izumiwakuhito’s blog

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「私たちは産む機械ではない!」中国の生育政策に翻弄された女性の悲痛

下記はダイアモンドオンラインからの借用(コピー)です

少子化が加速する中国は、1組の夫婦に子どもを3人まで認める方針を発表した。しかし、国民からは批判的な声も多く上がっている。中国はかつて、厳しい「一人っ子政策」を徹底して実施してきた。これにより強制的な中絶、避妊など苦しい経験をしてきた女性たちは、再三の方針転換にやり場のない怒りを募らせている。(日中福祉プランニング代表 王 青)
中国が「三人っ子政策」導入へ
SNSでは批判コメント続出
 中国は、5月31日の中央政治局会議で、1組の夫婦が子どもを3人まで持つことを認める方針を発表した。国営新華社通信がこのニュースを伝えた瞬間、各メディアやネットサイトが一斉に報じ始め、中国国内で激しい議論を巻き起こしている。SNSではおびただしい量の書き込みがあふれかえった。この件についてのニュース記事は、アクセス数が数十億に達したという。ある時事評論家は、「反響がこんなに大きいニュースは珍しい。予想外だ」と、驚きのコメントをブログにつづっている。
 どのサイトにも批判的なコメントや皮肉な書き込みが目立った。その中には、国の生育政策が幾度も転換した時代を生きてきた女性たちの苦痛の叫びも含まれていた。
 建国期の「産めよ増やせよ」の政策から、史上最も厳しかった「一人っ子政策」が実施された。その後2016年に一人っ子政策が撤廃され、「二人っ子政策」に移行した。そして、ついに「三人っ子政策」に至った。
 中国の生育政策の歩みを少したどってみる。
産めよ増やせよ」から一転
厳しい人口抑制政策へ
 中国は1949年に共産党政権が確立されてから現在まで、約70年間で約5回にわたり生育政策を転換させた。まるで手のひらを返すような方針転換の連続だった。
 まずは、1949~1953年の間、国は国民にたくさんの子どもを産むことを奨励した。1949年の中国の人口は5.4億人。新しい国家の建設と経済発展をさせるため、毛沢東国家主席が「人多力量大」(人口が多ければ力も大きくなる)というスローガンを掲げ、避妊や中絶を禁止する政策を打ち出した。避妊具や避妊薬の輸入も差し止められた。
 また、「たくさん産めば産むほど名誉なことだ」と呼びかけ、10人以上の子どもを産んだら、「光栄ママ」とたたえられた。1953年に行われた中国の第1回の国勢調査では、人口が大幅に増え、6億人に達した。
 その後、1954~1977年には、「(子どもは)1人は絶対いる、3人は多い、2人はちょうどいい」と、これまでの政策にややブレーキを踏むように、生育を抑制する方向に転じた。
 そして、1979~2015年、史上最も厳しいと言われた「一人っ子政策」が実施された。この36年間で苦しめられた女性や家庭はとても多い。
「産めば職場から追い出される」
女性たちの壮絶な苦悩
 都会ではほとんどの夫婦が共働きのため、第2子の妊娠に対しては職場が「監視の目」の役割を果たした。また、職場だけでなく、行政の末端組織である居民委員会も住民を厳しく監視し取り締まった。
 いったん妊娠が判明したら、逃げ場がない。職場からも居民委員会からも中絶するように責められる。逆らえば、勤め先から解雇される上、莫大な罰金を科される羽目になる。共産党員なら間違いなく除籍だ。一瞬にして人生が変わってしまう。
 筆者の上海にいる友人は、一人っ子政策が実施されていた頃、ある大学の付属病院で外科医として働いていた。当時20代後半だった彼女は、実力もあり、将来を有望視されていた。そんな彼女には当時3歳の娘がいたが、第2子を身ごもった。
「産めば、職場から追い出される。再就職もできず、将来は真っ暗だ……」
 産むべきか、産まざるべきか。ずいぶん悩んだ。結局、彼女は出産を諦めた。
「本当に厳しかった。どうしようもなかった。あのときのことは思い出したくない。私のような女性がどれだけいたのか……。これは運命というのか」
 もうすぐ50代になる彼女は、このように振り返る。
 当時は「小さな手術で、すぐ終わる」と、人工中絶の手術を勧められたという。上海市内はどこの病院も、朝は手術を待つ女性で産婦人科の廊下が混み合っていた。手術室といっても、医療機関は今ほどきちんと整備されていなかったので、仕切りのカーテンなど一切ない大部屋で行われることも多かった。そして、手術は麻酔なしで行われた。術後、婦人病を患ったり、何らかの不調が続いたりする女性も少なくなかったようだ。
 年に2回、産婦人科による超音波検査の結果の提出を義務付ける地域もあった。
至るところに過激なスローガン
一律に人工中絶を行った地域も
