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あなたでしたらどう思いますか?

コロナ禍で水回りの高額請求トラブルが増えた意外な理由、予防法は?

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コロナ禍で増える水回りの高額請トラブル
不動産会社が勧める予防法は?
 コロナ禍で個人宅の水回りのトラブルが増えているという。トラブルの多くはトイレのつまり、水漏れ。他にも台所、浴室の排水管トラブルもある。
「正規の指定業者は同意を得ずに修理を進めることはありません。その時点で警察へ連絡してください」と都内の不動産会社代表は解決法を話す。
 この不動産会社が管理する賃貸物件の中には、修理費用50万円や80万円を支払ったケースもあった。修理内容は便器丸ごとの交換や床の全面張り替えなどで、いずれも不要工事だった可能性が高いと不動産会社代表は話す。
 実は、被害者には共通点がある。水道業者へ自ら電話して工事を依頼しているのだ。要するに、業者からの訪問営業や電話営業を受けたわけではなく自分で呼んだため、心理的な「後ろめたさ」も影響して強く拒絶できなかった可能性がある。
トイレの詰まりを直すはずが
床の張り替えで50万円?
 連絡した業者は、無作為にポストインされている裏がマグネットになっている水道トラブルSOSみたいな業者だったり、地域の水道業者を比較、紹介する○○ナビのようなサイトを見て選ばれた業者だったりのようだ。
 自分が呼んだのだから……という心理的な圧迫感や、トラブル発生の時間帯が深夜だったりというのも、冷静な判断を鈍らせる要素といえる。
 トイレの詰まりで、なぜか床の全面張り替えになってしまい50万円を請求された女性Aさんのケースでは、詰まりを解消した後に、修理業者から「下水管が破損して床に染みだしている。このままだと階下の住人に迷惑をかける」と半ば脅されて、工事を承諾したとのこと。
コロナ禍に水廻りのトラブルが急増中
 女性のほうが責任感が強い人が多く、「他人に迷惑をかける」と言われると、弱いのではないか? と不動産会社代表は話す。業者は、その真面目さを逆手に取り、不要工事まで承諾させた可能性がある。
 Aさんの件は、相談を受けた不動産会社が保険会社と大家に掛け合い、保険で20万円カバーし、大家も10万円を負担してくれたらしく、本人負担は20万円で済んだそうだ。
 しかし、Aさんのケースは幸運なレアケースだと思われる。明らかに不要な工事に保険が適用されることはなく、非がまったくない大家が負担してくれることもまれだからだ。
コロナ禍で水回りの高額請求が増えた
意外な理由
 それにしても、なぜコロナ禍で水回りの修理業者とのトラブルが増えたのだろうか。
「緊急事態宣言や飲食店の時短営業、閉店などで、これまでトイレや台所のメンテナンスの『お得意さん』だった飲食店の仕事が減少したことが一因かもしれません。トラブルになった水道修理業者がすべて悪徳業者かといえばそうではなく、水道局指定業者として東京都のホームページに掲載されている、いわゆる正規の業者もありました」(都内の不動産会社代表)
 確かに著者の自宅にポストインされている磁石付きの業者広告にも「水道局指定」の文字が確認できる。なるほど、これは信用して連絡してしまうのも分かる気がする。
水道局指定店・24時間対応をうたう修理業者
 水道局指定業者が不誠実な工事をふっかけてきたら防ぎようがない。では、どうすればいいのか。
 賃貸の場合は契約している不動産会社、分譲マンションなど持ち家の場合は管理会社へ連絡するのがよいという。万が一、深夜などで連絡ができないときは、加入している賃貸物件保険や火災保険に24時間対応の窓口があるので、そこへ相談することができる。契約保険に水漏れのトラブルをカバーする保険が付帯している可能性があるからだ(契約内容と連絡先を要確認)。
 仮に水漏れに対応できない保険契約だったとしても、保険会社に修理業者を紹介してもうこともできる。
状況によっては
警察への連絡も視野に
 同様の悪徳業者によって、なし崩し的に修理を始められてしまった男性Bさんは、業者がいる間に警察へ連絡して仲介してもらったそうだ。不動産会社によれば、このようなケースであれば、警察に連絡するのもありだという。
 ポストインされる水道修理業者や比較サイトで紹介される業者の多くは真っ当な業者で、悪徳業者はごく一部なのが現実だろう。しかし、リスクを避けるためにも、直接の連絡は避けて、不動産会社や管理会社、保険会社へ連絡するほうがよい。
 水回りのトラブル解決の相場はほぼ決まっているので、管理会社などは、「この修理なら高くても○万円くらい」と相場を把握している。彼らに前もって相場を聞いておくのも有効だろう。
 つまるところ、トラブル発生時に「今すぐ修理しないとつまりが悪化して下水が逆流してあふれ出す」などとマシンガントークでガンガン攻められても、落ち着いて判断することが大切だ。
「見積もりを提示しない」「同意を得ずに工事を始めようとする」業者は要注意。見積もりを提示させるよう徹底することでトラブルを防ぎたい。やや嫌らしいかもしれないが、スマートフォンなどで録音や録画しておくのも後々役に立ちそうだ。

追記:私の所はガス会社の会員登録で毎月200円を自動引き落としをしています。先日トイレの水が流れが止まらなくなり登録したガス業者の会社に電話したらすぐ来て水槽のウキを調節して直りました。料金はいらないと言いました。ついでに物入の扉の取っ手が取れて何とかならないかと相談したらホームセンターに行って買ってきて取り付けてくれました。この時もHCの領収証代金だけで払いました。
少し前になりますが風呂のリホームを考えてHCを含めて5社から見積もりを取りました。見積もりが簡単なところ、契約を急がせるところ、口がうまい人を除いて安くて誠実そうなところ1社に決めて先のガス業者に同じ料金ならあなたの所に決めると言いましたが、この料金ではできないと言われ誠実そうなところ1社に施工してもらいました。結果的には良かったと思っています。

