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小室圭さん、卒業式欠席で浮上した「友達ゼロ」説…“人脈作りに失敗” で弁護士としての成功に黄信号!

下記はスマートフラッシュからの借用(コピー)です

秋篠宮家長女、眞子さま(29)の “婚約内定者” である小室圭さん(29)が5月、米フォーダム大学ロースクールのJDコース(博士課程)を無事、修了した。7月に司法試験を受けて結果が出るのは10月末。合格すれば、弁護士登録を申請し、来年1月には晴れてニューヨーク州弁護士の資格を得ることになる。

【関連記事:小室圭さんの反論文書に作家・島田雅彦が提言「眞子さまと内縁婚という手も…皇室のスポークスマンになればいい」】

 だが、5月23日におこなわれた卒業式には、ほかの学生が新型コロナウイルスの陰性証明書を取得してまで参加するなか、小室さんはなぜか欠席。卒業アルバムに顔写真を載せることも拒んだという。このことが、「小室さんは1人も友達がいないのではないか」との臆測を呼んでいる。

アメリカで弁護士として成功するには、成績が優秀であることはもちろん、ネットワーキング、つまり人脈作りが何より大切です。

 小室さんに友達がいないかどうかは知る由もありませんが、報道されている彼の大学での過ごし方を見ていると、友達を作る機会が少ないだろうなとは想像できます。そのことが、将来の弁護士活動に影響を及ぼす可能性はありますね」

 自身もハーバード大学ロースクールを修了し、ニューヨーク州弁護士の資格を取得している山口真由(37)さんはこう懸念し、“先輩” としてアドバイスを送る。

「小室さんは、おそらく、JDコースの入試を受けず、1年生を飛ばして2年生から編入しています。いわば “特別待遇” で入ったわけですけど、じつはロースクールでは1年生のときの繋がりがもっとも強いといわれているんです。

 全世界、全米各州から集まった学生が厳しい競争のなかで切磋琢磨するわけですが、その密度の濃さはほかでは得られない貴重な経験です。

 このときのクラスメイトの人脈が10年後、20年後の弁護士活動でおおいに役に立つんです。2年生になると授業は選択制になるので、クラスメイトとは会う機会も減ります。

 2年生から編入した小室さんは、こうした濃密な人脈を作る機会を得られなかったのかもしれません。

 卒業式のインタビューで、『小室さんと1年前に話したけどナイスガイだったよ』と話していた同級生がいましたが、この彼はさほど小室さんとは近しくなさそうです(笑)」

 だが、小室さんには別の人脈作りに非凡な能力があると、山口さんは見ている。

「小室さんはニューヨーク州弁護士の論文コンテストで2位の成績を残しています。このコンテスト自体が抜群の権威があるとは思いませんが、ニューヨーク州弁護士の実務家とネットワーキングを作る一環として論文に応募したとすると、小室さんはセンスがいい。

 自分を評価してくれる人を見つけて、そこにガッツリ食い込んでいく。こうした自分をアピールする彼の能力は、今後の人脈作りに役に立つと思います」

 そうはいっても、アメリカでの人脈作りには日本とは違った壁があると、山口さんは続ける。

「家柄やそれにともなう親の人脈が重視されるところがあります。アメリカのエリート集団はある種の狭いサークルで、そういう嫌なところがあるんです。そこに、アジア人である日本人が食い込んでいくのは、そう簡単じゃありません」

 だが、小室さんには、そうした壁を乗り越える強力な “カード” があるという。

「日本のプリンセスの婚約者であるというカードです。アメリカという歴史のない国は、ロイヤル・ファミリーに強い憧れを持っています。もし、眞子さまが小室さんとご結婚されてニューヨークで暮らしたら、“世界でもっとも歴史のある家” 出身のプリンセスとして、ニューヨークのセレブリティのなかでも注目されるでしょう。

 小室さんも、日本人として異例のポジションを得られる可能性があるかもしれません。それを糧に、弁護士としても活躍できるはずです」(山口さん)

