っていたので、とるものもとりあえず用を足しました。そのあと、やっぱり立てない!
足は痛くなるし、個室の壁面はツルツル真っ平らで、掴む場所はどこにもありません。そのとき、コツコツと生意気そうなハイヒールの音が近づいてきました。長いので心配して見に来た娘なのか。
「ヒグチさ~ん! ヒグチさんだったら、このドアを開けてください。立てなくなりましたァ!」と大声をあげました。ややあって鍵を開けてあったドアが開き、仁王立ちしている娘の姿が。しょっちゅうバトルを繰り広げている親子ですが、このときばかりは娘の《仏頂面》が《仏様》のご尊顔に見えました。
私は日頃から、「高齢者よ、町へ出よう」と提唱しています。なるべく人と交流し、張り合いをもって暮らすことが、認知症や歩行困難などの予防になると思うからです。社会に高齢者が生きる姿を可視化することが大切です。それが結果的に高齢者たちの医療費を減らし、高齢社会のために使われる財源を守ることにもなります。
でも外に出るには、安心・安全なトイレがあちこちにあることが不可欠。車椅子が入れるバリアフリーのトイレを完備している場所もありますが、それだけでは足りません。まずは公衆トイレの洋式化を進めていただき、せめてとりあえずの措置として、「すべての公共の場のトイレに手すりを」を合言葉にしていただきたいのです。
国連が2015年のサミットで採択した「持続可能な開発アジェンダ」。合言葉は「誰も置き去りにしない社会を」で、持続可能な開発目標SDGsエスディージーズ)として、17の目標をあげています。
ジェンダー平等」はもちろん入っていますし、そして6番目の目標は「水と衛生へのアクセス」。世界には、トイレや公衆便所など基本的な衛生サービスを利用できない人が約42億人いるとか。
その問題が先決には違いありませんが、私たち先進国においても、体力の衰えた高齢者が立ち上がれなくてトイレの個室に「置き去り」にされないよう配慮していただきたいと思います。「ヨタヨタヘロヘロ」を自認する虚弱期に入りました
私は、同志たちとともに1983年に、「高齢社会をよくする女性の会」を結成。当時50代だった私は高齢者や介護の現場の方の声に耳を傾け、介護保険を実現するなど活動してきました。そうこうしているうちに私自身、前期高齢者を経て、正真正銘の後期高齢者に。「老い」の当事者になってみれば新たな発見もあり、「これは困った!」「これはありがたい!」「こういうことだったのか!」と、日々驚いています。
誰もが別に好き好んで老いてきたのではありませんし、毎日のように初めての経験が待っているので不安だらけ。だからこそ、「老いという未知の世界」へ冒険に乗り出すのだと考えて前向きに取り組みたい。私も少しずつ体力がなくなってきて、「ヨタヨタヘロヘロ」を自認する虚弱期に入りましたが、この先も好奇心と勇気とユーモアをもって楽しく歩んでいきたいと思っています。
そして初代だからこそ経験する怖れ、寂しさ、孤独に対してもしっかり向き合い、ときには逃げるばかりではなく涙を流したっていいではないか――。ただ、初の経験者として一定の申し送りをすることは、後の世代が老いに崩されないための一種のワクチンになるのではないか――。ファーストペンギンとして、いまこそ伝えておくべきことがあると思うのです。
若い方のなかには「日本の制度は高齢者に厚く、若者にやさしくない」と考える人もいるようです。でも、人は必ず老います。老いも若きも知恵を出し合って、この冒険を成功させるしかないのです。
私の本『老いの福袋』には、老いの時期を楽しく快適にするアイデアもあれば、ちょっぴり怖い現実も出てきます。超高齢社会の課題を乗り越える知恵も紹介しています。
高齢者だけではなく、老いた親を持つ子ども世代にとって役に立つ話題も取り上げています。いわば「老い」に対する免疫をつけるサプリメントのような本ですから、ここで「老いの不安」をちょっと先取りしておけば、「ころばぬ先の杖(知恵)」となり、不安解消の一助になるでしょう。
天寿をまっとうするまでの時間が2倍になったからには、そのぶん、幸福な時間も2倍に増えてほしいものです。私の見聞きしてきたこと、そして老いの日々の体験が、多少なりともそのお役に立てたら、これほどうれしいことはありません。
※本稿は樋口恵子『老いの福袋-あっぱれ!ころばぬ先の知恵88』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
老いの福袋
作者:樋口恵子
出版社:中央公論新社
発売日:2021/4/20
出典=『老いの福袋―あっぱれ!ころばぬ先の知恵88』(樋口恵子:著)
樋口恵子
評論家・東京家政大学名誉教授