エアコン「内部汚れ」キレイにする正しい掃除術

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エアコンに必要なお手入れ方法をチェック!
エアコンまわりのホコリを取る
エアコンの内外部にはホコリや湿気がたまりやすく、そのまま放置しておくと、カビ臭に悩まされることも。冬季の役目を終えたエアコンのホコリは、今のうちにしっかりと除去しておきましょう。
当記事はマイカジスタイル(運営:花王)の提供記事です。元記事はこちら
「必ず窓を開けて換気をし、電源コードを抜いてから掃除を始めてください。エアコンの本体まわりや吹き出し口、電源コードやコンセント付近も念入りに行います。コンセント差し込み口にホコリがたまると、ショートや火災の要因になりかねません」
本体まわりや吹き出し口は拭き掃除する
前面パネル(吸込グリル)を開いてフィルターを取り外し、周囲に付着したホコリをから拭きします。
「汚れが落ちない場合は、リビング用洗剤(中性)をスプレーした布で拭き取りましょう。前面パネルが汚れている場合、取り外し可能な機種は水洗いができます」
フィルター掃除をする
取り外せるフィルターは、リビング用洗剤(中性)のうすめ液でしめらせた布で拭き取ります。
「フィルターにホコリが付着しているとエアコンの運転効率が悪くなり、電気代がかさむ要因になるので、2週間に1度くらいのペースで掃除をしてください。フィルター自動お掃除機能付きエアコンは、取扱説明書のケア方法を確認して、ダストボックスのメンテナンスを行います。ダストボックスの掃除は年に1回程度が目安ですが、シーズンが終わる時期に汚れがたまっていないかどうかをチェックしましょう」
送風運転で内部を乾燥させる
ほかにも自分でできるお手入れはあるの?
シーズンを終えるタイミングのお手入れに、エアコン内部に湿気が残らないように送風運転で乾燥させます。拭き掃除の後に行うのがオススメです。
「エアコンシーズン終了時期には、1回6時間くらいの送風運転でエアコンの湿気を取り除きます。とくに湿度が高くなる夏場はエアコンの内部にカビが発生しやすいので注意しましょう」
Qエアコン内部のクリーニングは必要?
A「エアコン内部(フィルターの内側)にホコリがたまっていると、通常よりも多くの電気が必要になるだけではなく、運転負荷がかかり故障の要因に。しかし、市販の洗浄剤スプレーを振りかけたり、内部を掃除したりすると、故障や発煙、発火の原因となりますので、販売店、専門業者やメーカーサービスにクリーニングを依頼したほうが安心です」
Qクリーニングに最適な頻度とタイミングは?
A「エアコンの使用頻度や住環境により異なりますが、平均すると1〜2年に1回ペースでのクリーニングが理想です。クリーニングの時期は使用前でも後でもかまいませんが、希望日に予約が取りづらかったり受け付けをしていなかったりする場合もあるので、春先や秋が狙い目です」
Qどんなことをしてくれるの?
A「当社サービスではエアコンの動作点検後に高圧洗浄機を使って、熱交換器や送風路などを洗浄、そのほかグリルやパネルなどの細かい汚れを拭き取り、乾燥させ、動作確認をします。フィルター自動掃除機能付きのエアコンは、本体をお預かりし、据え付けた状態では届かない部分まで洗浄します。
メーカーサービスや業者によって内容は変わってくるので、問い合わせ時に掃除内容の詳細を確認しましょう。室外機の掃除は基本的には必要はありませんが、異音や汚れが気になる場合は、販売店、専門業者やメーカーサービスに相談しましょう」
正しい方法でエアコンのお掃除をすれば、電気代の節約につながるだけではなく、エアコンの持ちがよくなります。家庭でのこまめなお掃除に加え、定期的に販売店、専門業者やメーカーサービスによるクリーニングも取り入れるのがよさそうです。

追記:昨秋、我が家では10年近く使っている2台のエアコンを家電量販店修理業者に掃除をしてもらいました。オートクリーン装置がついているので安心していましたがすごい量の埃だ出ました。室外機を含めて2時間くらいでした。料金はそんなに高くなかったと思います。

