izumiwakuhito’s blog

あなたでしたらどう思いますか?

橋田壽賀子が遺した言葉「好奇心が枯れるまでよく生きて、上手にサヨナラしたい」橋田寿賀子×上野千鶴子

下記は婦人公論.jpからの借用(コピー)です

渡る世間は鬼ばかり』などを手がけた脚本家の橋田壽賀子さんが、4日、亡くなりました。享年95。何度も『婦人公論』にご登場いただいた橋田さんですが、2019年には「死」についてのテーマで対談に応じました。対談相手は介護現場の取材を通し、ひとり暮らしでも最期まで笑顔で過ごせる生き方を考える社会学者の上野千鶴子さん。考えを異にするお二人が、橋田さんのお宅で意見を交わした際の記事を再掲します。(構成=篠藤ゆり 撮影=藤澤靖子)
クルーズ船上で命拾いして
上野 今回、このテーマでぜひ橋田さんとお話ししたいと思いました。お引き受けいただき、ありがとうございます。
橋田 なかなかお目にかかれない、珍しい方ですから(笑)。ぜひ一度、という欲がありました。
上野 なんでも今年の2月に、大型客船飛鳥IIのクルーズ中に死にかけたとか。
橋田 ベトナムに停泊中、船内でバケツに半分くらい下血して、下船しフエの病院に入院させられました。
上野 ベトナムの病院で輸血をずっと続けてくれたおかげで、命拾いしたそうですね。
橋田 導尿や心電図の線にがれて、4日間身動きもとれない。輸血をしても下血が止まらないから、ざるに水を入れるようなもの。通訳を介して「輸血はやめてください」とお願いしたのに、通じないんです。
上野 輸血をやめたら、死んでしまいますよ。
橋田 このまま死ねたらいいと思いました。約30年前に夫には先立たれ、子どもも親戚もいない。人の倍くらい脚本も書いてきましたから、何も思い残すことはありません。
上野 すばらしいお覚悟だと思いました。私は橋田さんとは23歳違いますが、その年齢になった時、そういう気持ちになっているかどうか……。
90までは現役でいたけど
橋田 4日目に日本からドクターを乗せたジェット機が来て、東京に搬送されました。検査の結果、食道と胃の間から出血していたことがわかった。船のレストランで食べ過ぎたので、指を突っ込んで吐いたんです。それでもともとあったヘルニアが破れ、出血がつかえて下から出たと。
上野 命拾いされて、今、どう感じておられます?
橋田 私はもう、94歳です。痛くもかゆくもなかったので、あの時死んだら楽だったなと思います。
上野 本当にそう思われますか? 今、要介護でも要支援でもないし、こんなにお元気なのに……。
橋田 でも腰も痛いし、脚も痛い。
上野 高齢ならそのくらい、当たり前ですよ。(笑)
橋田 90を過ぎてから、ほうぼう衰えてきて……。人に迷惑をかけないうちに死にたいんです。
上野 90までは、そうは思わなかったわけですね。
橋田 それまでは連続ドラマも持っていたし、仕事が忙しかったので。
上野 つまり、90までは現役でいらした。老後ではなかったんですね。
橋田 はい。90になり、さすがに連続はやめ、今は年に1本、『渡る世間は鬼ばかり』を書いています。
安楽死で死にたい」と発信した理由
上野 今回、お会いしたかったのは、橋田さんが雑誌や本で「安楽死で死にたい」とお書きになったから。影響力がおありだから、反響も大きかったですね。
橋田 そんなに影響力ありますか?
上野 もちろんですよ。雑誌で何十人もの方がそのテーマで質問を受け、私もその一人でした。人間の生き死には個人のものだから、自分なりの死に方を選ぼうとする方もいる。でも、何も声高におっしゃらなくても。影響力のある方による「安楽死させてほしい」という発言は、社会的メッセージになりますから。
橋田 人に勧めるつもりはありませんでした。でも個人的には、90歳を超えたら安楽死を選択できるような法律がないかと夢想します。
上野 100歳を超して生きている方は、いっぱいおられますよ。
橋田 その方たち、楽しいと感じているのかしら。
上野 今回の『婦人公論』の老後特集に関して、私は「明るい」とか「楽しい」ではなく、「機嫌よく」という言葉を使ってほしいと注文をつけました。高齢になっても日日機嫌よく、ニコニコして生きておられる方も大勢います。
橋田 でも私はそんなにニコニコして生きたくないですもの。
上野 あら、そう(笑)。どうしてですか?
橋田 じっと座ってご飯を食べているだけで満足な方もいるかもしれませんが、私はその状態を楽しいと思えない。機嫌よく生きられないから、死んだほうがいいと思うんです。
