izumiwakuhito’s blog

あなたでしたらどう思いますか?

長生きの秘訣は「自分は若い」と感じること

下記の記事はビヨンドヘルスからの借用(コピー)です

 自分は実年齢よりも若いと感じることが、長生きの秘訣かもしれない。そんな期待を抱かせる研究結果が、「Psychology and Aging」5月号に掲載された。論文の筆頭著者であるドイツ老年医学センターのMarkus Wettstein氏は、「実年齢よりも若いと感じている人は、そのことによってさまざまな恩恵を受けているようだ」と語っている。
 Wettstein氏らは、自覚しているストレスの程度が機能的健康レベルに及ぼす影響を検討。また、主観的年齢が若い(実際の年齢よりも自分は若いと感じている)ことに、ストレスによる健康への影響を弱める「緩衝効果」が存在するのかを調査した。なお、機能的健康レベルは、歩行や衣服の着替え、入浴などの基本的な日常生活動作をスムーズに行えるか否かで評価した。
 研究の対象は、同国で40歳以上の中高年地域住民を対象に行われている加齢に関する縦断研究の参加者5,039人。2014年の研究参加登録時の年齢は平均63.91±10.80歳(範囲40~95)で、2017年まで3年間追跡した。主観的年齢は、「あなたは自分が何歳だと感じているか?」との質問への答えによって決定した。
 ベースライン時の健康関連指標、および社会人口学的因子の影響を統計学的に調整した解析により、自覚しているストレスの強さが、機能的健康レベルの低下の速さと関連していることが明らかになった。また、その影響は高齢になるに従い、より大きくなることも分かった。
 一方で、主観的年齢が若い人では機能的健康レベルの低下速度が遅く、自覚しているストレスの程度と機能的健康レベルとの間に有意な関連が認められなかった。これは、主観的年齢にストレス緩衝効果が存在することを示唆している。このストレス緩衝効果は、高齢者層でより大きかった。
 Wettstein氏は、「自覚されたストレスは、さまざまな経路を介して機能的健康レベルに影響を与えるのではないか。それに対して主観的年齢の若さは、ストレスの影響の抑制、例えば全身性の炎症を抑えることなどによって、健康上のメリットを生み出す可能性がある」と考察を述べている。
 この研究に関与していない、米ジョージ・メイソン大学の名誉教授で心理学専門のJim Maddux氏は、「主観的年齢が若いことと健康関連の多くの指標が良好であることの関連は、かなり以前に報告された先行研究で示されていて、それ自体は何ら驚くべきことではない。一方、この研究から得られた新たな知見は、主観的年齢の若さによる健康へのプラス効果に介在する因子が示されたことだ。自分が若いと感じることは、ストレスによる健康へのマイナスの影響から、その人を保護しているように思われる」と論評している。
 Maddux氏によると、自分が若いと感じることで、健康に影響を与える因子に好循環が生じる可能性があるという。一例として、「若さを保つために自分自身をよくケアするようになり、その結果さらに若々しさを自覚することもあるのではないか」と述べている。
 なお、Wettstein氏らは、主観的年齢が若すぎて実年齢と大きく乖離している場合には、良いことばかりとは言えない可能性があることにも言及している。そのような場合、健康へのメリットが消失することが過去に報告されているとのことだ。「あまりにも楽観的すぎる人は、加齢により誰でも健康レベルが低下するという事実に目を向けようとせず、かえって健康上のデメリットになるのではないか」と同氏は推測。「主観的年齢と健康レベル、寿命、幸福感との関連については、より多くの研究が求められる」とまとめている。

