izumiwakuhito’s blog

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元マラソン選手・原裕美子の告白「食べて吐くために万引きを…摂食障害と窃盗症に苦しみ抜いた15年

下記は婦人公論オンラインからの借用(コピー)です

万引きをやめたいのに、やめることができない。窃盗を繰り返す人の中には「窃盗症(クレプトマニア)」という病気に苦しむ人が一定数いることが、近年明らかになってきている。女子マラソン元日本代表選手の原裕美子さんが窃盗症に陥った背景には、マラソンのための過酷な減量が原因で始まった摂食障害があった(構成=古川美穂 撮影=藤澤靖子)
44キロまで落とすようにと言われ
「食べ吐き」を始めたきっかけは偶然です。私は走ることが大好きで、中学・高校の時は、朝でも夜でも暇さえあれば走っていました。小学校の時イジメに遭ってから対人関係が少し苦手だったので、速く走ることで周りの人が喜んだり、自分を受け入れてくれるのがとても嬉しかった。
ラソン選手は体重が軽いほうが有利です。高校時代は食べた分だけ走って体重を減らす指導を受けていました。当時のベストコンディションは44キロ(身長163センチ)。ところが2000年の京セラ入社時、49キロまで増えてしまって……。44キロまで落とすようにと言われ、思うように体重が減らないと厳しい食事制限を課されるようになりました。
体重測定は1日に4回から6回。社員食堂での昼食は、社員の方たちがパスタやデザートをおいしそうに食べているのを喉から手が出るような気持ちで眺めながら、用意されたたった半玉の蕎麦やうどんで我慢。お茶や水も、体重が増えるからとセーブしていました。
競技を続けるためにはとにかく体重を減らすしかない。ストレスのせいか、当時は毎晩のように金縛りにあっていて、気がつけば、あれだけ大好きだった走ることが嫌いになっていました。
ある日のこと。体重を落とすため、いつものように寮で夜中に隠れてエアロバイクを漕ぐ時、汗をかきやすいようにと先にお風呂で体を温めていました。すると湯船で急に気分が悪くなって、タイルの上に吐いてしまったんです。夕食後にほんのひと口のつもりで炭酸飲料を飲み、気がつくと1リットルも空けてしまったのが原因かもしれません。
お風呂を出てから体重を測ると、入浴前よりも減っていました。その時、頭に浮かんだのはたったひとつ。「やった! これで好きなだけ食べられる」ということ。
それをきっかけに食べ吐きを覚え、以来、毎日の生活がずっと楽になりました。食べたいものを存分に食べられ、全部吐いてしまえば自然に体重も落ち、指導者に怒られることもなくなった。いいことずくめだと思っていたんです。

何年にも及ぶ食べ吐きによって
ーー2005年名古屋国際女子マラソン優勝。同年、世界陸上ヘルシンキ大会6位。07年大阪国際女子マラソン優勝。積み重ねる華やかな戦績の裏では、摂食障害が確実に原さんの心身を蝕んでいった。
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選手として注目を浴び始めると、常に勝たなければいけないというプレッシャーが大きくなりました。周囲から「試合に出るからには優勝じゃないと意味がない」と言われ、自分自身も「絶対に結果を残さなければいけない」と。
毎日ものすごい量の練習やトレーニングをこなしながら、食べ吐きも続いていました。ある時チームのキャプテンに吐いているのを気づかれて、「そんなことを続けていると死んじゃうから、やめたほうがいい」と言われたことがあります。でもその時は競技で結果を出せていたから、そんなことあるわけがないと思っていた。
何年にも及ぶ食べ吐きによって、やがて体力が落ち、ケガも増え、そのケガが治りにくくなっているのに気づきました。私はケガをすると、人より気持ちの落ち込みが激しいタイプなんです。最初は減量が目的でしていた食べ吐きですが、そのうちケガで走れないストレスを解消するための手段としてするようになっていきました。
このままだとまずい。吐くのをやめなきゃ、と思ったことも何度かあります。でも体重が増えて走れなくなることや、怒られることが怖くて、結局やめられなかった。
悩みについてチームの誰かに相談したことはありません。マラソンは自分との闘いだから、自分に勝たなければ他人に勝てるわけがない。ここで他人に頼っていたら競技でも強くなれないと、ずっと思い込んでいた。すべて、マラソン競技と繋げて考えてたのです。