「女性が逃げ出す地方は消滅する」コロナ禍でも東京一極集中が止まらないワケ

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当事者不在の会議で問題解決は困難
最近、森喜朗さんの発言が話題になりましたが、地域関係の会議もいまだ女性比率、若者比率は少ないものです。
事務局配慮により若者と女性が意識的に委員に入れられることもありますが、あくまで一部。女性枠、若者枠なんて言われ方をするくらいであり、マイノリティー扱いです。主体は学識として大学教授、各業界団体のトップなどです。結局高齢の男性であることが多いため、会議写真をみれば白髪の方々が並ぶことになります。
高齢男性が悪いとはいいません。彼らが覚悟をもって決めるべきこともあります。が、こと人口流出、少子高齢化などについては、地域を離れて上京した当事者たる若者や女性から話を聞かずして、どうして解決ができるか、と思うのです。
当事者がいない中で、課題解決を図ることなどはできないのです。さらに出ていく人たちが考える地域の課題すら解決できなければ、外から若者や女性にその地域に来ていただくことも難しいのは言うまでもないのです。
地域の変革よりも、棚ぼたを期待する人たち
昨年のコロナ禍の流行が始まった頃に「もう過密の東京は危険だから一極集中は終わる。そうすれば地方に人が流れてくる」といったような大変都合のよい幻想を抱く方がかなりいました。
結果は2020年、東京都人口は約8600人の増加。転入減少の中身をみても外国人の占める割合が多く、地方から東京への移動が減ったというのは限定的です。さらに東京から出ていった人たち半数は、行き先が埼玉、千葉、神奈川であり、東京圏で見た場合、約10万人の転入超過となりました。
実際問題、東京が何か悪いことをして地方から人を強奪しているわけではありません。東京と地方を比較した時に「魅力的ではない」部分が地方側に存在し、それを解決することがなければ、新たな成長を作り出すことは無理なのです。
こうした地方の解決は十分に可能なはずなのです。しかし地方の可能性すら信じていない方もいるのも事実です。
そもそも東京が悪くなって地方に人がくる、なんていう棚ぼた移住を期待するような人たちの地域に、どうして東京が嫌になったとしても行く人が出てくるでしょうか。
人が向かう地域は、確実に自らが動き変革を起こして、東京とは全く異なる軸で成長を実現しています。そういう地域はコロナ頼みの人口移動に期待はしていません。他人の没落を期待する前に、自分たちの改善と向き合うのが先であり、そちらのほうが確実にできる努力なのです。
「20代女性」に完全に見放されている地方の現実
そもそも地方からの人口流出は前述の通り、若者であり、女性です。より具体的に言えば、20~24歳の女性が地方に見切りをつけて、東京に向かっています。
2019年、20~24歳の男性の東京都への転入超過数は2万5512人。一方、女性は3万1685人となりました。最新の2020年統計をみても、2019年と比較すれば減少しているとはいえ、男性の20~24歳の転入超過数は2万2921人、女性は2万7418人です。女性優位は続き、流入超過数もあまり変わっていません。
新型コロナウイルスの脅威よりも、地方で自分の人生のキャリアをスタートさせることへの不安のほうが大きいと判断している若者、特に女性が多くいるということです。
人口流出問題を取り上げるとすれば、この20~24歳の人たちの願いをどれだけ地方がかなえられるか、がテーマになるはずなのです。
しかし、実態はいまだに地方創生、人口の東京一極集中の是正という名目で、意味不明な箱モノを作ってみたり、観光企画や街路整備をやったりしているわけです。的外れにも程があります。
20~24歳の上京要因の多くは就職選択です。今後の人生のキャリアを形成していく上で、地方企業ではなく、在京企業を選択している背景にあるのは結局のところ、地方企業の女性雇用が全く魅力的ではないことです。
どうにも経営者が集まる会議になると、いまだに「最近の若者は我慢がたりない。すぐに辞めてしまう」という声を耳にすることが多くあります。
しかし、そんなことを言っていたら、ますます人は出ていってしまい、雇える人すら地元からいなくなります。変わるべきは企業側なのです。
生産年齢人口は、総人口よりハイスピードで減少していますから、「雇ってやる」から「雇わせていただく」という時代に変化していると捉えるしかありません。変わるべきは若者や女性ではなく、そもそも地域を構成する企業の経営者たちなのです。
地方に補助金より大切なのは「キャリア形成」
特に産業力が強い、地方で大手企業が集積する地域であっても、女性がどんどん流出する場合もあります。
典型的な地域が愛知県です。愛知県の多く地域は、女性の人口流出が激しく、2018年には年間1615人の20~24歳女性が東京圏に転出超過。都道県別での男性余りを示す男女性比が2019年にはワースト3位を記録しました。
この危機的状況を鑑みて愛知県が行った「若年女性の東京圏転出入に関する意識調査結果」によれば、キャリア形成に意欲がある女性は、結婚・出産後も働き続けるには地元を出るしか無いと考える人が多いことが明らかになっています。地元企業では未来が見えないと考えている方が多いことがうかがえます。
一方、地元に残る女性は結婚・出産するまで働ければ良いと考えている方が占めています。つまり、地元を離れるしかないと考える女性、地元に残ると考える女性の双方に、「キャリアアップ可能な仕事が地元にない」と判断されているのです。
そして、就職後の活躍の機会、仕事の内容待遇、職場環境などの多くの項目で上京した人のほうが満足度が高く出ています。それを見ている下の世代は、さらに機会を求めて外に出ていくという連鎖が生じているのです。
今の時代、自分の人生を豊かにしたいとキャリアアップを考えるのは当然です。それに対応できない企業が支持されず、地方からの人口流出が止まらない現状になっています。これは経営者側の問題です。
地方でも人が集まる企業の条件
2020年に内閣府は、女性の社会参画に関する「第5次男女共同参画基本計画」において、「地域に性差への偏見が根強く存在している」と指摘しています。
また、地方の人口減少が進む要因として若い女性の都市部への転入が多いとし、その背景には「企業経営者などの理解が足りず、やりがいが感じられない環境になっている」と指摘しています。
この答申自体に書かれても今更という感はありますが、地方における経営者たちの理解不足を挙げています。
私は仕事柄さまざまな地方経営者の方とお会いします。若い世代、女性が次々と就職希望を出す企業と、そうでない企業との差は大きく、前者はまれです。
人材が集まる企業はちゃんと男女共にキャリアアップできるように、老舗企業であってもブランド・マネジメント職などを採用して新規事業に取り組んでいます。手取りの少ない若い世代に向けて社宅などの福利厚生を整備し、オフィス環境もデザインに配慮しています。若者、女性にフレンドリーな体制を築いているのです。
先程指摘した女性流出県である愛知県においても、若い世代の人材獲得に成功している老舗企業があります。室町時代にルーツを持つ麹種会社「糀屋三左衛門」(豊橋市)では、元々は応募ゼロだった営業事務などの仕事を刷新。社長直轄の新規事業部門を立ち上げ、社内制度も大幅に刷新し、キャリア形成可能なブランドマネジメント職の採用に乗り出したところ多様なキャリアを持つ女性人材の応募が殺到しています。
社長が変わり、人事が変われば、中小企業であってもしっかりと人が集まるのです。そして同社では採用人材が大活躍し、会社業績にも貢献。いち早く係長に昇進するに至っています。会社に人が合わせるのではなく、人に会社が合わせることが、会社の成長、そして地域の成長に繋がる時代が到来しています。
木下斉『まちづくり幻想』(SB新書)
都内であればベンチャーのような中小零細企業の部類でも、当然ながらこのような工夫をしています。つまり資本力の問題でもなく、そこが重要だと思っているかどうかの違いなのです。
地方企業ではお茶くみ、制服、スチールのデスクなど昭和な体制を続けている企業もあります。いまだに男性社員の結婚相手を確保するくらいの気持ちで女性を採用している企業もあるのです。
そういう企業では、社長が「骨を埋める覚悟はあるのか」と社員に迫まり、若い男性すら逃げていったりします。しかし、地域内ではこの手の社長のほうが影響力が大きい場合があるのです。
人口減少対策は、移住定住促進では不十分だ
国単位での急激な人口減少は食い止められる段階をとうの昔に超えています。いまさら国費をかけて、自治体間で人口の取り合いをしても不毛でしかありません。
一方で、人がいなくなったら地域は終わりか、といえばそんなことはありません。高付加価値商品・サービスを持つ少人口地域が生き残るケースは世界各地に存在します。
地方企業が、20~24歳の女性たちにキャリア形成が可能だと思われるようなフェアな条件を持ち、夢があると感じてもらえる新規事業を地域で作り出すことは、単に人口流出対策ではなく、少人口でも適切な成長を果たすための第一歩になるでしょう。