がん「だけ」死滅、光免疫療法 開発の道程と治療のいま

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「光免疫療法」はがんだけを狙い撃ちする新たな治療法です。国内20施設で、保険による治療が受けられます。いまはまだごく一部のがんが対象ですが、どのように開発され、どんな治療なのでしょうか。
 光免疫療法の開発者で米国立保健研究所(NIH)のがん研究所主任研究員、小林久隆さん(59)にお話を聞きました。
小林 久隆さん 略歴
こばやし・ひさたか 1961年兵庫県生まれ。87年京都大医学部卒。95年京都大大学院を修了し渡米、NIH研究員に。98年に帰国し京大医学部助手を経て2001年に再渡米、NIHの国立がん研究所(NCI)に勤務。05年から主任研究員。21年1月、「がんを瞬時に破壊する 光免疫療法 身体にやさしい新治療が医療を変える」(光文社新書)を出版。
世界初、新薬承認
 ――従来の治療が効かなくなった頭頸部(とうけいぶ)のがん患者向けの新薬に公的医療保険が適用されました。
 米国で研究をしてつくったもので、アメリカでの承認が先かなと思っていました。
 日本人のためにまず、使われることになったことは素直にうれしい。
 患者さんの数はまだわずかですが、「治った」と喜んでもらえるのが一番の喜びです。
 ――30年越しの研究でした。
 「がんだけを死滅できないか」と考え始めたのはまだ大学生のころです。
 たんぱく質の一種で、体内に入った病原体などの異物にあたる「抗原」にくっつく性質があるのが「抗体」です。
 抗体を使えば、がんの治療も簡単にできると思っていて、こんなに長くかかるとは思っていませんでした。
 放射線診断・治療を専門とする臨床医になったころから、「手術」「放射線」「化学療法」の3治療が、がん治療の中心でした。
 しかし放射線治療の多くの場合、照射すると正常の細胞も含めて、「焼け野原」になってしまう。
 従来のがん治療は、がん細胞だけでなく、体を防御する免疫力を落としてしまうという大きな矛盾を抱えているのです。
 「がんだけ」を実現するため、失敗と工夫を重ねた30年超。ある意味、放射線科医が放射線を捨てたんです。
がんがあるところで「毒」に変化させる
 ――開発途中に限界を感じたこともありましたか。
 抗体に何かをつけて体内に入れれば、がん細胞に到達すると見当はついていました。
 数々の薬や放射線同位元素などで試しました。しかし薬はどうしてもがん細胞だけでなく、正常な細胞にもダメージを与えてしまう。使う量の限界というネックがありました。
 2004年ごろに発想を変えました。「がんを殺す毒を入れるのでなく、がんのところでだけ毒に変身させればいい」
 がん細胞のところで「毒」に変わるトリガーが必要になります。何がいいか? トリガーが毒になっては意味がない、と発想は少しずつ変わっていきました。
 体に無害な光を使うことを決め、光に反応して細胞を殺せる化学物質を探すことが次の目標になりました。ついに09年、「IR700」を見つけました。
ここから続き
 ――渡米し、ご苦労もありましたか。
 米国の研究が順調だったわけではありません。日中は所属するラボのプロジェクトの仕事があります。
 共用の機械を使って自分の研究の実験をするのは、夜中がほとんど。研究所の近くに部屋を借り、ほかの研究者の実験が終わるのをじっと待って、夜中の1時や2時から始めていました。
 昼間にデスクで仮眠するなど、不規則な生活でしたね。若くて元気でした。今なら絶対、体がもちません。
 そんな僕の姿を今のボス、チョイキ先生が見ていて、「夕方の僕たちの機械の時間を使っていいよ」と言ってくれた。それで、だいぶ実験がしやすくなりました。
やりきるまでやろう。やめられるか
 ――研究を継続する意欲をどう維持してきたのでしょうか。
 研究はスポーツに似ています。世界のトップをめざすなら、常に走り続けていないと。そう思ってきました。
 過密な生活でしたが、自分の頭の引き出しにはオプション、まだやり残したことがある。やりきっていないのにあきらめられない。やりきるまではやろうと。やめられるかという思いでした。
 今までにないものの開発に挑み、できるという確信はなかった。でも完成すれば絶対に多くの人の役に立つという自信と、理論的には進めていけそうな道は常にあったので、日々、研究を続けてきました。
 ――光免疫療法によって、免疫力が高まるのですか。
 動物実験では、確実に免疫が上がることがわかっています。
 この手法は、体内のがん細胞を壊して減らし、そこから出てくるものをターゲットに、さらに体に免疫を作らせようという両にらみの手法です。
 つまり、光を当てて破壊されたがん細胞の破片が「質の良い」多種の抗原となり、健常な免疫システムがそれらを認識して体の免疫を上げる。
 がんを認識するリンパ球が増え、残ったがんを攻撃する。いったん治癒した後は長く再発を防ぐことになる。こうした免疫の「教育システム」を健常なまま残すことが光免疫の「みそ」です。
 まだヒトでは証明されていませんが、それをめざした治験も始めています。
 ――保険適用となるのは現在、進行した頭頸部がんの患者のみで、実施する施設もまだわずかです。
 「いつどこでこの治療が受けられるのか」と多く問い合わせをもらいます。現時点では該当する方以外は、標準治療を優先してくださいと答えています。
 医師は自分がいま出来るベストの治療を選択します。主治医に相談して適切な治療を受けてください。
がん治療が根本から変わる可能性
 ――将来の理想の姿をどうみていますか。
 対象となるがんの種類は増やしていきたい。将来的には、がんの部位にかかわらず、まず光免疫療法をして、それで治らなかったら外科手術や放射線、化学療法といった選択をするのが理想です。
