生死をさまよいながら体験した奇妙な話/コロナ

下記の記事は日刊ゲンダイデジタルからの借用(コピー)です

 昨年8月に新型コロナに感染し重症化した槌田直己さん(57=仮名)。同居していた90代の父親も同時にコロナで失ってしまったが、今回は集中治療室(ICU)で経験した不思議な体験について語ってもらう。あわせてコロナ後遺症で歩行困難となった現在の槌田さんの動画インタビューもご覧いただきたい。
(編集・構成=岩瀬耕太郎/日刊ゲンダイ

 ◇  ◇  ◇  

 昨年8月6日、父のために呼んだ救急車で自分が新型コロナ感染で運ばれてしまった私です。当時は十分感染防止に気を配っていたつもりなのですが、冷静に考えてみると感染してもしょうがない甘い点も多かったですね。もう二度と感染しないよう、感染予防に気を配ると共にワクチンはしっかり接種しようと思います。

 私は入院直前まで体温を測っていたので書いてみます。多くの皆さんも感染してないか確認するために体調管理をされているかと思いますので、私の体温推移を参考にされて下さい。

 入院5日前の8月1日までは朝夕とも平熱である36度くらいで安定しています。変わったのは8月2日からです。2日の朝は早くから出かけなければいけないので5時には起きていました。朝5時の体温が36.7度です。5時過ぎに出かけてお昼くらいに帰ってきましたが、だるくて帰宅後寝てました。その日は私に代わって兄弟が親の面倒を見るために来ていてくれたので私は寝ていられたのです。夕方17:20に熱は36.9度となり、21:10には38.2度となりました。この時が熱のピークです。正直自分では入院前の体調は覚えていませんでした。退院後、兄弟からも入院直前は体調悪そうだったよねと言われて、当時の記録を確認して自分も体調が悪かったのかと再認識した次第です。

 翌3日は朝7時に36.9度、夕方17:40が37.5度、21:20に37.8度。4日は朝7時に36.9度、18:30に37.5度、夜中の24:00に38.0度。5日朝7時に37.5度、18:30に35.6度、21:30に36.9度です。その翌日6日には救急車で運ばれています。

味覚障害はなし

 こうしてみると安定して熱が高かったわけではありませんが、4日連続で37.5度を超えていたのですね。味や臭いの障害はなかったですし、何よりもその当時は父が7月30日から体調を崩しており、父の体調の方が気になって、自分の体調の悪化には気をかけていませんでした。

 私が救急車で運ばれた後は2カ月くらい、何が現実で、何が幻だったのか、わからなくなってます。治療の過程でモルヒネ塩酸塩といった幻覚作用を伴う薬剤を使ったので、少なくとも9月30日(この日に家族の面会があった)までは幻覚がありました。

 では幻覚ってどんな状態だったのでしょう。2か月も幻覚が続いていたので、いっぱい事例があるのですが、心に残っている幻覚と思われる症状をいくつかお伝えします。

寝ても覚めても続く連続ドラマのような感覚

 不思議なことに幻覚は連続ドラマのように眠りから覚めても寝る前の設定が続き、自らが連続ドラマに出演しているような感じです。しかも記憶が鮮明に残っているのです。だからある時期まで自分が覚えている記憶が現実に起きた事と異なるとは気づきませんでした。

 幻覚は入院した最初の治療を始める段階から起きています。そのあたりから書いてみます。私は自らが病院に担ぎ込まれたのではなく、父の付き添いで病院に来ており、サロンのようなゆったりとした場所でソファに座って待っています。それから治療方針が決まって治療室に送り出されます。父が送り出されるはずなのになぜか私が病人として送り出されてしまいます。その後私は自分が新型コロナに感染したことを教えられ治療に入ります。

 治療の説明は教授が教えて下さるのですが、ここで病院関係者から特別な治療をするので相応の寄付をお願いしたいと確認をとられます。命の対価ですから結構な額を求められます。兄弟も了承しているからと言われ、多額の寄付に了承して治療に入ります。

 本格的な治療に入る前にベッドに寝て待っています。待っている病室は隔離された病室なのですが、テレビでよく見るたくさんの医師や看護師に囲まれた集中治療室ではなく、コンテナのように一人ずつ物理的に隔離された個室の中にいて接してくる看護師さんも原則一人です。それも時々状況を見に来るだけで通常は病室に一人で取り残された状態で誰も忙しくありません。

 そして本格的治療に入るのですが、これがビックリです。まず病室であるはずの隔離コンテナが東京の渋谷駅前に設置されています。JRと銀座線の交わる所の下あたりの道路横です。看護師さんは昔流行ったガングロギャルのようなメイクをして歌って踊りながら治療の準備をしています。準備ができたら教授の登場。教授は「今日は人類にとっての新しい日なる。君はその礎だ!」といって治療開始のスイッチを押し、病室であるコンテナの扉が閉まっていきます。私は「やめてくれ~治療は中止だ」と叫びつつ暴れます。

 こんな幻覚を1回だけでなく、何日にもわたって連続ドラマのように見続けていたのです。自分が経験したことが幻覚だと気づいたのは、入院してから何カ月も経った後です。それまでは自分が体験したと思っていることは鮮明に覚えていますから、当然事実だと思ってました。なぜ幻覚だと気づいたかというと、どうも人と話していると状況が異なると気づいてきたからです。自分の記憶が幻覚なんだとハッキリと気づいたのは9月30日の家族との面会の記憶が事実と全く異なるとわかったからでした。
槌田直己さん(撮影)石井俊平/日刊ゲンダイ
拡大する
■救急搬送の約2カ月後にICUで家族と面会