 弁護士としての将来も、眞子さまにかかっているということか。 

意外「和食×オリーブオイル」は腸にいい、簡単4品

下記は東洋経済オンラインからの借用(コピー)です

世界的に著名な自然療法士でオステオパシストのフランク・ラポルトアダムスキー氏。1992年に発表された「アダムスキー式腸活メソッド」は、Google.itの食事法(ダイエット)部門(2017年)で「最も検索されたキーワードのベスト3」に選出されるほど、本国イタリアのみならず、ドイツ、フランス、スペイン、ポルトガル、ベルギー、トルコなど、世界中で話題になっている。
日テレ系列「世界一受けたい授業」(5月22日放映)でも紹介され、「アダムスキー式腸活メソッド」をすべて解説した『腸がすべて:世界中で話題!アダムスキー式「最高の腸活」メソッド』は、日本でも7万部を超えるベストセラーになっており、大きな反響を呼んでいる。
訳者の森敦子氏が本書の翻訳を通して感じたのは、「食べ物は『何を食べるか』ではなく、『何と組み合わせて食べるか』が大事」ということ。
では、アダムスキー氏の提唱する「最高の腸を手に入れるための組み合わせ」はどうやって食卓に取り入れればいいのだろうか? 今回は、本書の翻訳を手がけた森氏が、「和食+エキストラバージンオリーブオイルの腸活法」について解説する。
「オリーブオイル」は腸の「洗浄剤」
「人体の免疫システムの80%を担っている」ともいわれる「腸」。その腸の調子を整えることで美と健康を手に入れる「腸活」が近年話題を集めています。
『腸がすべて:世界中で話題!アダムスキー式「最高の腸活」メソッド』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします。紙版はこちら、電子版はこちら。楽天サイトの紙版はこちら、電子版はこちら)
アダムスキー博士がおすすめしているオイルは、日本でも購入しやすい「エキストラバージンオリーブオイル」。これは熟したオリーブの実を搾った質の高いオリーブオイルで、「天然のオリーブジュース」ともいわれています。
アダムスキー式腸活法」では、腸にこびりついた汚れを溶かすには、「高品質な植物性オイル」や「果物」が効果的だと考えられています。「オイル」には非加熱で多めに摂取すると、たまった汚れを盲腸へ滑らせる効果があるのだそうです。
そのオリーブオイルは「日本食」と味の相性がよいといわれ、和食には腸にいい食品がたくさんあることから、「和食にオリーブオイルをかける」のは、これから腸活を始めようという人に、とてもおすすめの腸活法なのです。
今回はそんな「和食にオリーブオイルをかけて腸活する方法」を4つご紹介します。
「魚×オリーブオイル」は相性抜群
【1】おしょうゆ感覚で「焼き魚」にかける
鮭の塩焼き(写真:kai/PIXTA
おすすめは、「焼き魚」の仕上げに、おしょうゆ感覚でオリーブオイルをかける使い方。ふっくら焼けたお魚の塩焼きと、香りのいいオリーブオイルは相性抜群です。
お魚をオリーブオイルで調理するだけなら、「ソテー」という手もあるのですが、アダムスキー博士が「腸の洗浄剤」としてすすめているのは「非加熱で使用した植物性オイル」。「フライパンにひく」よりも「魚を焼いたあとにかける」ほうが、腸のためにはよいのです。
和風にしたいときは、おしょうゆとオリーブオイルの両方をかけてもおいしいですし、そこに「大根おろし」をそえるのもおすすめです。大根には消化を促進する効果があるので、さらに腸にやさしい一品にすることができます。
【2】「お刺し身」のおしょうゆの代わりもOK
鯛のお刺し身(写真:KimiPIXTA
また、「お刺し身」をいただくときの「おしょうゆ」に「エキストラバージンオリーブオイル」をちょい足しするのもおすすめです。「まぐろ」「かつお」などの赤身のお魚とはとくに相性がいいようにと思います。
オリーブオイルが好きな方なら、「おしょうゆ」ではなく「オリーブオイル」と「塩」だけでいただくのもおすすめです。いつもの小皿に塩とオリーブオイルを溶いてもいいですし、大皿にお刺し身を盛って、そこに塩とオリーブオイルをかけると、レストランのような華やかな一皿になります。こちらは「鯛」などのあっさりした白身だと作りやすいです。
「納豆菌」と「オリーブオイル」で腸内環境を改善
【3】「いつもの納豆」にちょい足しする
ご飯にのせた納豆(写真:shige hattori/PIXTA
おしょうゆや納豆のたれを入れた「いつもの納豆」に、エキストラバージンオリーブオイルを少し加えるのもおすすめです。
「納豆にオリーブオイル」というと少し意外でどんな味になるのか想像しにくいかもしれませんが、納豆の臭みが取れてオリーブオイルでまろやかになるので、かえって食べやすいと感じる方もいると思います。
大豆は定期的に摂取すると「悪玉コレステロール値」を10~15%下げる効果があると言われ、「アダムスキー式腸活法おすすめスーパーフード10」の1つに挙げられています。
とくに、納豆に含まれる「納豆菌」は熱や胃酸に強く腸まで生きて届くため、腸内の善玉菌を増やす働きがあるといわれています。腸内環境を整える「納豆」に、腸の汚れを落とす「オリーブオイル」をかければ、おなかの調子はばっちりです。
【4】「おみそ汁」の仕上げにひと回し
具だくさんみそ汁(写真:shige hattori/PIXTA
洋風のスープの仕上げにオリーブオイルをひと回し加えるように、おみそ汁の仕上げにエキストラバージンオリーブオイルを加えるのもおすすめです。
器に注いだおみそ汁にオリーブオイルをひと回しかけると、湯気と一緒に香りが立ちます。オリーブオイルの香りが強すぎるときは、先に器にオリーブオイルを入れておいて、そこにみそ汁を注ぐとマイルドになります。
「旬のお野菜を使ったおみそ汁」は、それだけでも腸活効果の高い食品として何度か紹介してきました。
大豆製品の中でも「みそ」はアダムスキー博士のイチオシ食材。発酵食品である「みそ」には善玉菌が豊富に含まれています。
そしておみそ汁の具材の「野菜」には善玉菌の餌となる食物繊維が豊富ですので、みその「善玉菌」と野菜の「食物繊維」の相乗効果で腸内環境を改善する効果がさらに高まるのだそうです。
「旬の野菜のおみそ汁」に、腸のお掃除効果のある「エキストラバージンオリーブオイル」を垂らせば、最強の腸活食の完成です。
「オリーブオイルをたくさん摂取すると、油だから太るのでは?」と考える人もいるかもしれませんが、体のむくみやぽっこりお腹、高コレステロールの原因は、「腸の汚れ」が原因となっている場合もあります。
「非加熱のオイルをスプーン1杯飲むよりも、腸が詰まっているほうが、はるかに太りやすい」とアダムスキー博士は主張しています。
「腸の健康」は健康維持には欠かせない
腸には、必要な栄養成分を体に取り込む「消化吸収」だけでなく、不必要な成分を体から排出する「デトックス」の働きもあり、健康維持やダイエットに「腸の健康」は欠かせません。
けれども、「残念ながら『腸』の完璧なシステムが正常に機能することはほとんどない」とアダムスキー博士は話しています。
私たちは人生や仕事のストレスにさらされながら生活し、腸を意識しない食習慣を続けているせいで、消化管全体の流れが遅くなり、消化管の壁に有害な汚れがたまっているケースが少なくないのだそうです。
アダムスキー式腸活法」は「こびりついた汚れから腸を解放」するところからスタートします。オイルを生で摂取することには抵抗のある人は、いつもの食事に「エキストラバージンオリーブオイル」をひと回しかけることから腸活を始めてもOKです。
みなさんも毎日の生活に「エキストラバージンオリーブオイル」を取り入れ、「腸の掃除」を始めてみませんか。
(医学監修:澤田幸男
/医学博士、澤田肝臓・消化器内科クリニック院長)

 

追記:納豆や野菜にエキストラバージンオリーブオイルをかけて食べると便秘は解消します。何年(5年以上)もやっていますから間違いないと思います。健康に害はありません。