子どもを産まない選択をしたい令和のDINKs、「世界は想像より優しかった」

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Double Income(夫婦2人の収入)、No Kids(子どもがいない)の頭文字を取った言葉「DINKs(ディンクス)」。子どもを作らない選択をした共働きの夫婦のこと。しかし、一口にDINKsといっても、その選択をした理由は夫婦それぞれであるし、どのような生活を送っているかも夫婦によって違う。令和のDINKsのスタイルを探る。今回はシリーズ10回目。(フリーライター ふくだりょうこ)
子どもの頃から抱いていた子どもへの違和感
 今回、お話を伺ったのはIT会社で働くミイコさん(仮名)、30歳。2つ年上の、IT系企業でフリーランスとして働くシゲオさんと結婚してもうすぐ5年を迎える。結婚前から夫婦2人で生活していくということを決めていた。
 その理由の一つは、はミイコさん自身が子どもの頃から持っていた違和感だ。
「小学生の頃、友達が知育人形で遊ぶ様子に違和感を持っていました。
 普段ビデオゲームなどで一緒に遊んでいる仲の良い友達が、人形遊びを始めると当たり前のようにミルクをあげたり、おむつ替えをしてあげているんです。『かわいいね』って言いながら。でも、私は『お世話するの上手だね』って見ているだけ。思い返してみると、何をしたらいいんだろう、と取り残されている感じはありましたね」
だからといって、その場にがんばってなじもうということはなかった。単純に何をすればいいのか分からなかったのだ。ただ友達が遊んでいるのを見ながら時間をやり過ごしていた。このときはその「感じ」が何なのか明確に分かっていたわけではないが、子どもに対して関心が持てなかったのは小学生の頃からだ。
「今は友達や親戚の子どもは好きだって思えます。自分の友達は大切な人。大切な人の子どもは私にとっても大切な人、という認識ですね。子ども全体が好き、というのは言えない。子どもみんな好き!っていうのは、私からすると人間みんな好き! というのと同じなんですよね」
 ミイコさんのこの言葉に対しては思わずうなずいてしまうところがあった。子どもがみんな好き、と言ってしまうのは確かに少し危うさを感じてしまうかもしれない。
「自分は結婚できるのかな?」と思っていた
 一方、結婚に対してはどのように考えていたのだろうか。
「結婚してお嫁さんになるのが当たり前だという空気があった世代ですが、私は中学生の時から、自分は結婚できるのかな? と思っていました。一度、先生に相談したこともあります。『私はお料理もできないし、カップラーメンぐらいしか作れない。優しい気持ちも持てないから結婚できないんじゃないかな』。先生は笑っていました。ミイコさんは面白いこと言うね、って」
 自分が子どもの頃のことを振り返ってみるとどうだろうか。大人になったら当たり前のように結婚すると漠然と思っていた人も多いのではないか。どうして当たり前だと思っていたのか。結婚に対しても固定観念はなかっただろうか。
「結婚できる女性の一般的なイメージとして、料理やお裁縫ができて家庭的であるとか、旦那さんに優しく寄り添うんだ、という共通認識が当時はあったように思います。当時から、そこに自分が合致していないと感じていました。
周りの友達は小さい子どもと接するときはかわいいね、と自然と言えるし、自分が結婚したらどんなふうになるのか、という話はしていたように思いますが、周りの子たちが結婚というものにフィットしていく感じとちょっとズレているのかな、というのは自覚していました」
 ミイコさんが持っていた「結婚できないかもしれない」という気持ちは実際に結婚するまで続いていたという。
そのままでいいのだと思える人と出会えたこと
 夫のシゲオさんと出会ったのはSNSだった。
「知り合いの知り合い、というぐらいの距離感だったんですが、初めて会ってすぐに意気投合しました。会ったら、『結婚できないかもしれない』という気持ちが変わったんです。この人と結婚する、って思えました」
 気持ちが変わった大きな理由の一つが、ミイコさん自身が自然体でいられるということだった。
「『結婚できない』と思っていた自分でも一緒にいられる人だと思ったんです。例えば、服を選ぶにしても彼氏が欲しいな、って思ったときは好きなものを我慢したり、ちょっと抑えめにしてみたりしていました。でも夫と会ってからはモテとか気にしなくなった。私が好きなものを着ているのを見て喜んでくれる人だったんです」
 誰かに好きになってもらうために服を着るのではなく、着たい服を着た自分を好きになってくれる人と一緒にいる。それはとても自然なことなのに、誰かに好きになってもらうために、多くの人は自分を抑え込んでしまうのは確かにいびつだ。
 子どもはいらない、ということについてもそうだ。シゲオさんとは結婚前からその点についても共有できていたが、交際した男性に「子どもはいらない」と切り出すのはなかなかハードルが高い。
「男性と交際したときに、話の流れで『子どもができたら…』なんて話が出たら、わざわざ『私は子ども欲しくないんだよね』とは言えないじゃないですか。夫も子どもがいらないと思っている人だったのでそこでも自分を偽らずにいられたのは大きいですね」
DINKs』というワードがあってよかった
 結婚前から「子どもは持たない」という意識のすり合わせはできていたというミイコさんとシゲオさん。しかし、もともとはDINKsの自覚があったわけではない。
DINKsという言葉を知ってはいたんですけど、特に自分のことだとは思っていませんでした。ただ子どもが欲しくない同士でいるっていうだけのこと。でも、DINKsっていう概念と再会して『これは自分たちのことなんじゃないのかな』と気がついたタイミングがあったんです。
 DINKsという概念を共有することで目指すライフスタイルが見えた気がしました。そこで2人の人生について長い目で見られるようになったかな」
 また、DINKsという言葉があったおかげで、周りからの理解も得やすくなったという。
「母は私が産むものだと思っていたんですね。産まない、と伝えても『一人ぐらい産みなさい』って。親に理解されないというのは悲しかったんですけど、ある時テレビでDINKsを知ったみたいなんです。『あなたたちってこれなのね』と。今はこういう人たちもいるんだと、ふに落ちたのかな。急に多様な生き方を理解します、って言いだしました」
 自分とは違う行動をとっている人がいると不安になり、攻撃してしまったり拒絶してしまうことが時にはある。自分の辞書にないことならなおさらだ。それが行動や関係性に名前がつくことによって急に理解が進むようになるのかもしれない。
DINKsを自覚したからこそ今からできること
 話をお聞きしている中でミイコさん夫婦の仲の良さが伝わってくるシーンが多くあった。その秘訣を聞くと、「家族だから当たり前、という意識は薄いかもしれない」という答えが返ってきた。
「やってもらって当たり前というのがないですね。例えば、料理を作ってもらったら自然とありがとうを言うとか。あえて適度な距離感を保っているのかもしれないです。親しき仲にも礼儀あり、というか」
 家族だから、女だから、男だから、と発生する当たり前をいったん横に置いて、目の前にいる人と向き合ってみる。結婚も、家族としての接し方もそれが基本なのかもしれない。つい「家族なんだから」と当たり前を押し付けてしまうのは少し乱暴だ。
 老後についても、考え方はフラットだ。
「今は家を買いたいな、と思っています。DINKs向けの物件もちらほら見かけるようになっていて。ずっと2人でいることを想定していると、間取りなんかも考えやすいんですよね。老後まで住める家を今のうちに持っておきたいです。
 お墓は2人で入れるものを選ぼうと思っています。どちらか一人が残ったときのことも考えると、そのときは親族にもお願いしなければならなくなるかもしれない。そのためにも貯蓄はあったほうが安心かな、と。ただ、単身者が多ければ看取りサービスは発達しそうですよね」
「自分が想像していたよりもずっと優しい世界だった」
 ミイコさんのお話の中で印象的だったのが「私が想像していた世界と違った」という言葉だった。
「子どもを産まないって言ったらもっといじめられると思っていました(笑)。産まないからダメなやつなんだと言われる、と身構えていたんです。でも、ここ数年は周りの人たちが理解を示してくれるのがうれしいです。
 知り合って間もない婚活中の友人から『もうすぐ30歳半ばなんだけど、子どもどうしよう』という相談を受けていたんですけど、その話の流れでやっぱり『ミイコさんのところは子どもは考えているの?』と聞かれたんです。
 素直にうちは産まない選択をしていることを伝えたら『聞いちゃってごめんね』って気遣ってもらえた。そういうふうに言われたのは初めてだからびっくりしました。数年前だったら、『なんで子ども産まないの?』『産んだほうがいいよ』って言われていたのが、自分の考えをサッと受け入れてもらえてうれしかったです」
 人生は人それぞれ、全く同じ人生を歩む人はいない。人と違うと不安になることもある。ただ、その違いを受け入れることができるようになれば、生きやすくなる人はグッと増えるのではないだろうか。

自律神経のバランスを整えるための朝の習慣4つ

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心臓に血液と酸素を送る冠動脈が詰まって発症する「心筋梗塞」の原因には、主に「動脈硬化」と「血管の機能異常(痙攣)」がある。動脈硬化は、生活習慣病や肥満、喫煙などが危険因子になるので、進行するまでに予防対策が取りやすい。しかし、血管の痙攣は危険因子を健康診断などで数値として把握することが難しいので要注意だ。