好奇心だけで生きているような人間です
上野 こんな素敵なおうちで、機嫌よく暮らしておられないんですか?
橋田 今はまだ仕事がありますし、お船が好きなので、乗せてもらえるならクルーズにまた行きたいですが。お船に乗るといろいろな方がいらっしゃる。人間観察が大好きなので。
上野 好奇心が強いんでしょうね。
橋田 好奇心だけで生きているような人間ですから。
上野 好奇心は長寿の秘訣です。
橋田 あらっ! じゃあもう、好奇心を持つのよそうかしら。(笑)
上野 まだまだ、生きる意欲や元気がおありじゃないですか。
橋田 それがだんだんねぇ……。最近はプールで泳ぐのもしんどくなってきて、行く回数が減っています。
上野 そのお歳でプールに行くなんて、驚異的です!
橋田 足腰が弱らないように、週3回、トレーナーさんについてトレーニングもしています。
上野 そういうお話を伺うと、まだまだ生きていたいという意欲があるようにお見受けしますが。
「自分が家にいる時は仕事をしないでくれ」
橋田 私は大正14年生まれですから、大正、昭和、平成、とうとう令和まで生きてしまいました。
上野 びっくりしたのは、旦那様は、「自分が家にいる時は仕事をしないでくれ」と言ったとか……。
橋田 その約束で結婚しました。でも考えてみたら、結婚している間が一番仕事をしています。「この時間内に書かなきゃ」と思うと、夢中になって、はかどるんです。それにひとりだと、仕事関係の人と喧嘩して降ろされたら食べていけない。けれど結婚相手がいれば生活の心配がないから、喧嘩してでも意志を通せる。
上野 旦那様は、早くにがんで亡くなられたんですね。
橋田 60歳でした。
上野 橋田さんご自身は、寝たきりになったら生きていたくないというご意志が強い。でも、もし旦那様がそうだったら? 生きていてほしいと思われたのではないでしょうか。
橋田 もし今いたとしたら、意思を書いておいてもらいます。「動けなくなっていても生きていたい? もしそうじゃなかったら、それなりの処置をしてあげるわ」とたずねるかもしれません。
上野 旦那様が指示書を書いておられたとしても、元気な時の意思ですよね。実際に寝たきりになったら、お気持ちが変わるかもしれない。その時になってかなければ、わかりませんよ。
橋田 そうかもしれません。そういう時は、「私もイヤだから、きっとこの人もイヤだろう」と判断しちゃったでしょうね。(笑)
テレビを見るのが楽しくなりました
上野 橋田さんが安楽死について考えるようになったきっかけは?
橋田 仕事が減ったから。仕事がなくなったら、生きていてもしょうがないですよ。
上野 仕事欲も、生きる欲ですよね。
橋田 ところが、その欲が減ってきた。「これを当ててやろう」という気持ちが、今はなくなりました。
上野 このお歳ではもうそんなにギラギラしなくてもいいのでは(笑)? 橋田さんは戦争を経験されて、『おしん』でも戦争について描かれている。戦争中の経験が深く影を落としていると感じます。
橋田 終戦の時ちょうど20歳。青春なんてありませんでした。目の前で友人が機銃掃射で死んだけど、私は死ななかったので、「もうけた命だ」という感覚があります。
上野 命があってよかったと思われました?
橋田 そう思うのは大変でした。でも今になって、「やっぱり死ぬより生きていてよかった。少しは世の中のためになったかな」と。それに何があっても、戦争中に比べればたいしたことない、とも思えます。
上野 だったら、「仕事がなくても、たいしたことない」とはなりませんか? 定年を迎えた後にも生きている方は大勢います。皆さん、別の楽しみを見つけてらっしゃる。
橋田 確かにこの頃、テレビを見るのが楽しくなりました。以前は、テレビを見る暇もなかったんです。
上野 それまでは生産者としてご自分が作りだしてきた世界を、今は消費者として味わっておられる。長生きしてよかったじゃないですか。
橋田 そうですね。それを知らないで死んだら、ちょっとつまらない。でも病気になって脚が動かなくなり、人の世話にならなくてはいけなくなったら、やっぱり生きていたくない。上野 介護保険の保険料も払っておられるんだし、これまで払った税金の額を考えれば、介護保険を上限まで使っても、もとがとれないぐらいでしょう。
橋田 体を触られること自体がイヤなの。とにかく、誰かのお世話になるなんて……。
上野 でもお手伝いさんには来てもらっているのでしょう?
橋田 そうね。(笑)