久保田智子「20代初めで不妊症と診断。特別養子縁組で迎えた娘に『私がママだよ』と言えた日」

下記は婦人公論オンラインからの借用(コピー)です

かつて、アナウンサーとして報道番組やバラエティ番組などで活躍した久保田智子さん。特別養子縁組制度を利用し、生後4日の女児を養子として迎えたことを2020年の12月に公表しました(構成=平林理恵 撮影=本社写真部)
「私がママだよ」と言えなくて
生まれたばかりのハナちゃん(仮名)がわが家にやってきたのは、2019年1月28日のこと。現在2歳3ヵ月ですが、言葉の数が増えて、会話が成り立つようになってきました。
TBSの報道局に記者として半年ほど前に復職し、娘を保育園に預けながら週5日間勤務しています。忙しくも充実していて、幸せを感じる毎日です。
実は、彼女を迎えた当初は、手放しに「私がママだよ」と言うことができませんでした。どんなに懸命にミルクをあげ、おむつを替え、泣くのをあやしても、自分で産んでいないということが劣等感になり、「母親として振る舞っていいのか」と不安を感じました。
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そして、「私がこの子の親である必然性」を探していたのです。でも、ともに過ごす日々の積み重ねは大きいですね。そこから得られるものは想像をはるかに超えていて、いつのまにかそんなモヤモヤは解消していました。
最初のとまどいは、十月十日お腹の中のわが子と一緒に過ごしていない私に、まだ母性が育っていなかったからかもしれません。でも今は、お腹を痛めても痛めなくても、そこから始まる子育ての日々に変わりはないんじゃないかって思えます。
20代の初め、不妊症と診断
「子どもを産むのは難しいでしょう」とお医者さんに言われたのは20代の初めの頃。不妊症という現実を突然つきつけられ、ショックでした。それまでは、夢は努力すれば叶うと教わってきたし、自分でもそう思ってきた。なのに、私には頑張ってもどうにもならないことがあるんだ、って。
両親に伝えると、平静を装っていたけれど悲しそうでした。母から、「よその子どもを見てお父さんが泣いていたわ」と聞かされた時は、つらくて返す言葉もありませんでしたね。両親は、娘は当たり前のように結婚して、当たり前のように孫ができると思っていたはず。それを叶えてあげられないことに、絶望感しかなくて……。
家族の中ではこの件についてはふれないでおこう、という空気が漂い、私自身も20代の頃は問題を直視しないようにしていました。友人と話す時も、子どもの話題になるのを避けていたように思います。
おつき合いした男性には、子どもができないということを言わないのはフェアじゃないと考え、伝えてきました。そのことを理由に離れていった人はいなかったけれど、常に私のほうが相手を好きになりすぎないように自制していたような気がします。
私は自分が不妊症であることを不幸だと思っていましたが、私とかかわったために相手まで自分の不幸に巻き込むことがつらかった。だから、私が《偏屈で結婚に興味のない人》を装えば、問題は私の中だけで終わる。それが一番いいんだと思っていました。
そのくせ、好きな人と一緒にいたい、幸せになりたいという気持ちもあって……。めんどくさい人間でしょう(笑)? いろいろとつきつめて考えずにはいられない性格なのです。
38歳で結婚。プロポーズの時に告げたら…
そんな私が夫と結婚したのは、38歳の時でした。つき合い始めたら一気にこれは結婚でしょう、という雰囲気に。でも、どういうテンションで、どんなタイミングで「実は私、子どもができないかも」と言おうかと頃合いを見計らっていたら、正式にプロポーズされました。
「今言わなきゃ」と思い、その場で伝えると、彼は「あ、そうなんだ。じゃ、2人で考えていこうよ」と。何事もポジティブに受け止める人ではあるのですが、あまりに軽やかなので、「この人ホントにわかったのかな」とちょっと疑いましたよ。(笑)
結婚を急いだ理由は、日本テレビ政治記者である彼のニューヨーク支局への転勤がすでに決まっていたからです。おかげでトトトーンといいテンポで結婚につき進むことができてよかった。夫が一足先に、私も1年後に退職して渡米しました。
特別養子縁組については、結婚当初から2人で話をしていました。私は、高校の保健体育の授業で制度について教わったことを記憶していましたし、さらに、入社直後に養子縁組をした若い夫婦を追ったドキュメンタリー番組を観て、自分のなかに養子縁組という選択肢が早いうちからあったのです。
一方夫にも、子どもがほしいという強い思いが。だから、私が産めないのなら養子縁組をしましょうというところまでは、日本にいる頃から確認し合っていました。そして、ニューヨークで暮らし始めてからは民間の斡旋団体のホームページなどを見てリサーチを重ね、18年に帰国するや、いくつかの団体の説明会に足を運び始めたのです。
実は、行動はしながらも、この時期の私の心はかなり揺れていました。うちのポジティブハズバンドは、「子どもはかわいい! ほしい!」という感じでしたが、私はちょっと立ち止まってしまった。
どうして養子縁組をしてまで子育てをしたいのか
私たちは、子どもを新生児のうちから育てたいと考えていたため、その可能性が高い特別養子縁組を希望しましたが、斡旋団体の担当者から、「どんな赤ちゃんが生まれてくるかわかりません。健康な子ばかりではないし、とても手のかかる子かもしれない。あなたは責任がとれますか? 愛してあげられますか?」という問いをつきつけられました。
それだけの覚悟を持ってくれないと困ります、ということなのでしょう。でも、まだつながりがなく、生まれてもいない、想像もできない子どもを「愛せるか?」と問われ、まじめに考えれば考えるほど不安になってしまったのです。
子どもを育てたいという気持ちは確かなものでしたが、一方で、夫婦2人だけで生きていくのも幸せじゃないかと問われれば、まったくその通りだと思う。ではなぜ、それでも私は子どもがほしいのか。どうして養子縁組をしてまで子育てをしたいのか。
この「どうしても子どもを育てたい」理由が、「子どもができない自分を克服するため」だったら、養子縁組はするべきではないのかもしれない。自分に問いかけてみたけれど、「克服するためではない」とは、はっきり言い切れなくて。やっぱり、産めない自分を認めたいという気持ちはゼロではありません。
でも、考えに考えた末、それでいいのではないか、と思うようになりました。私の心の中にはいろいろな気持ちがあって、子どもを育てたい理由は複合的。ただ、実親のもとで暮らすことができない子どもをサポートする制度によって、少なくともうちにくる子が幸せになるお手伝いはできるはずです。「どんな子でも大切に育てます」とお返事しました。
こんな迷いの時を経て、ご縁のあった斡旋団体を通して私たちはハナちゃんを迎えることができました。「どうして養子縁組をしてまで子育てをしたいのか」の明確な答えは今も見つかっていません。けれど、子育てをするなかで、この選択が間違っていなかったことだけは確かだと思っています。
自分の家が嫌いだったわたし
養子縁組をしてまで作りたい家庭像は、自分の育った家庭に根ざしているのですか? と聞かれることがありますが、全然そんなことはありません。私は自分の家が嫌いで、「家族っていいな」なんて思ったこともなかった。父はとても怖くて横柄な昭和のお父さんでした。何を頼んでも「ダメだ」の一点張り。子どもの頃は会話をした記憶がほとんどありません。
一方母は弱い人でした。理不尽な父を前に、私を守るすべはなく、「とにかく耐えなさい」と。また、私が何かに挑戦しようとすると、「できるわけない」と決めつけ、失敗したらどれだけ大変なことになるかを説くような人でした。
私は小学校の頃は勉強があまり得意ではありませんでしたが、中学に入ると英語に夢中になって。家でリーディングの練習をしている私に、母は「下手な発音ね」と言いました。そんなふうに否定され続け、自分の居場所はここにはないとずっと思っていたのです。
家族って本来、もっと温かいもののはずだ、と思うようになったのは、16歳でカリフォルニア州にホームステイをした時のホストファミリーが素敵なご夫婦だったから。2人は私を、ほめてほめて、ほめまくるのです。そして何をするにも「トモコはどう思う?」と意見を聞いてくれる。ご夫婦はいつも仲が良く、居心地が良かった。
そんなホームステイ先から自分の家に帰ってくるとこみあげてくる、「私の居場所はここではない」という思い。最初は、この思いが何に起因しているかがわかりませんでした。でも、その後毎年、そのご夫婦のところにホームステイさせていただくようになり、私は両親ともっと話をしたかったんだということに気づいたのです。大学生になる頃には、自分から話しかけることで少しずつ父との会話が増えていきました。
父も母も、親らしくあろうと一所懸命だった
さらに時を経て結婚後、ニューヨーク滞在中に通ったコロンビア大学の大学院でオーラルヒストリーを学んだことも、親子の関係修復に役立ちました。
オーラルヒストリーとは、歴史的な出来事の関係者が当時何を考えていたのかを直接聞き取って記録を残すという、歴史研究のための手法で、私は被爆者へのインタビューを研究テーマにしました。両親と歩み寄るためにその手法を利用し、それぞれの話を聞く時間をとってもらったのです。
父が自分の気持ちを伝えるのが下手なのは、愛情を十分に受けて育ってこなかったから。そして、母がネガティブなことばかり言うのは、母自身が親から肯定された経験がなかったから。
両親の育った背景にまで思いを巡らし、理解することができてからは、親子関係は良好です。父も母も、やり方がわからないのになんとか親らしくあろうと一所懸命だったんだろうな、モデルがなくてさぞ大変だったろうな、と今は思います。
自分の家族のことをお話ししたのは、血のつながりって何なのだろう、と思うからです。私は血のつながった両親のもとで育ったけれど、幸せな幼少期とは感じていませんでした。私の家族は、「血縁」でつながっていたとは思わない。私が大人になり、歩み寄って話をするようになり、「ああ、そういうことだったのね」と理解し合うことで、絆が強まっていったのです。もしも「血がつながっているのだから、わかり合えるはず」と血縁だけに頼っていたら、たぶん家族みんなが孤独なままだったでしょう。
今、血のつながりのないハナちゃんを通して、私は父や母が本来持っている人間的な優しさや愛情を感じています。昔は距離を感じていた両親が、特別養子縁組で養子を迎えることに賛成してくれ、こんなに仲良く過ごせていることが、本当にありがたいです。
夫と私とハナちゃんは、別々の人から生まれた3人が集まった3人家族。当たり前の家族ではないと意識することで、より強い絆を毎日少しずつ作っていけたらいい。
私たちにとって絆というのは、日々の一瞬一瞬が積み重なってできていくものです。2020年の4月には、初めて彼女のほうから「ママ」と呼んでくれました。自分は彼女にとってかけがえのない存在なんだとわかった今は、自信を持って「ママだよ」と言うことができます。
ハナちゃんがうちに来た日から毎日写真を撮り続けていて、一緒にお出かけした場所とその日のハナちゃんがそこにはちゃんと残されている。私は産んではいないけれども、生後4日から彼女を見ている。
お花見も、運動会も、動物園にも一緒に行きました。毎日一緒にいるという、この積み重ねに意味がないはずないですよね。いつかこの写真を、ハナちゃんに見せてあげようと思っています。