 都会と比べて、農村の状況はもっと過酷だった。男の子が労働力となり、家を継ぐという伝統的な習慣があるため、農村の女性は男の子を産まなければ、家族からも村の人々からも白い目で見られる。そのため、国は農村部に関しては、1人目が女の子であった場合は、2人目の出産を認める方針を打ち出した。
 ところが、女の子も「1人分」に数えられるため、生まれてきた女の子の赤ちゃんを遺棄したり、死なせたりすることが多かった。ある女性は、自分が産んだ女の子の赤ちゃんを、夫の家族に無理やり奪われて遠くの地に連れていかれてしまった。その後、子どもの行方は分からず、一生会うことはなかったという。また、取り締まりから逃れるため、妊婦を山に隠したり、遠く離れた親戚の家に身を隠したりすることも度々あった。
 当時は、農村を中心に、「一人っ子政策」を宣伝するスローガンが、横断幕や塀など至るところに書かれていた。これらのスローガンは、非常に過激なものばかりだった。
 例えば、
「寧可血流成河、不准超生一个」(たとえ血が川のように流れても、1人たりとも多く産んではいけない)
「一人超生、全村結扎」(1人でも超過して産んだら、村ごと結紮【けっさつ】※するぞ)
 編集部注※ここでは避妊手術のこと
「该流不流、〓房牽牛(〓の文字は手へんに八)」(中絶を拒否したら、家を壊す、牛を没収する)
 などなど。
 こうした文言からは、当時の殺伐とした社会の空気がうかがえる。
 人口抑制の機運が高まる中、1991年、山東省冠県など複数の地域ではある運動が起こった。
 それは、「百日無孩(百日ゼロ出産)」というもの。1991年の5月1日~8月10日の100日間で、子どもを1人も産ませない、という目標を掲げて行われた運動だ。この期間、妊婦であれば初産も第2子も関係なく、一律に人工中絶が行われた。出産間近だった女性も免れることができなかったという。
 最近、中国のSNSでは当時、冠県の党の書記を務め、この運動を起こして多くの女性を被害に遭わせた元幹部の責任を問うべきという声が多く上がっている。
手術で体内に避妊具を埋め込み…
子宮に傷がついた人も
 また、一人っ子政策が行われていた当時は、多くの女性が一人目の子どもを出産した後、これ以上の妊娠を防ぐためにIUD(子宮内避妊用具)を体内に入れる手術が頻繁に行われていた。数十年前にこの手術を受けて、リング(IUDのこと)が今も体に残ったままの女性は、2600万人にも上るといわれている。この事実が徐々に明らかになってきたのは、メディアやSNSなどで報じられるようになってきた近年の話である。
 2014年、中国の若手女性芸術家の周〓静さん(〓の文字は雨に文)は、母親が子宮がんと診断されたときにはじめてIUDの存在を知った。二十数年間も体の中にあったリングを取り出す際、激痛に耐える母親の顔と大量の出血を目にして、周さんは多大なショックを受けたという。以来、彼女はIUDに注目し、300種類以上のIUDを集めて展覧会を開いた。「この2600万人の母親たちのことを忘れてはいけない、IUDは彼女たちの健康を脅かしているのだ」と、社会に訴える活動をしている。
 当時IUDを体内に入れられた女性が、年を取ってから子宮穿孔や子宮摘出などに至るケースが後を絶たない。「まるで時限爆弾を抱えているようだ」――、現在このような女性たちの健康状態は社会問題になっている。
「中国統計年鑑2010」によると、1980〜2009年の30年間で、中国全土で行われた中絶の数が2.75億回。避妊手術は6.61億回で、そのうちの2.86億回はIUD手術だった。
「私たちを放っといて」
三人っ子政策へのやり場のない怒り
 時がたち、中国は経済が著しく発展し、社会環境や生活水準が良くなって、人々の意識も大きく変わった。加えて今、出産適齢の女性たちは、祖母や母が政策によって苦しい経験をしてきたことを知っている。そんな彼女たちの、今回の「三人っ子政策」に対する反応は、冷ややかというよりも怒りに近い。
「私たちは、子どもを産む機械ではない。国の都合で子どもの人数にまで首を突っ込まれるのはもうたくさんだ!」
「私たちを放っといてください。一人でも三人でも、実質的に『計画生育』であることは変わりがない」
 6月2日配信の記事『中国で少子化が止まらない!“三人っ子政策”導入も立ちはだかる「3つの壁」の深刻』でも述べたように、今回の政府の方針転換についての反発には、現在の中国で子どもを育てていくことにいろいろな壁があることも大いに関係している。ただ、その深層には、これまで国の生育政策に翻弄されてきた女性たちの心からの叫びがある。
 当時を生きてきた女性たちは、できればひっそりと「あのつらい過去」を心にしまって余生を過ごそうとしていた。しかし、今回の政策変更はその過去を現在によみがえらせてしまったのだ。体の傷は医療で治せるかもしれないが、最愛の子どもを失った心の傷は、長い時間をかけても癒えることはない。それが母親であるからだ。