食べて吐くために万引きを…
初めて万引きをしたのは07年、京セラ陸上部が高地トレーニングのために行っている中国・昆明(クンミン)での3週間の合宿中でした。合宿では普段以上に厳しく生活が管理されます。買い物にも許可が必要で、過食して吐くためのお菓子やパンを簡単に手に入れることができませんでした。
食べてもどうせ吐くのだから、無駄なことをしているのはわかっています。でも食べたいものを満足いくまで食べて吐くことは、私にとってつらい毎日を乗り越える唯一のエネルギー源になっていたのです。
宿を抜け出して食べ物を買いに行くたびに怒られ、お財布も没収されました。自分のお財布からこっそり100元だけ抜きとったのですが、それもすぐ底をついて。ある日、残った2、3元を持ってお店に入ると「あれも食べたい」「これもおいしそう」という思いが湧き上がって抑えられなくなり、気がついたらポケット一杯に食べ物を詰め込んでいた。
捕まったらどうなるとか、会社をクビになってしまうんじゃないかとか、先のことは一切頭に浮かびませんでした。
結局、お店の人に見つかって大騒ぎに。外国人の女性ということでその場はなんとか許してもらいましたが、もう二度とこんなことはするまいと心に誓いました。
ところが帰国してしばらく経つと、またしても私は万引きに手を染めてしまうのです。当時は毎晩のように、スーパーでカゴに山盛りの食料を買っていたのですが、レジの人に「異常な量の食べ物を連日買いに来るヘンな客」と思われているんじゃないか、と不安で仕方なくて。だけど食べ物はどうしても欲しい。罪悪感はありましたが、だったらこっそり持ってきてしまえばいいという気持ちがまさっていました。
何度か万引きを繰り返しましたが、偶然、私のファンだという中学生にスーパーで声をかけられたことをきっかけに、「こんなことをしていてはいけない」と思い直し……。京セラを退社するまではしませんでした。

信頼していた相手に裏切られて
ーーその後、故・小出義雄監督が指導するユニバーサルエンターテインメント陸上部を経て、31歳の時、知り合いのAコーチが立ち上げた会社に入社。選手として活動しつつ市民ランナーの指導に従事する。だがAコーチが原さんを含めた周囲の人間から多額の金銭を騙し取っていたことが発覚した。
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Aコーチから、新しい会社をつくるので出資してくれと言われて出したお金、遠征費用の立て替えなど、合わせると1300万円ぐらいになります。相手を信頼していたからこそ、騙されていたと知った時のショックは大きかった。
一部はなんとか取り返したものの、京セラ時代の貯金の大半を失いました。そのつらさを、私はまた食べ吐きと万引きで埋めようとしてしまったんです。
アパートに一人閉じこもり、朝から晩まで食べては吐いてを繰り返しました。もう完全に自分で自分をコントロールできず、食べ吐きと万引きでなんとか精神を保とうとしている状態です。
最初は「万引きなんて絶対にやめよう」と思っていたのに、いつの間にか「あれだけの金額を騙し取られたんだから、この程度のものを取ってもいいじゃないか」「悪いのは全部、私を騙したAコーチだ」と考えている自分がいました。
今思えば、おかしな理屈です。でも当時は受けた心の痛みを理由に、自分の行為を正当化しようとしていた。外に出れば毎回のように万引きを繰り返し、この時期だけでも都内で2回逮捕されています。
すごくつらかったけれど、こんなことは家族にも言えません。一番の相談相手だった姉にさえ話せなかった。一人で泣いて、一人で吐いて、半年ぐらいはそんなふうに過ごしていました。もしもあの時、自分の苦しい思いに耳を傾けてくれる誰かが隣にいたら、どれだけ救われただろうと思います。
詐欺事件からしばらく後に、地元のフィットネスジムでできた友人を通じて一人の男性と出会いました。お付き合いするなかで、結婚の具体的な話もどんどん進んで。万引きも一時的に止まり、彼との新しい生活を心待ちにしていました。
でも、相手方の庭に運動場を作る話を私が断ったんです。私を利用できないとわかってから、どんどん男性は離れていきました。結婚式まで挙げたにもかかわらず、土壇場になって相手の家族も巻き込んだすれ違いがいろいろと重なり、歯車が狂い始めて……。
届けを出す前夜、彼から「入籍を考え直したい」と言われてしまって。極度のストレスからまた万引きが再開し、食べ吐きとともに急激に悪化していきました。