いつか「真実告知」をする時のために
アメリカにいた時はまったく感じなかったけれど、日本に帰国してから身に染みたのは、養子に対する社会の理解がまだ十分に進んでいないということです。アメリカではテレビドラマなどでも普通に出てくる親子の形なのですが、まだまだ日本では特別なことなのですね。
養子縁組をした当初は、積極的に周囲の方にお話しするようにしていたのですが、戸惑われることもたびたびありました。「すごいね」とか「偉いなあ」という反応もあった。相手に気を使わせるのが心苦しく、だんだん話さなくなっていったのですが、私たちはポジティブな選択をしたのに、隠す必要があるの? という気持ちも強くて。2020年末、世間に公表することを決意したのは、「養子はかわいそう」「養子を育てるのは大変」という既存の価値観や先入観が払拭され、もっと理解が広まってほしいという願いからです。
いずれ、娘には「真実告知」をする時が来ます。「真実告知」とは、彼女の出自と、私と夫とは血縁関係はないことを告げるプロセスで、どのタイミングでどんなふうに知らせるかに特に決まりはありませんが、私は早い段階から徐々に伝えていくつもりです。
彼女を産んでくれたお母さんは、自分で子どもを育てることができない状況でした。でも、産むことを決意し、彼女のことを第一に考えて手放す決断をされた。その方に対して、私は感謝しかありません。娘には、私がどれだけあなたを大切に思っているかとともに、あなたのことを心から思ってくれる人がもう一人いる、ということをきちんと伝えたいです。
そして、「わが家は特別養子縁組をして幸せだ」と、オープンに語ることも続けていこうと思っています。養子縁組が子どもを持ちたい方の選択肢のひとつとして多くの人に知っていただけるようになり、多様な家族のありかたが社会で認められるようになれば、必ず娘のためにもなると信じています。
出典=『婦人公論』2021年5月25日号
久保田智子
TBS報道局記者
1977年生まれ、広島県出身。東京外国語大学卒業後、2000年TBSに入社。アナウンサーとして『どうぶつ奇想天外!』『筑紫哲也 NEWS 23』『報道特集』などを担当する。17年、結婚を機に退社し、コロンビア大学大学院にて修士号を取得。20年にジョブリターン制度を利用し、報道記者としてTBSに復帰した 