「よく生きる」とはどういうことか
上野 認知症になったら死なせてほしい、とも書かれていましたね。
橋田 認知症が一番怖い。幸い先日の人間ドックでは、脳はまだ大丈夫ということでした。耳もまだ、補聴器を使っておりません。
上野 悪口がよく聞こえる。(笑)
橋田 認知症になっても、楽しいと感じるのでしょうか。
上野 認知症の方も食事をおいしそうに召し上がるし、お風呂に入れてもらうと、「気持ちいい」とおっしゃる。海や空を見て「あぁ、美しいなぁ」と、日日機嫌よく過ごされる方もいます。
橋田 そういう方は私みたいにひとりぼっちではなく、きっと、会いに来てくれる肉親がいるんでしょう?
上野 そうとも限りません。いろいろです。私は大勢のお年寄りを見てきました。皆さん、ゆっくり下り坂を降りていくのを見て、「あぁ、人はこうやって老いて、こうやって死んでいくんだな」と思います。お話を伺っていると、橋田さんはよく死にたいというより、よく生きたいと考えていらっしゃると感じました。
橋田 その通りです。よく生きたいし、よく生きられなくなったらサヨナラしたい。人のお世話になるのは、今の私には「よく生きている」と、思えないわけです。でも、この先どうなるかはわかりません。人の気持ちは変わりますから。
上野 それを伺って、私は今日、来た甲斐がありました。安心しましたよ。ということは、私はこれから橋田さんの最期まで、じっと見ていなくてはいけませんね。
橋田 うまく死ねるかどうかはわからない。上野さん、見届けてね。
上野 はい、ぜひそうさせてください。
出典=『婦人公論』2019年6月11日号
橋田壽賀子
脚本家
1925年京城府(現在のソウル)生まれ。9歳で大阪府に戻る。日本女子大学卒業、早稲田大学を中退後、松竹に入社。その後フリーの脚本家に。『おしん』『渡る世間は鬼ばかり』などのヒットドラマを手がけた。2015年、文化功労者に選ばれる。著書に『安楽死で死なせて下さい』など
上野千鶴子
東京大学名誉教授
1948年富山県生まれ。東京大学名誉教授、認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長。日本の女性学、ジェンダー研究のパイオニアとして活躍。高齢者の介護とケアもテーマとしている。著書に『おひとりさまの老後』『女ぎらい ニッポンのミソジニー』ほか多数。近著は『人生のやめどき』(樋口恵子氏と共著)、『在宅ひとり死のススメ』