 血管は収縮・拡張を繰り返して全身に血液を送っている。

 ところが、心身の緊張が続いたり、過剰なストレスがかかったりすると、血管は突然、痙攣を起こして強く収縮する。その結果、冠動脈の血流が完全に止まって心筋梗塞になる場合がある。つまり、「あんなに元気だったのに」と、前触れもなく突然死を起こすリスクがあるのだ。

 循環器専門医である「すぎおかクリニック」(千葉県船橋市)の杉岡充爾院長が言う。

「体にはストレスによる血管へのダメージを最小限に抑える機能が備わっています。その役割を担うのが、副腎でつくられる『抗ストレスホルモン(コルチゾール)』です。ストレスを感じると副腎からコルチゾールが分泌され、ストレスをリセットするように働きます。ところが、次から次へとストレスがかかるような生活を続けていると、副腎が疲労してコルチゾールの分泌が低下し、ストレスを処理できなくなってしまうのです」

血管の痙攣を防ぐには、ストレスを減らそうとするだけでなく、自分で実践するストレス・リセット法を身に付ける必要がある。それは「自律神経を整えること」だという。自律神経は、交感神経と副交感神経で構成されている。交感神経は日中起きているときに優位になり、脳や内臓を活発に動かす働きをしている。副交感神経はリラックスしているときや寝ているときに優位になり、傷ついた体の修復を促進する働きがある。

 しかし、ストレスが多い生活をしていると、常に交感神経優位の状態が続いて副交感神経への切り替えがうまくできなくなる。いつまでも心身が休まらないのだ。この自律神経の乱れを整える方法を習慣化すれば、ストレスを受けても自律神経のバランスを保てるようになり、その都度ストレスをうまく処理できるようになるという。

「自律神経のバランスを整えるには、まず副交感神経から交感神経へと切り替わる朝の過ごし方から見直してみてください。このとき、交感神経が働かなかったり、反対に活発になり過ぎたりすると、自律神経のバランスは一日中崩れたままになります。自律神経がスムーズに切り替わるように、朝、次の4つの習慣を実践してみてください」

①余裕をもって起床

 朝、時間に余裕がなく、慌てて出勤すると交感神経が過剰に反応して、自律神経のバランスが崩れる。朝は少しでも余裕を持って、穏やかな気持ちで行動する。

②ベッドでストレッチ

 目が覚めたら跳び起きるのではなく、ベッドの中で軽くストレッチしてゆっくりと体を起こしていく。交感神経に適度な刺激を与えるためだ。

■寝起きのストレッチ

 手首・足首をグルグル動かす。膝を曲げて太ももをお腹に近づける(左右交互に)。首を左右に曲げる。肩を上げ下げする。両手を頭の上に上げて、全身の伸びをする。

③朝日を浴びる

 朝の太陽光は体内時計をリセットして体を目覚めさせる作用がある。3~5分くらい朝日を浴びると、自然に交感神経が優位に働くようになる。

④コップ1杯の水を飲む

 1杯の水を飲んで胃腸が動き出すと、交感神経も連動して活発に働くようになる。寒い時季などは、さゆでもOK。

 自律神経の乱れを予防したり、改善するには、質の高い睡眠を取ることも重要。夜更かししたり、睡眠時間が短かったりすると、交感神経から副交感神経への切り替えがうまくいかず、さらに眠れない悪循環になる。

「まずは、あらかじめ『睡眠時間』を確保してから、一日のスケジュールを立てることです。遅くても午前0時には寝るようにしましょう。22~2時は、睡眠のゴールデンタイムといわれ、最も深い睡眠が得られます」

 入浴はリラックスでき、副交感神経への切り替えに有効。その入浴を利用して自律神経を整える「温冷入浴法」という方法もある。

 まずは、湯船に漬かって体を温める。次に、洗い場に出て冷水を手足に10秒ずつかける。これを5~10回繰り返し、最後は手足に水をかけて終わりだ。生活習慣に加えてみよう。