耐える結婚はもうイヤ! 離婚した人としなかった人それぞれの結末

下記の記事はLIMOからの借用(コピー)です

好きで結婚したはずなのに、いつしか結婚生活に「耐えて」ばかりになっていませんか? 筆者周辺には、夫との結婚生活に悩んだ末に離婚を決意した女性と、離婚しないことを決意した女性がいます。
今回は、彼女たちが周囲からかけられた言葉や辿ったプロセスを見ながら、最終的にどんな決断を下したのかをご紹介。今、結婚生活に悩んでいる人の心に、少しでも寄り添えますように。
離婚を決意し、新たなスタートを切ったAさんの場合
冷めきった結婚生活を終わりにしたいけど…
25歳で結婚と同時に仕事を辞め、その後2人の子供に恵まれたAさん。はたから見れば順調な人生そのものでしたが、夫との関係は冷え切っていたそうです。
「夫は浮気をしていて、そんな夫のことを私も愛せなくなりました。夫は話し合いも拒否で、子供がいる前でも私に悪態をつくようになったんです。もう冷めきっているのに、現実と向き合おうとしない夫が心底イヤになって、本格的に離婚を考えるようになりました」
とは言うものの、10年近く働いていない自分に、子供2人を育てていけるのか…。不安はつきず、結論を出せなかったそうです。
我慢が足りないんじゃない? 周囲の声
Aさんは周囲に相談して賛否さまざまな意見に接する中で、こんなことを言われたそうです。
「誰だって結婚生活では何かに耐えてるのよ。母親として、我慢が足りないんじゃない?」
この言葉に、プツンと糸が切れたとAさんは言います。
「そもそも、結婚って好きな人同士が幸せになるためにするものなのに、『母親なら我慢して当たり前』っておかしいと気づいたんです。もう話し合いもできないぐらい終わった関係なのに、子供のために母親だけがひたすら我慢して家族の形を保ち続けるなんて無意味でしょ。子供と同様、私だって幸せになっていいはずなんです」
この言葉で、自分の本心を確信することができたAさん。ついに動き始めます。
本心に気づいてからは瞬く間に状況が進展
そこからのAさんは、驚異的な行動力を発揮します。まずは仕事を開始。就活は最初こそ苦戦したものの、働きたい意欲を買ってくれた介護施設に採用してもらえました。
肝心の夫との話し合いはまったく進まずだったので、これまで最後の手段として温存してきたAさんの両親に登場してもらったのだとか。親の前では夫もなすすべなく、ついに離婚届にサインしてもらえたそうです。
今では、実家近くのアパートで子供と3人で暮らしているAさん。「1番心配だった子供たちは、離婚後の方がのびのびしています。小さいながら、夫と私の不穏な空気を感じていたのかと思うと、本当に離婚してよかったと思うし、今はとても幸せです!」
不安や恐怖を乗り越えて、一歩踏み出したAさん。「こんなに明るい人だったんだ!」と驚かれるほどの晴れやかな表情に、今の幸せが見てとれます。
離婚せず、再構築することを選んだBさんの場合
いてもいなくても一緒! すれ違う夫婦
Bさんは24歳のときに結婚した後、2度の出産を経て現在もフルタイムで働く女性です。激務の夫とは、顔を合わせて話す時間もなかなかとれない毎日。実質、ワンオペ状態だったそうです。
「日々の家事や育児をするのは、すべて私。学校行事や子供の体調不良で仕事を休まないといけないのも、私です。夫からは感謝の言葉もなく、たまに話せばケンカばかり。もう夫なんていてもいなくても同じだし、むしろいない方が平和なんじゃない?って思い始めたんです」
結婚生活を続けることに意味を見いだせなくなってしまい、Bさんは離婚したいと思い始めたのでした。
「子供のために離婚しない」は言い訳なのか
フルタイムで働いているため、離婚しようと思えばすぐにでもできる経済状態だったというBさん。それでも思いとどまっていたのは、子供が夫になついていたからでした。離婚したい気持ちと、子供のために今の形を維持したい気持ちで揺れていたある日、ネットの掲示板でこんな意見を目にしたそうです。
「子供のために離婚しないっていうのは、言い訳でしょ。自分たちのせいで親が離婚できないなんて、子供にとってはいい迷惑。自分の弱さを子供のせいにしないでほしい」
この言葉を目にして、「離婚しなければならない」と、自分を責めたというBさん。夫と暮らしている家から離れ、しばらく実家で過ごすことにしました。
本当に欲していたものは、離婚ではなかった
実家から仕事に通うようになり、夫との接点は減ったのに充実感がないことに気づいたBさん。そこでようやく自分の本心に気づきます。
「私が欲しがっていたのは、夫から離れることではなく、夫ときちんと話せる関係だということに気づいたんです。夫が私の気持ちを分かってくれないことが寂しかったんですよ」
そこからは、たとえケンカになっても、面倒くさがらずに自分の気持ちを伝えるようにしたそうです。一時的な別居期間を経て夫も反省したようで、以前よりも会話ができるようになったBさん夫妻。今ではお互いに仕事の量を減らし、家族での時間を楽しんでいると教えてくれました。
幸せになれるならどっちでもOK!
夫婦の数だけ事情はあるもの。周囲は好き勝手に言いますが、結婚生活は辞めるのも続けるのも本当に大変です。もし今、苦痛な毎日に身を置いているのなら、今回ご紹介した女性たちのように、まずは自分の本心を見つめる機会を持つことをおすすめ。これまでがイマイチでも、本心に沿ってこれから幸せになっていければ、離婚してもしなくてもOKなんです。

