izumiwakuhito’s blog

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遺伝学の劇的進歩が可能にする「老いなき世界」

下記の記事は東洋経済オンラインからの借用(コピー)です

もしいくつになっても若い体や心のままで生きることが可能となったら、社会、ビジネス、あなたの人生はどう変わるのだろうか? 昨年9月に刊行された『LIFESPAN 老いなき世界』で、ハーバード大学医学大学院教授のデビッド・A・シンクレアは、急速に進む老化研究の世界を描き、世界に衝撃を与えた。今回、未来の先端医療技術を調べる「医療未来学」(medical futurology)の第一人者である奥真也氏に、遺伝学の進歩と老化治療の関係について解説してもらった。
老化をもたらす「犯人」は1人ではない
『LIFESPAN』でシンクレア教授が主張する老化の理論は、無批判にすべてが正しいと受け入れられているわけではありません。
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しかし、数多くの老化研究や抗老化研究が世界で同時に進行しているなかで、きわめて有力で重要な仮説の1つとして注目されていることは間違いありません。
シンクレア教授は「老化は治療できる病気である」といいます。そして、20世紀に行われていた老化研究にとって、推理小説にたとえるならば、「1人の犯人」を探していたところに、大きな落とし穴があったと指摘します。
つまり、老化は単一の遺伝子が原因しているのではなく、複合的な要因の組み合わさったものだということです。
「犯人は、チームではない複数の人物だった」というような状況です。容疑者とされた複数の人物としては、「DNAの損傷によるゲノムの不安定化」「テロメアの短縮」「タンパク質の恒常性の喪失」などの9人が名指しされています。
そういった状況を踏まえたうえで、シンクレア教授は、老化とは本質的に「情報の喪失」、より正確には「エピゲノム情報の喪失」であると主張します。
『LIFESPAN』では、ゲノムをコンピューターにおけるハードウェアに、エピゲノムをソフトウェアにたとえています。あるいは、ゲノムはピアノ、エピゲノムはピアニストという比喩も用いられています。比喩には正確さを犠牲にする部分がありますが、じつにわかりやすいたとえと言えるでしょう。
生体の情報には大まかに2種類あります。1つは「A、G、C、T」という4種類のデジタルな遺伝子情報、つまりゲノム情報で、もう1つはさらに上流で制御する「アナログな」情報、つまりエピゲノム情報です。
このエピゲノム(epigenome。epi-はepithelium[上皮]などに使われるラテン語の接頭辞で、上位を指す)が、ゲノム情報を制御します。
DNAの中にある遺伝子情報が老化や抗老化に関連するプロセスを細かく記述していますが、その遺伝子情報を「今回は読み飛ばして!」とか「そこは例外的に繰り返して!」などとエピゲノムが指示しているのです。
ゲノム情報によって、老化に限らず、がんの素因や遺伝性神経疾患の発生に関わる条件などが規定されている訳ですが、それをさらに上流で操っている存在がエピゲノムというわけです。
老化の原因となる複数の犯人は、「クロマチン」という名前で呼ばれる、参謀本部に居座るエピゲノムによって、指図されるがままに動くのです。
ゲノムがすべてを決めるわけではない
つまり、ゲノムは重要な情報ではあるけれど、「ゲノムがすべてを決める」わけではないのです。
このエピゲノムの研究は始まったばかりで、聞きなれない方も多いかもしれません。
この50年、ゲノム解析という分野は画期的な進歩を遂げ、人類はそれをほぼわがものにしました。しかし、ゲノム研究が進んで、ある意味でゲノムが「まる裸に」された状態になっても、まだまだ説明しきれない現象がたくさんあることを、科学者は思い知らされます。
先ほどの推理小説のたとえでいえば、未解決の難事件に、ようやく「エピゲノム」という新たな糸口が見つかったとも言えるでしょう。
老化をコントロールするという点では、食事、生活リズム、運動習慣などがエピゲノムによる制御に関連していることが判明しつつあります。これらのエピゲノム要素が、遺伝子そのものよりも老化に大きく関与しているかもしれないのです。
老化のカギを握る「サーチュイン」という酵素も注目されています。
サーチュインは寿命をつかさどる酵素とも言われ、単純な生物である酵母からヒトまで、さまざまな生物に存在します。酵母研究は歴史が長く、サーチュインの存在が提唱されてから20年以上が経ちますが、老化に深く関わっていることが注目されたのは最近の話です。
われわれ哺乳類の身体の中には1型(SIRT1)から7型(SIRT7)まで、7種類のサーチュインが存在することが知られています。それらの機能が完全に解明されるには、まだ時間が必要です。
シンクレア博士の研究室では、このサーチュインを熱心に研究していて、いくつかの成果は『LIFESPAN』で紹介されています。
このサーチュインや、サーチュインが十分に働くために必要なエネルギー源として知られるNAD(ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド)の全容がわかるときに、われわれは初めて、老化や不死の理解に近づくのだと思います。
老化を食い止めるためにできること
それでは結局、老化は食い止められるのでしょうか? この分野は今まさに激流の真っただ中にあり、明快な回答を示すことはできません。
しかし、少なくともエピゲノムに関する知見は、多く蓄積されてきています。老化しないために気をつけなければいけないことはいくつも見えてきているのです。
それは、適度な運動習慣であったり、過剰なエネルギー摂取を避けることであったりしますが、実のところこれらは、20世紀後半から言われてきたことと大して変わりません。われわれが取り組んでいたことが(意外と)正しかったということでしょう。
ちょっとだけ逆説的な話をすると、老化とがん化のエピゲノムは基本的には非常に似通った特徴を持ちますが、時として、「抗老化」が「がん化」と同じ方向を向く、ということもあります。
無尽蔵に自分と同じ細胞(がん細胞)を作る病態ががんの本質です。老化を防ぐことに成功したことで、細胞のがん化を進めてしまうことも、理屈上ありえます。
老化とがん化の関係性は複雑に絡み合い、単純ではありません。この難攻不落な分野を解明すべく、シンクレア博士も、また、そのライバルの研究者もしのぎを削っています。
抗老化は達成しつつ、でも、がん化を代表とする「悪いこと」は一切起こらないようにする――そんな虫のいいことができるようになるのだろうか? これからも抗老化研究から目が離せません。
奥 真也 : 医療未来学者・医師