 光免疫療法は体へのダメージが小さく、何度でもできるので、これを先にしたから他の治療ができない、効果が落ちるということがないのです。実現すれば、がん治療が根本から変わります。
 ――実用化も少しずつ進みます。
 安い開発費で、効く薬をつくる。安い値段にしていくことをめざしてきました。
 それ抜きには、医学研究は医療にはならないし、やっと研究が医療になりつつあると感じています。
 科学として深いところに到達することと、人の役に立つ、実用化を進めることは少し異なる方向性です。ある程度までは同じですが、どこかでどちらに行くかを決めなければならなくなる。
 どちらかといえば、自分は実用化を選びます。
 ――今年、60歳。日本流には還暦です。この先どうされますか。
 NIHって定年がないんですよ。昔のボスは88歳で、いまだにブランチチーフです。時々相談にのってもらうのですが、論破されて帰ってきます。
 NIHではいつまでもプレーヤーでいられますが、研究が一定のレベルに達さなくなれば、すぐクビになります。
 もともと僕は「明日は明日の風が吹く」というタイプなので、あまり先々のことまでは決めていません。
 ただ、がん治療の新たなチョイス、あまりつらくない光免疫という治療をさらに成熟させて、多くの人に届くようにどんどん進めていきたいと思っています。
 自分の世代の多くの人ががんになる前に、なんとかこの治療で完治できるよう、若い世代に届けられるよう、頑張って今後も研究を続けていきます。(聞き手 編集委員・辻外記子)
国内施設で保険治療始まる
 光免疫療法によるがんの治療は国内でも進んでいる。
 国立がん研究センター東病院(千葉県柏市)では、2人が治療を受ける。
 口腔(こうくう)がんが再発した50代男性は、治療の約1カ月後にがんが小さくなっていることが確認された。その後周囲にがんが増え、2回目の治療を受けて経過観察中だ。
 中咽頭(いんとう)がんが再発した50代女性は、1回目の治療でがんが縮小し経過をみているという。
 患者は1週間から10日間ほど入院して治療する。まず今年1月に発売された新薬「アキャルックス」の点滴を受ける。
 この薬は、近赤外光をあてると反応する化学物質「IR700」を、抗体(たんぱく質)に結合させたもの。この抗体にはがん細胞の表面にある特定の分子「EGFR」に結びつく性質がある。
 薬が体内に入り約24時間後に近赤外光をあてると、がん細胞に結合した薬と光が反応し、がん細胞が壊される。
 具体的には、手術室で腫瘍(しゅよう)に波長690ナノメートルのレーザー光をあてる。腫瘍に針を刺して内部から光をあてる手術法と、腫瘍の表面に光をあてる方法がある。
 腫瘍の再発部位や深さにより異なるが、照射時間は4~6分。腫瘍の大きさによるが、手術そのものは数十分という。
 術後は、投薬の影響による光過敏症を避けるため、1週間~10日間ほど薄暗い部屋で過ごす。
 1カ月間は直射日光を避けることが求められる。外出する際は、帽子にサングラスを着用し、季節によらず長袖、手袋をして過ごすという具合だ。
 治療の後、光をあてた部分の痛みや顔・首回りの腫れを訴える人が多いという。
 東京医科大学病院の塚原清彰教授(耳鼻咽喉(いんこう)科・頭頸部(とうけいぶ)外科)は、「全身麻酔をしていても、がん細胞が壊れる際の痛みなどで血圧が大幅に上がることがある。また全身麻酔後に強い痛みを感じる人もいる」と話す。
 また、薬に含まれる分子標的薬「セツキシマブ」の作用で、背中などに皮膚障害が現れることもある。その際は、保湿剤などでケアをする。
 1回で腫瘍の縮小がみられない場合は、4週間以上あけて再度試みる。
 国立がん研究センター東病院の林隆一副院長(頭頸部外科)は「症例が少なくはっきり傾向を示せないが、今のところ複数回の治療をする人が多い」と話す。
 この治療は、所定の講習を受けた医師がいるといった条件を満たす20施設でのみ受けられる。
自由診療は別、注意が必要
 費用は薬代だけで1回約400万円だが4回まで公的医療保険が適用され、高額療養費制度が使える。69歳以下の自己負担上限は、年収により月3・5万円~30万円程度だ。
 自由診療で「1回30万円」などと案内する医療機関もあるが、承認された光免疫療法とは異なり、注意が必要だ。
 アキャルックスを販売する楽天メディカルジャパンは、自社の技術基盤を「イルミノックス」と商標登録している。注意点などは、同社のサイト(https://pts.rakuten-med.jp/akalux)に掲載されている。
 厚生労働省は光免疫療法を、審査期間を短縮する「先駆け審査指定制度」の対象とし、「条件付き早期承認制度」も適用。最終段階の臨床試験(治験)の結果を待たずに2020年秋に承認した。
 販売元は市販後の調査を求められており、治療成績などについて、180例を目標に集め、結果を報告する。
 ほかに、胃と食道がんの医師主導治験も実施されている。
 がん治療全般に詳しい静岡県立静岡がんセンターの山口建総長は「頭頸部がんにおいて光療法の効果は明確になった。今後、大規模な臨床試験で、長期予後や免疫が活性化されてがんに及ぼす効果などを調べ、既存の治療に比べてメリットが大きいかどうか、明らかにされるだろう」と話す。
 胃や大腸など他の部位のがんについては、「がん細胞での薬剤の標的となるたんぱく質の存在が頭頸部がんほどでなく、また、がん表面にしか光照射ができないなど制約が多い」と慎重な見方をする。(熊井洋美、編集委員・辻外記子)
光免疫療法の治療をする病院
 宮城県立がんセンター、埼玉医科大学国際医療センター、国立がん研究センター東病院東京医科大学病院東京医科歯科大学病院、横浜市立大学病院、愛知県がんセンター、京都大学病院、大阪国際がんセンター、大阪大学病院、関西医科大学病院、神戸大学病院、鳥取大学病院、岡山大学病院、広島大学病院九州大学病院久留米大学病院
 (楽天メディカルジャパンによる。非公表の施設を除く)