美智子さまが眞子さまに伝えたい「税金への配慮」と国民に寄り添う「終活30年」

下記の記事は週間女性プライムからの借用(コピー)です

平成から令和にお代替わりして2年余り。祝福ムードで新たな時代を迎えることができたのは、上皇さまが天皇として約200年ぶりの生前退位を選択されたからだった。
「昭和から平成へのお代替わりの際は、昭和天皇の葬儀に関連する儀式が1年間続き、国民は自らの判断で経済活動を自粛しました。それをご覧になった上皇ご夫妻は“再び同じことがあってはならない”と憂いていらしたのです。
 上皇さまは、昭和天皇崩御から1年10か月後に行われた『即位の礼』の数日前に“喪儀と即位に関する行事が同時に進行するのは避けたい”と述べられたそうです」
 そう振り返るのは、ジャーナリストで文化学園大学客員教授の渡邉みどりさん。
 美智子さまと同世代の渡邉さんは、日本テレビ放送網に入社後、皇室を60年以上にわたって取材し続けている。
皇室を60年以上にわたって取材し続けている渡邉みどりさん
美智子さまとは『日本記者クラブ』創立40周年記念の会合でお話しさせていただきました。私は、美智子さまのご親戚のひとりと古くから知り合いだったため、そのお話で盛り上がりました。美智子さまからは、私の仕事についても質問していただき、大変名誉なことでした」
 渡邉さんは、'59年に行われた上皇ご夫妻の“ご成婚パレード”や昭和天皇崩御された際の報道番組で活躍する。美智子さまについての著書は15冊を超え、4月には“終活”をテーマにした『美智子さま いのちの旅―未来へ―』(講談社ビーシー講談社)を出版した。
美智子さまの“終活”へのお取り組みからは、私たちも学ぶことがたくさんあります。
 '10年7月ごろ、上皇さまは長年胸に秘められた生前退位のご意向を初めて、ごく一部の宮内庁関係者に伝えられました。“人生の終い方”について、本格的にご家族とお話しされるようになったのは、'12年に上皇さまが心臓のバイパス手術を受けられた後からです」
上皇さまが大きな手術を経験されたことで、美智子さまは“やがて来るお代替わりについて相談しなければならない”とお考えになった。
'12年2月、心臓バイパス手術のため東大病院に入院される上皇さま。これを機に美智子さまは終活を開始
【写真】生前退位のご意向も含め、“人生の終い方”について話されてきたという美智子さま
上皇さまが退院されて間もなく、天皇陛下秋篠宮さまを御所にお招きして月1回の“懇談”を行うように。この話し合いをすすめたのは美智子さまといわれており、上皇ご夫妻のみでなく、ご家族や宮内庁関係者も忌憚なく意見を出し合う場でした」
 国民に寄り添い続けてきた美智子さまの“終活”からは国民への配慮が感じられる。
昭和天皇崩御の際、儀式や陵を造営する費用として投じられた国民の税金は、約100億円にも及びました。経済活動の停滞ぶりを目の当たりにした上皇ご夫妻は“国民生活への影響が少ないのが望ましい”と考えられるように。ご自身については“国民のためになるべく簡素にしたい”と、早いうちから準備を進めることになったのです」
 '13年11月、宮内庁は“今後の御陵及び御喪儀のあり方についての天皇皇后両陛下のお気持ち”と題し、葬儀と陵の見直しを発表した。
「経済的な負担を含めた国民生活への配慮と“時代に沿った葬送をしたい”という上皇ご夫妻の意向を受け、約400年ぶりに土葬から火葬へ変更されました。一般社会では火葬が通例であり、上皇ご夫妻が“国民とともに歩みたい”とお考えになっていることも変更の理由でした」
'82年の上皇さまのお誕生日に際した家族写真。'12年から月1回の“家族懇談”が始まった
 陵については、おふたりが抱かれるお互いへの深い愛情が反映されているという。
「合葬を提案された上皇さまに対し、美智子さまは“畏れ多い”とお返事されました。そして、“皇后陵をそれまでのように大きくしないで、天皇陵のそばに置くことは許されることでしょうか”と相談されたのです。その結果、おふたりの陵は同じ敷地内に寄り添うように並ぶ“不離一体”の形となり、敷地面積は、昭和天皇香淳皇后の陵の8割程度となります」
 火葬にすることで儀式を簡略化し、お墓を小さくして建設費用を節約するというのは、国民を第一に考えてこられた美智子さまらしいご判断だといえる。
 美智子さまが30年以上前から計画し始めた“終活”に一生懸命、取り組まれているのは次世代のためでもある。初孫の眞子さまもそのひとりだ。
国民の希望であり続ける上皇后美智子さまの「人生最後の大仕事」終い方の信条、次代へのメッセージを著者ならではの視点で描いた。(クリックするとAmazonのページにジャンプします)
【写真】生前退位のご意向も含め、“人生の終い方”について話されてきたという美智子さま
「'05年の夏、上皇ご夫妻は満蒙開拓の引揚者が入植した栃木県那須町の『千振開拓地』をお訪ねになりました。美智子さまは、ちょうど那須御用邸に滞在中の眞子さまを開拓地にお連れになったのです。眞子さまは母方が満州からの引揚者で、当時は中学2年生でしたが、藤原ていさんの本『流れる星は生きている』をお読みになり、ご存じだったとか」
’19年1月、葉山御用邸前の一色海岸小磯の鼻を腕を組みながら散策された上皇上皇后両陛下
 それから16年がたち、小室圭さんとの結婚に突き進まれている眞子さま。しかし、小室家に関するトラブルが次々と報じられ、結婚反対の国民も少なくない。
美智子さまは、結婚問題を静かに見守っておられます。眞子さまには“私も苦しんで結婚を決めました。あなたも自分で考えて決めたのだったら……”というような声をかけられたと聞いています」
 結婚が確定し、眞子さまが皇室を離れる際には、元皇族としての品位保持を目的とする約1億5千万円の一時金が支給される見込み。だが、原資が国民の税金であるだけに、反発する声も後を絶たない。
「小室さんは、金銭トラブルが報じられてからお金にだらしない印象がついてしまっています。そのため、一時金はおふたりのものにせず、慈善団体や災害復興などに寄付すれば、納得できる国民も増えるのではないでしょうか。
 美智子さまは、ご自身の終活を通じて“税金を使う以上、格段の配慮が必要”と示されてきました。おふたりにも、そのお気持ちを継承してほしいとお考えでしょう」
 美智子さまの“最後の大仕事”は、おふたりの目にどう映っているだろうか─。

認知症にならないためのポイント 早期発見して4つの対策を

下記は日刊ゲンダイヘルスケアオンラインからの借用(コピー)です


 認知症になりたくない。少しでもリスクを下げたい。そう思っている人がほとんどだろう。では、何をすべきなのか? 新潟大学脳研究所の池内健教授に話を聞いた。

 重要なのは、「軽度認知障害(MCI)」の段階で発見し、対策を講じること。MCIは、認知症のような物忘れ、記憶力低下などはあるが、自立して生活できる状態で、認知機能検査でも認知症と診断されるところまではいかない。いわば、認知症の一歩手前だ。

「MCIが100%認知症になるのではありません。ただ、半数ほどにアルツハイマー認知症の病理が既に脳内にあり、何も対策を講じずに過ごせば、約半数が5年以内に認知症に至ります」

 かつてはMCIを早期発見しても打つ手がなかったが、今は違う。

エビデンスのある対策が確立され、MCIを早期発見し、早期に対応を講じれば、認知症に移行しない可能性がある。たとえ移行しても軽症のうちに寿命を全うできる可能性が高くなります」

MCIが疑われる物忘れとしては「まとまった出来事全体を忘れる」「日常生活で困ることがあるが、自立して生活できる」「物忘れが同年代より多いと自覚している」など。

「MCIは、物忘れ外来や認知症外来などを設けている病院で検査できます。そういった外来を受診するのに抵抗があるようなら、『アミノインデックス』という疾患リスクを評価する検査もあります」

 アミノインデックスは食品メーカー「味の素」が開発した検査法。さまざまな疾患になると血液中のアミノ酸濃度バランスが特徴的な変動を示す特性を応用しており、1回の採血で済む。

■「運動」「社会参加」「睡眠」「食事」で対策を講じる

 MCIだと判明したら、行うべきは有酸素運動だ。

「国内外の複数の研究で、有酸素運動が認知機能を維持することが証明されています。激しい運動ではなく、散歩のような運動でも十分です」

WHOが2019年に出した認知症リスク低減に向けた初のガイドラインでは、「65歳以上で1週間に少なくとも150分の中強度の有酸素運動、または75分の激しい有酸素運動」「少なくとも10分の長さ」「さらなる健康上の利益のため、週300分まで中強度の有酸素運動を増やすか150分の激しい有酸素運動」を推奨している。