7回の逮捕で絶望して…
ーー原さんはこれまで万引きで7回逮捕されている。17年には初めて事件がマスコミに大きく取り上げられた。その後入院した千葉県の精神医療センターで告げられた病名は、「摂食障害および窃盗症」。治療を受け、一度は回復して退院したものの、翌18年に万引きの再犯で、執行猶予4年保護観察付有罪判決を受けた。
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18年に逮捕された時はもう絶望しかなかった。4畳半の留置場で体の水分が出きったかと思うほど泣いてから、「死んで家族に償わなければ」と考えました。
治療をしても治らない。これ以上生きていても家族をはじめ周りの人を傷つけるだけ。すでに一度執行猶予がついていたので、今回は確実に実刑になる。これまでさんざん親を泣かせて、このうえ刑務所に入ってもっとつらい思いをさせるぐらいなら、早く死んだほうがいいと思ったんです。
首を吊ろうとしたけれど、留置場に紐はありません。そこで両手を頸動脈に添えて力を加えたのですが、咳き込むだけで死ねない。舌を噛んでみたけれど、やはり死ぬことができません。
その後に弁護士さんと会った時、「自殺しようとしたけれど死ねなかった」と話したんです。そうしたら「死ななくてよかった。原さんが元気になって戻ってくることを待っているファンはたくさんいます。それに、原さんが克服することで、同じ病気を抱えている人たちに勇気を与えることもできます。一緒に頑張りましょう」と言ってくださって。その言葉に、涙が止まりませんでした。
「その才能を病気からの回復に向けてください」
公判の時はまず「懲役1年」という言葉が耳に入りました。「ああ実刑だ、刑務所に連れていかれる」。そう思ったら、もう後に何を言われているのか全然わからなくなり放心状態に。
ところが判決理由を読み上げる最後のほうで、裁判官の声が明るくなったように感じたんです。最終的な結論は、なんと執行猶予4年保護観察付というものでした。
裁判官は「自分も市民ランナーとしてマラソン大会に出ています」と言って、こう続けました。
「原さんは、世界で戦えるぐらいに努力する才能を持っている人です。その才能を今度は、病気からの回復に向けてください」
何年もひどいことをしてきた私に、こんな優しい言葉をかけてくださるんだと思ったら、すごく嬉しくて。何が何でも絶対に病気を治してやろうと決心しました。
それに、私のケースがこれからの量刑の相場に影響すると言われたことも、心に刺さりました。つまり自分がここから回復したら、この執行猶予は正しい判断だった。でも、また犯罪を重ねたら、再度の執行猶予は間違いだったということになる。私のこれからの行動がほかの窃盗症の人の人生まで左右してしまうのですから、もう自分だけの問題ではありません。
それ以来、万引きは止まっています。食べ吐きの衝動もだいぶ収まりました。自分自身のこともよくわかってきて、このままだと食べ吐きしそうだな、危ないな、と思ったら、音楽を聴いたり走ったり。信頼している友達に話を聞いてもらうという方法も覚えました。少しずつですが、人を頼れるようになってきたと思います。
走ることを心から楽しめる
ーー現在、原さんは千葉市内の物流会社に勤め、週5日フルタイムで勤務している。夜は居酒屋のバイトを入れ、コロナ禍以前は休日にマラソン大会の手伝いも。
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昼の仕事は倉庫内でパソコンを使いながらの事務作業なんですが、毎日段ボールを扱っていて、手がガサガサ。でも私のことをすべてわかったうえで採用してくれて、感謝しかありません。皆さんとても親切で優しくて、とっても良い職場なんです。
居酒屋のほうも大将と女将さんがとてもいい方で、お二人の笑顔を見ると癒やされます。また、常連さんも皆さん、私の過去を知っても変わらず、温かく接してくださって。むしろ過去を知ってからのほうが親しくなってるかも。
昼間の仕事でどんなに疲れていてもお店に入り大将、女将さん、常連さんの顔を見ると一瞬で疲れが消えちゃうほど、心の栄養補給になってます。私にとって、とても大切な居場所です。
不定期で手伝っているマラソン大会は、今はコロナの影響で中止や延期が多いのですが、走れる体をキープするぐらいには練習も続けています。体重へのこだわりはありません。
走るのは週に半分ぐらいで、やりたくなかったら無理はしない。昨日は天気のいいなかを走っていたら、最高に気持ちが良くて。やっと走ることを心から楽しめるようになりました。私はそんな今の自分が好きです。
「隠さずに生きる」ことが心地よく
3月には、自分の体験を『私が欲しかったもの』という本にまとめました。こうして自分の過去を話すことで、再び家族を傷つけてしまうかもしれない、という不安が頭をよぎることも一度や二度ではありません。
でも、この病の恐ろしさを多くの人に知ってもらい、病気に苦しんでいる人の手助けになりたい、できるだけ寄り添いたくて、恥ずかしいこともさらけ出しています。今はこの「隠さずに生きる」ことが心地よく感じるんです。隠して生きるより、ずっと楽!
もし心に苦しみを抱え、悩んでいる方がいたら、一人で悩まず誰か信頼できる人に思い切って打ち明けてみてください。たとえ直接の解決にはならなくても、心の中のつらいものを受け止めてもらえたというだけで気持ちはずっと楽になります。
話すこと、相談することで、自分は一人じゃないと思えるようになって、前向きになります。今まで一人で抱え、苦しみ耐えてきた人も、少しずつ人を頼れるようになると思います。
私は、五感を使って食事を味わい、楽しむこと、作り手に感謝することを教わりました。朝から晩まで食べ吐きをしていた時には考えられなかったことです。
今、毎回の食事が楽しいです。これって、特別なことではなく、ごく当たり前のことだと思います。でも、私たちにとってその当たり前のことを当たり前にすることがどれだけ難しいかを知っているからこそ、今のこの生活を送れることに、幸せを感じています。
私と同じ病で苦しんでいるひとりでも多くの方に、私の体験が届いてほしい。ほんの少しでも、勇気をもって前に進むきっかけになれば嬉しいです。
出典=『婦人公論』2021年6月22日号