 家族との最初の面会は実際のところ集中治療室(ICU)で行われました。ICUにいながらベッドの上でリハビリを行っているところに家族が来たのです。ベッドから立ち上がろうとして立ち上がれず、理学療法士に倒れかかってしまいました。ところが私の記憶では家族と会ったのは病室ではなく、フィットネスクラブのような場所にベッドを運び、そこに病室から家族が案内されてきたという設定でした。立ち上がれずに理学療法士に倒れかかったのは同じです。最初のうちは自分に残っている記憶の中に幻覚が混じっているなんて、考えもしなかったのです。

■ベッドで寝たままの排便に苦しむ

 幻覚を見ていることに気づかないうちは幻覚の内容が事実であるとの前提で看護師さんと話をします。エクモによる治療の山を超えたあたりだと思います。当時は点滴と流動食を直接胃に流し込むやり方での栄養の摂取だったのですが、なかなか便が出ませんでした。ベッドで寝たままの状態で排便するのは結構大変なのです。出せと言われても出ません。この時の幻覚で、ある看護師さんから便が出たら個人的に自分が持ち帰りたいと言われました。高く売れるんだそうです。排便といえども医療廃棄物です。しかもコロナ患者の便ですからウィルスが残っているかもしれません。私は持ちかけてきた看護師さんに「便を持ち帰るとやばいよ、職場も首になるだろうし、下手すると逮捕だよ」と一生懸命説得しました。説得といっても当時は人工呼吸器が口から肺の中まで入っていて話せません。だからその看護師さんに筆談で「便を持ち帰るな」と説得したのです。訳のわからない文章を見せられて彼女は何を思って対応していたのでしょう。普通に接してくれていたように記憶しているのですが、複雑な気持ちだったのでしょうね。

 こんな事もありました。その頃は自分が目覚めた時どこかにトリップしていることが多かったのです。自分では目が覚めたら毎回異なる場所に居ることは気づいています。トリップ先は四国の高校の購買部だったり、千葉のゴルフ場だったり、東京都内のテレビ局だったり。四国の高校の購買部にいた時の話です。その高校では生徒が工芸品を作って展示販売しているのですが、私はその作品を見て自分でも作れそうだといじくり回して壊してしまいます。そうすると看護師さんから怒られてしまい、私が弁償しますと伝えると「槌田さん、あなたは今病院にいるの。病気で治療しているの。わかる?」と指摘されました。私はよ~く考えて周りを見回すと私は購買部の横のベッドにいます。お金を持ってなくて弁償できないから、看護師さんに「警察に突き出してくれ」と答えるのですが、看護師さんが困った顔をして「麻薬の成分にもなる薬を使っているから……」と答えたのを覚えています。その時始めて私は自分が入院しているのだと理解し、その後の幻覚も自分が入院していることを前提とした幻覚に変わっていくのでした。自分が病気で入院していると気づかせてくれた看護師さんにはとても感謝しています。

■あの世に向かって歩いていく夢

 また不思議な経験をしました。私はいつものようにベッドに横になっているのですが、気がつくと周りにもベッドがあって、そこは病院の霊安室みたいな感じです。寝ていた人が一人、また一人と起き上がって同じ方向に歩き始めるのです。私も皆と一緒に行かなきゃ行けないかなと思ったのですが、ちょっと待って、と考えたら自分が寝ているのはいつものベッドで、自分が立ち上がれない状態であることに気づいて皆について行くことを止めました。入院した最初の頃にも、既に亡くなった祖母や叔父叔母と、祖父や親戚と思われる知らない老人が皆で墓みたいな方に歩いて行くのに私がついて行かない幻覚も見ました。冷静になった後に気づいたのは、皆あの世に向かって歩いていたのかな、ということです。ついて行ってたら私はあの世に行ってしまったと思います。退院後兄弟から聞いた話では、医師の説明によると私の病状はかなり悪く、母、父に続いて3人目の葬儀を行うのかと真っ暗になっていたということでしたから。

 先に書いた渋谷の駅前のコンテナ内での治療の時もそうだったの思うのですが、幻覚を見ていると、その状況次第ではきっと暴れていたと思います。私はよく手足をベッドに縛り付けられた記憶があります。

 ICUに居た期間は様々な幻覚を見ました。訳のわからない文句を言っては抵抗し看護士さんを困らせ、治療に支障が出たので手足をベッドに縛り付けられたのでしょう。看護師さんは皆さんとても優しい方です。相当な理由がない限り、患者を縛り付けることはしません。私の場合、自分で点滴の針を抜いたことは覚えてますし、人工呼吸器をはずそうとしたこともあったようで、そういった事から仕方なく手足を縛られるようになったのだと思います。

 昨年8月6日に緊急入院して、PCR検査が陰性になったのはいつだかわかりませんが、陰性になった後もしばらくICUにいて、その後一般病棟に移り、リハビリ病棟への転院を経て退院となりました。

 私は新型コロナのために半年余り入院したのですが、コロナウィルスのPCR検査が陰性になるための治療というのは1カ月半くらいだと思います。あとの4カ月以上は正常な社会生活に戻すためのリハビリでした。リハビリって長くかかるのですね。