 次に、社会参加。趣味を持って人と交流する。

「特に高齢男性ではこれを苦手とする人が少なくありませんが、社会との接点を持って脳の知的活動を保つようにすべき」

 睡眠時間の確保もMCIから認知症へ移行させないための重要なポイントだ。睡眠不足は、認知症の発症に関係するアミロイドβを脳に蓄積させる。前述の日中の有酸素運動や人との交流は、心地よい疲れをもたらし、質の良い睡眠にもつながる。

「さらに、食事で複数の栄養素をバランス良く取ることも必要です」

 先に挙げたWHOのガイドラインでは、「地中海風の食事療法(魚介や緑黄色野菜が中心で、油はオリーブオイルなど植物性のものを使う)は、認知機能低下及び認知症のリスクを軽減する」とされており、また果物や野菜の摂取が認知症リスクの低下と一貫して関連していること、魚の摂取量の増加が記憶力低下を防ぐことにも触れられている。ただし、サプリメントで特定の栄養素を取るより、食事からバランス良く栄養摂取をすることが大切だ。

 現在、複数のメーカーが認知症の根本的な治療薬の開発に取り組んでいる。近い将来、認知症に対してもっと積極的な対策を講じられるようになるだろう。その恩恵を受けるためには、現段階では、認知症を進行させない生活習慣を取り入れることが大切だ。

