izumiwakuhito’s blog

あなたでしたらどう思いますか?

裸の女性患者たちをベルトコンベヤー式に…病棟の入浴風景に呆然 看護実習生の体験談から学べること

下記はヨミドクターからの借用(コピー)です

「寒い、もう帰りたい」と患者が…
 医療療養病棟での看護実習2日目、女性患者の4人部屋に行ってみると、4人とも上半身の衣服をきておらず、タオルがかけられた状態だった。予想もしなかった光景で、言葉がでてこなかった。呆然ぼうぜんとしていると、介護職員らは、病室からストレッチャーで浴場へ、手際よく患者を移動させた。浴場に行くと、看護師と介護職員が入浴介助をしていた。一度に2人の患者しか、洗い場に入ることができない。他の患者は裸にされたまま、ストレッチャーの上で順番を待たされている。「寒い、もう帰りたい」と言う患者の声も聞こえてくる。今日は、女性患者の機械浴(歩行や座る体勢をとるとが難しい患者に対し、特殊な浴槽で寝たまま入浴する)の日だったんだ。
 前回のコラムで、看護師によるナラティヴライティング(臨床現場で違和感を覚えた場面での自分の感情を書いてみること)の取り組みの実際について紹介しました。冒頭の文章も、ナラティヴライティングによるものですが、書いたのは、看護師資格はありますが、まだ臨床経験のない大学院生です。看護実習生として、遭遇した臨床現場の実情と、それに対して抱いた違和感を表現しています。
 この実習生は、自分の目の前で繰り広げられた光景を、「まるでべルトコンベヤーのようだった」と書きました。「患者さんはどんなにか恥ずかしい思いだっただろう」と振り返ります。この場面について、臨床経験のある看護師も加わって話し合いました。
「患者を人として扱う」ということ
 「『ベルトコンベヤー』という表現は、患者さんを人として扱っていないということを示しているよね」「入浴は、人の体をあたため、リラックスさせる時間なのに、これでは本来の意味が果たされていないのではないか」「こういう入浴方法は、むしろ患者の安心につながらない」「裸にして待たせるのは、病棟のスケジュール順守が先にある」「医療療養病棟だから、介護度の高い人が多く、スタッフも少ない状況が背景にある」……など、様々な意見が出ました。そして、たとえ、こうした実態を生じさせている様々な要因があったとしても、やはり「患者の人間性を大切にしてかかわっていく」という看護の基本にまずは立ち返る必要があるのではないか、という意見で一致しました。
話を聞こうとすると、「認知症だから、大丈夫」
 次の三つの場面も、別の実習生が現場に違和感を覚えて記述したものです。
<オムツにしてください>
 自宅で転倒して大腿骨だいたいこつを骨折し、手術後は医療療養病棟に入院している85歳の女性患者。足の筋力低下が見られ、移動は車いすで移乗は全介助。排泄はいせつ は、トイレまで移動すれは自力でできるが、失禁してしまうこともあるため、予防的にオムツをしていた。実習が始まって3日たつが、毎日、病棟ではひっきりなしにナースコールが鳴り、看護師も介護職員もいつも忙しそう。私が休憩から戻って患者さんのもとにいくと、患者さんが自分でトイレに向かうところだった。ちょうど看護師もやってきて、患者に「転んだら危ないでしょ。オムツにしてください」と言った。
<ペースト食をすべて混ぜて口へ>
 意識レベルの低い60代の患者への食事介助。看護師は、主食、副菜、デザート等のペースト食を、まずはすべて一緒にまぜてから、無言で次から次へと口に運んでいく。「えっ、全部まぜちゃ、味がわからなくなってしまう」と思った。せめてどんな料理かを伝えたくて、「今日の献立はお魚の煮付け、ほうれん草のおひたし、ご飯です」と話しかけながら、食事介助をやってみたら、「そんなゆっくりじゃ、どれだけ時間があっても足りないわよ」と看護師に言われた。
認知症だから、大丈夫>
 透析中の患者さんが、何かを言いたそうに周囲を見回していた。スタッフが通るたびに声をかけていたが、発声に困難があり、ほとんど聞き取ることができない。自分にも声をかけてきたので、近づき話を聞こうとすると、看護師から「認知症だから、大丈夫」と言われてしまった。
 臨床現場で実習生が疑問を抱く場面には、共通点が見えます。看護師のかかわる行為のうち、患者を清潔に保つ保清、排泄、食事など日常生活の援助や、患者とのコミュニケーションの場面での出来事が多いのです。今回紹介した四つの場面もそうです。
 実習生は、看護師の一挙手一投足を見て勉強します。看護師が患者へ投げかけた言葉そのもの、あるいは言葉の使い方、患者への向き合い方など。そこに、「患者の人間性が尊重されていない」「羞恥心への配慮がなされていない」といった倫理的課題が含まれているのです。以前の調査で、看護実習を終えた学生に、実習で違和感を持った場面について書いてもらった際にも、似たような場面がたくさん挙げられていました。
患者に近い感覚を持つ実習生から学ぶ
 今回紹介した各場面では、「認知症」「意識レベルの低下」など、意思疎通に困難がある患者だったことも共通しています。認知症を患っていること、意識レベルが低下していることは、患者のすべてではありませんし、患者の人格とは関係のないことです。このような弱い立場の人々の「患者としての権利」をいかに守るか、ということについて、実習生たちが強く意識していることもわかります。
 もちろん、看護師と実習生では立場や責任が異なります。実習生たちは、臨床現場の看護師のように問題の渦中にいるわけではありません。現実と理念の狭間はざまで自分はどうあるべきかと、存在が揺さぶられるような葛藤を経験したこともないでしょう。
 しかしその分、実習生は、現役の看護師と比べ、患者に近い感覚を持っています。そのため、医療現場に潜む課題を、患者に近い目線から敏感に捉えることができるのだと思います。実習生が臨床現場で抱いた違和感は、「どう患者と関わることが倫理的といえるのか」、さらには「看護とは何か」という大きな問いを投げかけ、私たちに考えるヒントを与えてくれるのです。(鶴若麻理 聖路加国際大学准教授)