「お父さんを殺して」4歳娘が背負った過酷人生

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「4歳のとき、お母さんから『お父さんを殺してきて』と言われ、子どもながらに殺そうとしました」
都内に住む女性から届いたメッセージは、こんなひやりとする一文で始まっていました。父から母へのDVを頻繁に見た幼少期のこと、父との別居後に母から受けた虐待や暴言、兄から受けた性被害のこと、中学校の途中から児童養護施設に入所したこと──。時系列でそれぞれ短く記されており、そこから彼女自身の感情は読み取れません。
コロナがやや収束気味に見えた11月の週末、寧音さん(仮名)と待ち合わせた喫茶店は、ほぼ満席でした。やってきたのは美容師さんのような雰囲気の、おしゃれな20代の女性です。席につくと「緊張する……」と言って、周囲を見まわします。筆者も若い頃はこじゃれた喫茶店に入ると毎回緊張したもので、懐かしいような気持ちになりました。
話し疲れたら無理しないでね、と伝えると、「自分の話というより、映画を見ているような感じなので大丈夫」と、笑って答えます。感情を切り離さずにいられないような経験を、たくさんしてきたのでしょう。寧音さんのこれまでの人生を、聞かせてもらいました。
階段から落ちて動けなくなった母親を無視する父親
小さいときは両親、兄と4人で暮らしていました。両親はしょっちゅうけんかをして、つかみ合いをしたり、怒鳴り合ったり。父親は子どもたちには優しかったのですが、母親にはひどいDV、モラハラを行っていました。
「一度、母が階段から落ちちゃったことがあって。母は父に落とされたというし、父は落としていないというし、いまだに真相はわからないんですけれど。母は骨が折れて動けなくなっちゃって、でも父は救急車も呼ばないし、私たちにも『何もするな』と言う。私たちを連れて外食に行って、母のことは無視、みたいな感じでした」
この連載の一覧はこちら
仮にもしそれが父親のせいではなかったとしても、階段から落ちて動けない妻を放置して外食に行くという行為は、完全に常軌を逸しています。寧音さんは父親に隠れて、けがをして臥せっている母親にヨーグルトをもっていったりしましたが、「ばれたら私も父に何をされるかわからない」という恐怖を感じていました。
4歳のころには、こんなこともありました。ある朝起きて、キッチンに入ったところ、朝ごはんを作っていた母親から突然「ねえ、お父さん殺してきてちょうだい」と言われます。軽い口調でしたが、寧音さんは「ただならぬ空気」を感じ取り、そのまま父がいる部屋へ向かいました。「やらないと、(私が母に)やられる」と思ったのです。
「まだお父さんは寝ていたので、お父さんの口に布団や枕を押し当てて。全部の体重をかけて、息をとめようとしたんですが、子どもなので全然そんな力もなく。お父さんも途中で起きて、私がいたずらをしているんだと思ったようです。で、『何しているんだよ』みたいに軽く言ったんですけれど、私は大泣きして『ごめん、ごめん』って謝って。お父さんからしたらなんで泣いているのかも、なんで謝っているのかもわからなかったと思います」
台所に戻った寧音さんが「お父さん殺せなかった」と告げると、母親は「あ、そう」と答えたのみでした。以降、この件について母が口にすることはなかったといいます。
4歳の女の子が父親を殺すなど無理なことは、母親は百も承知だったはずです。でもそれを寧音さんが、どれほど本気で実行せねばと思いつめたか。寧音さん自身はこれも「自分のことじゃない感じ」がするといい、取り乱すことなく話を続けるのでした。
暴力は、弱い立場の寧音さんに連鎖した
小学校に入る少し前、両親はようやく別居します。寧音さんは母親と兄と3人で暮らし始めましたが、すると今度は、母親から子どもたちへの暴力や暴言、ネグレクトがひどくなっていきました。
「最初は母も(父と離れて)ほっとしたみたいで平和だったんですけれど、怒るときの度合いがだんだん、だんだんエスカレートしていって。殴る蹴るは当たり前だし、子どもが言うことを聞かないとか、思いどおりにならないとかになると、わーっと怒鳴りだしたり、ものを使って叩いたりして。もう、すごかったです」
まるで母親が以前、父から受けていたDVの再現です。別居前の母親は「いつも机に突っ伏して、怒るエネルギーすらない感じ」だったのですが、ようやく怒る気力が戻ってきたのでしょうか。でも、その怒りをぶつける相手が子どもであっていいはずはありません。
寧音さんはしかも、兄からも暴力をふるわれていました。兄も母から受けたような暴力を、自分よりも弱い寧音さんを相手に再現していたのです。さらに兄は小学校高学年になると、寝ている寧音さんの服を脱がせ、身体を触るようにもなっていました。
「私が7歳のときから4年間くらいずっと、ほぼ毎晩という感じでした。私が5年生のころに一度、母が現場を見ているんですけれど、そのとき1回怒っただけでは何も変わらなくて。母親はクレーマー体質だったので、それを利用じゃないですけど、役所に『こうなるのは、もっと広い部屋の(公営住宅の)抽選に当たらないからだ!』って怒鳴り込んで。私も連れていかれて、フロアに響き渡るくらいの大声で『この子が兄から性被害にあっている』と言われて、もう恥ずかしくて恥ずかしくて。とにかく早く帰りたかった」
役所も災難でしたが、寧音さんが受けた苦痛の比ではありません。
性被害が終わったのは、寧音さんが小6のときでした。母親に面と向かって兄の行為を伝えたところ、「母もさすがにヤバいと思ったのか」児童相談所に相談したため、寧音さんは一時保護所に、兄は児童養護施設に入ることになったのです。
施設から高校、大学に進学へ
3カ月後、寧音さんは一時保護所から家に帰りましたが、兄はそのまま施設から戻りませんでした。「ターゲットが減った」ため、母親から寧音さんへの暴力はよりエスカレートしましたが、逃げ場はありません。児童相談所の人との面談はありましたが、もし母の虐待を告げれば、また一時保護所に入れられてしまいます。それは寧音さんにとって、最も避けたいことでした。
「一時保護所が、私はすごく嫌だったので。先生とか職員の人とか、ものすごく怖かったんです。決まりも変に厳しいし、子ども同士もバチバチして告げ口をし合うし、学校にも全然通えない。私は学校が好きだったので、友達と会えないとか、そういうほうが嫌だったから、(母にされたことは)あまり具体的には言わなかったですね」
しかし結局、寧音さんは中学2年の途中から、児童養護施設に入ることになりました。母親が当時付き合っていた男性の家に行ったきり、家に帰らなくなってしまったのです。児童相談所の職員に、一時保護所には行きたくないこと、いまの中学に通い続けたいことを訴えたところ、しばらくは近所の里親家庭にいられたのですが、その後はどうしても、別の区にある児童養護施設に行かざるをえませんでした。ですが幸い、それは「とてもいい施設だった」といいます。
「最初のころは毎晩泣いて、『戻りたい、戻りたい』ってずっと言っていたんですけれど。転校した先の中学校では、ちょっといじめみたいなこともあったりして、本当になじめなくて。でも学年が変わってからは友達もできて、わりと楽しくやれるようになってきました。今も本当に感謝しているのが、施設の先生が教えるのもすごくうまくて。私、それまで理科や数学で0点とか2点とか取っていたんですけど、次のテストで70点くらいになったんです。それはすごい楽しかった。勉強楽しいじゃん、ってなりました」
それはおそらく教えていた先生たちも、寧音さんと同じかそれ以上にうれしかったことでしょう。その後も「職員さんたちみんなが、私に勉強させよう、させようとしてくれた」おかげで、寧音さんは高校を出た後に大学に進学します。そして奨学金を7つ使い、かつバイトをかけもちして、最後まで通ったのでした。
「いま思うと、あの時期に家を出られてよかったなって思います。もしあれより遅かったら高校にも行けてなかったかもしれない。あのタイミングが本当に、最後のチャンスだったのかもしれないなって」
母と暮らすストレスに拍車をかけたコロナ禍の生活
大学に入り、施設を出てからは一人暮らしを満喫してきた寧音さんですが、現在は再び母親と2人で暮らしているといいます。新卒で就職した会社は人間関係が悪く、転職した際に貯金がつきてしまったため、お金が貯まるまでの間、母のもとに身を寄せたのです。しかしやはり、母との生活は非常にストレスが大きいようです。
「暴力はなくなったんですけれど、母は自分のしてほしいことを私にさせたい。だからたとえば、私が電気を消し忘れると『電気はちゃんと消してください』という貼り紙をしたり、『私はこうしてあげているけれど、あなたの態度は何?』みたいな長文の手紙が、家に帰ってくるとベッドの上に置かれていたりする。私はそれで眠れなくなったり、帰ってきても貼り紙が怖くて玄関を開けられなくなったりして」
貼り紙や手紙──地味ながらも、じわじわと心を削られそうです。母親に何度も「やめてほしい」と伝え続けたところ、貼り紙はやっとなくなったそうですが、最近はコロナの影響で、またストレスが増しているといいます。
「リモートワークになって母といる時間が増えたときはしんどかったです。1時間に1度くらい部屋をノックされて、『今、何をしているの?』とか聞かれて、そのたびに『仕事だよ』と答えるのが、嫌になっちゃって。それに母が入っている宗教への勧誘もしつこいし」
早く母親と離れたほうがよさそうですが、お金が貯まるまでは、もうしばらく辛抱しなければならなそうです。今後は、友達とシェアハウスで暮らすことも考えているといいます。
ただ幸いなことに、寧音さんにはつらいとき何でも話せる相手が、何人かいるといいます。友達や彼氏、施設の元職員さんが、寧音さんの話をいつも聞いてくれるのです。
「本当にちょくちょく、その友達とかに話を聞いてもらって、『これ(母が)おかしいよね? 私、これ断っていいんだよね?』とか確認する作業をしています。『それはお母さんがおかしいよ、全然断っていいよ』みたいなことを言ってもらいながら、やっとここまで来た感じ。もしそういう支えになってくれる人たちがいなかったら、母に押し切られて宗教に入っちゃったりしたかもしれないなって」
おかしいのは寧音さんでなく母親だということは、他人が見れば一目瞭然ですが、家族の中だとわからなくなりがちです。信頼できる人に客観視してもらうのは、とても必要なことでしょう。
自分を認めながら、広い世界へ向かっていく
「私、親から『産まなければよかった』とか言われたことがあるんです。そのときは、言われている自分を上から見ているような感覚で、何も感じなかった。それほどつらかったのだと思います。でも今は、生まれてこなければよかったとは全然思わないんです。
もちろん私の過去のつらい体験は、絶対にないほうがよかったんですけれど、でもそれがあって今ここにいる、みたいな。私の場合、母は自分がしてきたことを何一つ覚えていないので、私が言わないと、全部なかったことになってしまう。それが嫌で、こうして人に話したい気持ちもあるんだと思います」
寧音さんは今でも、昔母親から受けた暴言や暴力を夢に見るといいます。過去を語ることで彼女は、自分を否定せずに認めながら、より広い世界へ向かおうとしているのかもしれません。
最近はコロナのせいで「いつも会えていた友達とあまり会えなくなったりして、落ち込んでしまう」と話していた寧音さん。彼女のような若い子たちが、友達と気軽に話せる状況が戻ってくるよう、せめてコロナが早く収束することを願います。