父が79歳で突然「結婚相談所」に入会。いったいなぜ……娘が気づいた“ある異変” 北村 浩子

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筆者の父は、母が亡くなってからの10年間、八王子の一軒家でひとり暮らしをしていた。単独行動を好んでいた父は独居に向いた人だと、筆者も、筆者の妹も思っていた。料理も好きだし、囲碁やゴルフなどの趣味もある。近所の人たちや母の友人たちが、ときどきお総菜などを持って訪問してくれることも安心材料だった。原付に乗って気ままに出かけ、好きなものを作って食べているだろう、プロ野球を見ながら焼酎を飲んでいるだろう。そう思っていた。
いつのまにか「話をしたい人」になっていた父
 異変に気付いたのは父が80歳の、4年前の冬だった。
 連絡をせずに、実家へ帰ったときだった。母の姉、筆者の伯母が来ていた。伯母はなぜかそそくさと帰った。10万円がテーブルに置かれていた。
「返してくれたんだよ」「え、貸してたの?」「困ってるっていうから」
 キッチンの引き出しに入っている家計の通帳を見る。数回に分けて、数十万円が伯母の口座に振り込まれていた。「おばさん、食べ物を持って来てくれたんだよ」と父は冷凍庫を開けて見せた。業務用のソーセージが大量に入っていた。「食べ物がないと困るからありがたいよ」写真はイメージです 
この記事の画像(4枚)
 責められると思ったのか「横浜から八王子まで来てくれるんだよ」と何度も口にする。お金を貸すのは別に悪いことではないから、返してくれているのか聞きたいのだと言っても「この年になると、昔のことを知っている人と話したくなるんだよ」と話を逸らす。
 と思ったら「ほら返してくれたよ」と、電話台の引き出しから数万円としわくちゃのメモを出してくる。日付とサインが書いてあるが、金額は合わない。「きちんと返してもらったほうがいいよ?」と言うと「〇〇のおじさんとか××ちゃんとかの話をしたいんだよ」と親戚の名前を挙げていく。
 そんなに「話がしたい」人だったっけ、家族とはほとんど話さなかったのに、と思ったが、その「証拠」は、実は家の中にたくさんあったのだった。
 ひとり暮らしにはどう見ても大きい洗濯機。使わない部屋にも取り付けられているエアコン。
「どこで買ったの?」と聞くと父は、ここ、と名刺を人差し指で叩いた。〈お困りのことは何でもご相談ください!〉という文字の下に、若男子のイラストが描かれている。八王子市内の電器店だが、近所ではない。「何度も来てくれたから」 
生保、電器屋、証券会社…、次々と出てくる契約と買物の痕跡
 散らばっている名刺を見る。銀行、保険の代理店、便利屋その他。鉛筆で日付が殴り書きされているものもある。おそらく「来てくれた」日なのだろう。ピアノの蓋の上に積まれている郵便物を見て合点がいった。数社の証券会社や生保から「ご契約情報のお知らせ」が何通も届いていた。
「この人、夏に汗びっしょりかいて、自転車で来たんだよ」
 中堅どころの証券会社の名刺を叩いて言う。「そういうの、追い返せないでしょう」
 父は退職金を母に1円も渡さなかった。念願のゴルフ会員権を買って、あとは貸金庫に入れていた。わたしたち家族は、旅行どころか休日にファミレスで食事をしたことすらない。
 けれど汗だくでやってきた見ず知らずの営業マンに、父は100万円分をぽんと出していた。電器屋が勧める通りに家電を買い、親戚には何度も送金していた。
 80になって、父は人を求める人になっていた。お金を、人と繋がる手段として使うようになっていたのだ。
 ひとつふたつ打ち明けたら気が楽になったのか、某メガバンクの名刺をつまみ「この人はさあ、何度も来てくれて、お酒が好きで」と笑いながら話し出した。
「え、うちで飲んだの?」「いい若者だよ」
 その「いい若者」が父に勧めたのが、豪ドル建ての終身保険だった。払込保険料は900万円、契約時のレートは1豪ドル96.27円。先のことは分からないとはいえ、なんて「安い」ときに契約したのだろうと、苦々しい気持ちと腹立たしさが同時に湧いてくる。写真はイメージです 
「いい若者」が勤める銀行の支店へ行ってみた
「いい若者」はもうひとつ、系列の証券会社の口座も開かせていた。100万円分つぎ込まれていた。父に株の知識があったとは思えない。自転車の営業マンにいい顔をしたのと同様、これも言われるがままに買ったのに違いない。
 銀行に電話をした。担当者が替わりました、と若い女性の声が言った。保険の件で相談がしたいと告げ、予約を取って「いい若者」がいた支店へ足を運んだ。 
 応対してくれたのは筆者と同い年くらいの女性だった。父が契約したことはもう仕方がないと思っているが、高齢者が高額の保険の契約をする際に、家族の承諾を得るようなルールはないんでしょうか? と尋ねてみた。
 保険証券をあらため「……たしかに、この場合はご家族の承認を得たほうがよかったと思います」と女性は言った。「でも、すぐにご入用というわけではないのなら、このままお持ちになられたほうがいいです」
 とても感じのいい女性だった。尻拭い的なことは、こういう親身な雰囲気の女性に担当させているのかもしれない。うまいよねえと思ってしまった。すみませんと言わずに申し訳なさを醸す女性の技術は、すばらしかった。
通販でお菓子やワイン、そしてアダルトビデオも
 やがて父は、新聞広告やテレビの通販に電話をかけまくるようになった。実家へ行くと、必ず果物やお菓子の段ボール箱が台所に置かれていた。2ダースのワインを頼んでいたこともあった。ヘルパーさんにお願いして、荷物が届いたら伝票を写メしてもらい、購入先に電話をして返品できるものはし、今後は注文が来ても商品を送らないで欲しいとその都度頼んだ。
「食べるもの、たくさんあるのに」と言うと「ない」と言い張る。「ここにあるよ?」と目の前に差し出しても「ないんだよ。食べ物がないと困るんだよ!」と怒鳴る。よくない兆候だった。
 ほどなくして、電話の対象は通販から馴染みのパン屋さんやケアマネさんの事務所、つまり身近な知り合いに移った。遠慮がちにケアマネさんが教えてくれたところによると、数分おきに着信音が鳴る日もあったらしい。あちこちに菓子折りを持って謝りに行った。父のひとり暮らしはもう限界だった。
 施設探しを始めた。持病で酸素導入をしているため、看護師さんが24時間常駐している施設を探さなければならなかった。酸素の管を装着するのは、とても簡単だが医療行為なので、介助者がやってはいけないことになっているのだ。11か所の特養に申込書を送ったが、要介護3では予想通りどこからも連絡はなかった。なんとかひとつ、受け入れてくれる老人ホームを見つけた。ひと月の年金をオーバーしてしまう額だったが、背に腹は代えられなかった。写真はイメージです
 お世話になっていたヘルパーさんに手伝ってもらい、空き家になった実家の整理を始めた。
 新聞の切り抜きや写真などの紙類、雑誌に混じって大量の封書が出てきた。アダルトビデオのカタログだった。宛名は母。消印は数年前。自分の名前で頼むのが嫌で、母の名前で申し込んだのだろう。そのカタログから注文したらしきDVDも、収納にたくさん詰め込まれていた。ため息が漏れた。
そして結婚相談所にも入会していた
「なんでしょう、これ」  
 小さくたたまれたその紙は領収書だった。〈入会費用の一部として〉13万5000円、日付は27年7月23日。八王子ではなく、隣県の住所。〇〇ブライダル。
 ヘルパーさんと顔を見合わせる。「結婚相談所?」えーっ、と2人して声が出てしまう。平成27年7月、父は79歳だ。79歳で入会したってこと?
「すみません、そちらに父が入会した? ようなんですが」
 問い合わせると、仲人から折り返させますと言われた。十数分後、領収書の収入印紙に押された印鑑の名前の人から電話がかかってきた。
「北村さんの、お嬢さん?」いがらっぽい咳払い。
「長女です。領収書を見つけまして」
「あー、そうですか」
 60代後半くらいの女性だ。また空咳。軽侮が混じっていると感じるのは気のせいか。
「どうして父がそちらを知ったんでしょうか。八王子から遠いですよね」
「こちらからお電話したら、お運びくださったんですよ」
「なぜ電話を? 母が亡くなったことをご存じだったんですか」
「えーと、名簿です、名簿」
 ああ、またか。またセールスか。セールス電話や訪問は特殊詐欺とそう変わらないのじゃないかと、何度も思ったことをまた思う。
「お父様、寂しいって。パートナーが欲しいとおっしゃってましたよ」
 なんて気持ちの悪いことを言うのだろう。
「そちらのHPに、男性は定職のある方のみって記載されてますよね? 年金生活者を入会させたんですか?」
「年金は定収入ですからね。あのねえ、社会にはお嬢さんが思う以上に、寂しいとおっしゃる高齢の方多いんですよ」
 こちらの質問を聞こうとせず、かぶせるように話してくる。自然とこちらも声が大きくなってしまう。写真はイメージです 
入会「した」のか「させた」のか?
「父はいつまで入会していたんですか?」
「お支払いいただいたのは入会金だけですよ。本当はそのあと月会費がかかるんですけど、私は厚意で2年間、女性の情報を差し上げてました」
「厚意? 会費も払わない会員に、厚意で?」
「ええ。お父様真剣でしたから」
 海千山千の声が苛立ちをかきたてる。ちなみに、筆者はかつてラジオでニュースを読む仕事をしていた。あの頃の滑舌を久しぶりに発揮してやろうじゃないの、と挑発に乗るような気持ちになる。
「当時、父は認知症の症状が出始めていたかもしれないんです。お気づきになりませんでしたか?」
「えっ、お父様とてもしっかりしておられましたよ?」
「それは〇〇さんの判断でしょう? 〇〇さん、専門家じゃないですよね。受け答えの感じで勝手に判断して入会させたんですか。高齢者の入会に際して、それはあまりにも」
「させたんじゃなくて、お父様が自分の御意志で入会されたんですよ」
早く切り上げたいという気配が伝わってくる
 遮られて頭に血がのぼる。
「じゃあ、どうして2年で情報を送るのをやめたんですか」
「お手紙を差し上げたんです、退会されますか? って。お返事をいただけなかったのでストップしたんです」
「それでも、丸2年も情報を無料で送ってくださってたなんて親切ですね」皮肉を言わずにはいられない。
「いいご縁があったらと思いましてね。お父様、お嬢さんのことも心配しておられましたよ」笑ってしまった。いくらなんでもそんな場所で、娘の話なんかするわけないじゃないか。
「わたしのことが話に出たのに、高いお金を払う前にご家族に相談されたらどうでしょう、って言ってくださらなかったんですか?」
「それは個人の自由ですよね。知られたくない方もいらっしゃるでしょうし」
 このあたりで早く切り上げたいという気配が伝わってくる。
「とにかく、入会金以外のお金はこちらではいただいてないですし、退会された方の情報は消去するのでこのくらいしかお伝え出来ないんです」
「え、情報消去したのに、こんなに覚えていらっしゃったんですか、父のこと」
「お父様、お元気でとお伝えくださいね」
 咳払いとともに電話は切られた。
 少し前に、ツイッターでこんな内容の投稿を見た。
〈自分の身内が詐欺に合ってないか心配なとき「怪しい電話や訪問はなかった?」と尋ねるより「最近、親切にしてくださってる方いる?」と聞いた方がいいそうです。○○の営業の方がよく話し相手になってくれるとか枝を切ってくれた、というのは危険です。母に今度聞いてみよう。〉
 本当に、本当にその通りだ。身にしみて思う。身にしみすぎて、筆者はもう煮びたしのようになっている。
 来週、また実家の片付けに行く。もしかしたらあの家にはまだ、父が人と繋がりたかった証拠が埋まっているかもしれない。
 それを考えると、すこし寂しくて、すこしこわくて、ほんのすこしだけ、わくわくする。
北村 浩子2021/05/03
genre : ライフ, 社会, ライフスタイル, ヘルス