【緩和ケアの医師が伝える】 患者自身が求めなければ助けは受けられない現実があるから、知っておいてほしいこと

下記の記事はダイアモンドオンラインからの借用(コピー)です

『後悔しない死の迎え方』の著者で看護師の後閑愛実さんが、飯塚病院 連携医療・緩和ケア科部長で緩和ケア医の柏木秀行先生に、患者さんの人生に関わる緩和ケア医としての思いについてうかがったお話をお届けします。(この対談は2019年11月に行われたものです)
「過ごしたい場所で過ごす」
という選択肢を届ける
後閑愛実(ごかん・めぐみ)
正看護師
BLS(一次救命処置)及びACLS(二次救命処置)インストラクター
看取りコミュニケーター
看護師だった母親の影響を受け、幼少時より看護師を目指す。2002年、群馬パース看護短期大学卒業、2003年より看護師として病院勤務を開始する。以来、1000人以上の患者と関わり、さまざまな看取りを経験する中で、どうしたら人は幸せな最期を迎えられるようになるのかを日々考えるようになる。看取ってきた患者から学んだことを生かして、「最期まで笑顔で生ききる生き方をサポートしたい」と2013年より看取りコミュニケーション講師として研修や講演活動を始める。また、穏やかな死のために突然死を防ぎたいという思いからBLSインストラクターの資格を取得後、啓発活動も始め、医療従事者を対象としたACLS講習の講師も務める。現在は病院に非常勤の看護師として勤務しながら、研修、講演、執筆などを行っている。著書に『後悔しない死の迎え方』(ダイヤモンド社)がある。
撮影:松島和彦
後閑愛実さん(以下、後閑):柏木先生とは緩和医療学会に参加したときに知り合ったんですよね。ほかにも緩和医療学会で何人もの緩和ケア医の先生にお会いしましたが、緩和ケア医の先生は、優しくて人間性高いというか、話しやすい先生が多いですね。
柏木秀行先生(以下、柏木):まぁ、いろんな人がいますよ。ただ「多様性に寛容であること」が緩和ケアの分野ではすごく大事なんです。いろんな価値観に対して批判したり評価したりするような態度でなくて、「そういう価値観もありますよね」という。
後閑:柏木先生は、どうして緩和ケア医になろうと思われたんですか?
柏木:いくつかあるんですけど、「緩和ケアをやりたい」というより、「過ごしたい場所で過ごせる地域づくりがしたい」。そのためにどうしたらいいかという手段が緩和ケア医になることだったという話です。
後閑:過ごしたい場所で過ごすためにできること。なるほど、その問題点については、地域に受け皿を作るとか、病院がどうなればいいとか、そういうことももちろんあるけれど、家族も結構関係したりしていませんか。
柏木:日本の場合、研究でも在宅に移行できない要因で一番多いのが、家族の介護力ですからね。家族の状況をアセスメントして、可能なサポートとか、少なくとも「過ごしたい場所で過ごす」が選択肢としてあるということを考えるのは大事だと思います。
究極は、患者と家族の問題
後閑:先日、あるがん患者さんが、「自分はがんでそんなに時間が残されてないとわかってる、だからこれからこうしていきたい、こういう準備をしておきたい、という話を家族としようとすると家族に逃げられてしまう」と言っていたんです。これからのことを話したいのに家族が聞いてくれない、だから孤独を感じると。それを聞いていたまわりのがん患者さんが、うちもうちも、といった感じで。
柏木:そういうことはよくあります。僕なりの解釈ですが、家族自身もつらいんだと思うんですよね、家族ケアをすることがまず最初だと思うんです。
ぼくはあまり患者さんをかわいそうだと感じることはないんですが、ぼくが唯一、これはかわいそうだなと思うのが、本人は自分の状況に向き合うし、向き合う力があるのに、そのことを誰も信じてくれない、特に家族が。「いやいや、本人はもう家に帰るのは無理なので」と家族が言うから「本人と話し合ったんですか」と聞いたら、「いや、話し合ってはいないけれどわかるんです」という感じ。多くの患者さんは僕よりも年上で、何十年も過ごされてきた方を赤ちゃんのように扱うようなシーンだけはかわいそうに思ってしまいます。
そういうときは、ワントライはします。「本人がどう感じられているかが大事だから、やっぱり聞いたほうがいいと僕は思いますがいかがですか」「怖いですよね、でもご家族だけで話をしてほしいというわけではなく、ご本人と話し合う時に僕らも参加して一緒に聞けたらいいなと思いますがどうですか」とか。
この辺りというのは、家族自身のつらい状況に対する対処方法や、何十年単位の人間関係だったりもするので、たとえば1週間で亡くなるような状況で、その1週間で全部リカバリーできるかと言ったら医療者に全部ができるわけではないけれど、「1回はトライしてみる」を僕のルールにしています。
柏木秀行(かしわぎ ひでゆき)
飯塚病院 連携医療・緩和ケア科部長・地域包括ケア推進本部副本部長・筑豊地区介護予防支援センター長
1981年生まれ。2007年筑波大医学専門学群を卒後、飯塚病院にて初期研修修了。同院総合診療科を経て、現在は連携医療・緩和ケア科部長として研修医教育、診療、部門の運営に携わる。グロービス経営大学院修了。
後閑:いま入院中のがんの患者さんが「おれは死ぬのか」って家族に言ったんです。そうしたら家族が看護師に「本人に弱気になるようなことを言ったんですか」と怒ってきたんです。「本人がおれは死ぬのかなんて弱気になっているから、そんなこと言わないでって私が否定しておきました。もう弱気になるようなことは言わないでください」と言うんです。正直、患者さんをかわいそうに思ってしまいました。こちらももちろん「もう死ぬよ」なんて言ってはいないんですが、明らかに時間はもうないんです。弱っていく一方だから、本人もわかっているんです。本人は弱音を医療者には言わない。ようやく家族に本音を言えたんだと思うんですけれど、その家族に否定されてしまい、つらいだろうな。
柏木:ぼく社会福祉士の資格を取ったんですが、対人援助のスキルを勉強した時に、支援のあり方を集中的にインプットした時期があって、今の話を聞いて思い出しました。人を支援するってどうするかというトレーニングを医療者自身も受けているわけではないし、家族はなおさらですから、「自分がつらくないように」を優先するんです。
おそらく、自分は死ぬのだろうかと家族に聞いた患者さんも、家族でなければ聞けないなんらかの心情があったのだと思うんです。それに対して、励まさなきゃいけない、ポジティブにしないと病気が悪くなる、あとはその話題に触れたくないから閉じ込めておきたい、とかね。ですが、支援の本質ではないような対応しかできないというのが家族の状況なのでしょう。
「自分の人生を自分で考えられる力」を磨く
柏木:ヘルスリテラシーの話なんですが、緩和ケアに限らず、どういう医療がいいかというのは、結局は医療受益者が何を求めるかによって決まるんです。究極的には患者さんと家族の問題ですから。だからヘルスリテラシーを向上するにはどうすればいいか、なんていうことはよく考えます。
後閑:「ヘルスリテラシー」について、わかりやすく言うと?
柏木:ヘルスリテラシーは、健康面での適切な意思決定に必要な基本的健康情報やサービスを調べて、それを得られて、理解して、効果的に利用できる個人能力。たとえば健康問題とか、人生の最終段階に対して自分で考えられる力。
ぼくらなりにACPがどうとか、この人の価値観はどうかとか考えたり努力したりするじゃないですか。でも、「本来はあなた自身のことだから、自分で事前に考えるべきことだけど、あなたにはできないでしょ。だから我々(医療者)が色々な工夫をしているので従ってください」というような構図に感じてしまう時があります。つまり、今はあまり共同作業的な感じがしないんです。患者さん自身にも「自分はこういうことが大事です」「こういう医療支援を求めています」ということを考えられる能力を向上させることへの意識を高めてほしいですし、我々の支援の方向性も変えていかないといけないかなと感じます。
後閑:どちらかに任せっきりになるのではなく、医療者と患者さんや家族と一緒になって考えていかないといけないですよね。
柏木:ぼくらはそこをアセスメントするんですよ。ヘルスリテラシーの程度とか、伝える情報量だったり伝え方だったり、考えるんだけど、一方で「自分のことなんだから自分で対処できるように能力を磨く」っていう発想自体ないじゃないですか。我々も含めて。だからそこはぜひ取り組めたらなって思いますね。
知識があって行動できる人でないと支援は得られない
後閑:一緒に働いていた看護師が、お母さんが末期のがんでそんなに時間がないとなったときに、3ヵ月取れる介護休業制度を使って、自宅で介護して看取ったんです。当初は余命1ヵ月くらいだろうと思っていたらしいんですね。だから最後は家で看取ろうと。1ヵ月くらいは一緒に過ごし、多少前後することを想定して、その後の葬儀なども含めても3ヵ月もあれば十分だろうと思っていたんです。周りも「わかった、あとのことは任せて」と送り出したんですが、結局1週間で亡くなられてしまい、葬儀などを済ませて1ヵ月で戻ってきました。けれど、「最後の一週間だったけど、一緒にいられてよかった」と言っていて、「仕事がんばりなさいっていつも言っていたから、早く仕事をしてほしくて予想より早く逝ったのかもね」という話をされていました。大切な人だからこそ、時間の長さではなく使い方にこだわってほしいし、そういう制度もあるんだから活用できたらいいなと思います。
柏木:そうですね。いくつかハードルはあって、そもそも制度自体知らなかったり、制度は知っているけれど職場の雰囲気が許さない、また、制度も職場としても活用できるんだけれど、みんなに迷惑をかけるんじゃないかとそれを活用する自分に葛藤がある。よく聞く、ありがちな理由ですね。
何を大事にするかは人それぞれでよく、制度を活用しても活用しなくてもいいけれど、そういう本人が活用できる制度を知らされないというのは権利擁護の観点からよくないと思うんです。だから、職場に対して調整しやすくなるような見通しをお伝えするとかいう、情報提供をしなくていいのかなとか思うことがあります。
後閑:進行がんなら障害年金もらえるとか、そういうことも知らないと、知らないままで終わってしまったりしますよね。
介護保険も40歳過ぎたら勝手にお金は引かれるのに、介護が必要になっても申請しないと制度は使えないですよね。知らないことが悪い、知らない人が損をするというのではなく、自分が知らなくても知っている人が助けてくれるとは思うんです。けれど「助けて」と言わないと助けてはもらえません。
柏木:今の日本のヘルスケアのシステムだと、「知識があって行動できる人じゃないと支援が得られない」というのを医療者はもっと知ってたほうがいいと思います。社会保障制度の中で自分が積み立てているんだから、自分が本当に必要な時に介護サービスを受けるというのは権利の話なので。その権利がちゃんと守られているのかというのをアセスメントするのも専門職の役割だと思います。アセスメントして、「それってもしかしたら活用できる社会保障制度があるかもしれないから、もうちょっと詳しい人に相談しませんか」と言うだけでいいですから。
後閑:確かに自分だけで全部なんとかしようとするんじゃなくて、「それだったらそこに相談するといいよ」とつないでもいいですよね。
柏木:自分のほうから「相談してみていいですか」と聞いてもいいと思います。
一人で立っていることを周りは望んでいない
柏木:ご家族には「本人本位の支援を大事にしてほしい」と思うんです。どうしてもご家族もつらいから自分のつらさを優先してしまうのもわかるんですが、「本人本位で患者中心の医療を提供しようと思ったら、ご家族の協力も必要なんです」と伝えたいっていうのが一番。医療者自身が本人本位でないことも多いのですが、家族が本人本位の支援を阻害する構図もよくあるので、そこを理解してもらいたいなと思いますね。
後閑:患者さんのよき理解者になってあげてほしいですね。つらさを理解してくれる人がいるだけで、本人にとって希望になったり救いになったりするから。
柏木:がん患者さんやその家族だけに対するメッセージではないですけれど、僕は結構大事だと思うのは、自立してるっていうのは依存先がたくさんあることだと思うんです。迷惑をかけたくないとかそういう精神的なつらさは当然なんですが、無理して一人で立ってることを周りもそんなに望んでなかったりするというのは知っていてほしいなと思いますね。
後閑:もっと助けてって言ってほしいし、そうしたら周りも行動しやすいですもんね。
柏木:できないことはできないと誠実に言いますからね。依存先、頼れる先があるということが、自分自身が自分らしく生きるために必要なので、そこを覚えておいてほしいと思います。
まとめ
・「過ごしたい場所で過ごす」という選択を選べるように、家族と話すことを避けない
・「自分の人生を自分で考えられる力」を磨き、どう自分の人生を締め括るかを考えておくこと