「君の仕事はお茶入れじゃない」その一言が必要だ

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なぜ女性リーダーが日本で生まれにくいのか━━。週刊東洋経済6月12日号(6月7日発売)では「会社とジェンダー」を特集。企業に残る根強い男女格差、海外と比べて遅れた取り組みについて、さまざまな角度から取り上げた。気鋭のジャーナリストが自身の実体験も踏まえ、日本の変わらない構造問題を説く。

本当に女性はリーダーになりたがらない?
日本企業には女性リーダーが少ない。
週刊東洋経済』6月7日発売号の特集は「会社とジェンダー」です。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします。紙版はこちら、電子版はこちら
令和2年版『男女共同参画白書』(内閣府)によれば、管理的職業従事者に占める女性比率は、日本で14.8%。アメリカ40.7%、英国36.8%、ドイツ29.4%、フランス34.6%と、主要先進国が3~4割なのと比べ、その低さが目立つ。アジアでも韓国14.5%を除けば、フィリピン50.5%、シンガポール36.43%、マレーシア24.6%と、いずれも日本を上回る。
筆者は20年余、ジェンダー(男女の社会的な性差)と、企業を巡る課題を取材・執筆してきた。どうしたら日本企業で女性リーダーが増えるのか。この問いを繰り返し耳にしてきた。
思い出すのは大学生のときに受けた社会学の講義だ。担当教授にしつこく言われたのは、「レポートに、安易に解決策を書くな」ということ。真意は「君たちが簡単に思いつくような解決策は現場ではすでに試している。そんなに簡単に解決するなら深刻な問題にはなっていない」ということだ。
思い付きの解決策ではなく、構造を見るべきという指摘は、ジェンダー格差にも当てはまる。最大の問題は、性差別の歴史や実態を知らない人が意思決定層にも多いことである。女性に対する支援を、「女性優遇・男性差別」と捉える人は現状を中立と思っていて、差別構造が見えていない。
「女性がリーダーになりたがらない」という説明もよく聞く。環境要因の問題が大きい中、自己責任を説いても効果は薄い。本気で女性リーダーを増やしたければ、過去から現在に続く自社の人材マネジメントについて、「性差別」「ジェンダー・バイアス(偏見)」を切り口に見つめ直すべき。日本企業に女性リーダーが少ないのは、管理職の年次で必要な経験を積んだ女性の数自体が少ないからだ。管理職候補が少ないのは結婚や出産による退職のみならず、そういう女性を採用してこなかった企業側の責任がある。
中には、技術系の開発部門のように理系大学院卒相当の知識が必要で、そもそも応募者に女性が少ないこともある。こうした分野のジェンダー・ギャップを解消するためには、学校や家庭でのジェンダー・バイアスも考慮しつつ、長期的な取り組みが必要で、企業だけに問題があるとは言えない。
「差別」という言葉に抵抗を覚えるなら、それは歴史と事実を知らないからだ。その場合は『男女賃金差別裁判 「公序良俗」に負けなかった女たち』(明石書店)を読んでほしい。
原告は女性労働者たちで被告は彼女たちの雇用主だった住友電気工業住友化学。労働やジェンダーに詳しい法律家が弁護団となり、間接差別の問題を浮き彫りにし、和解を勝ち取った意義深い事例である。本書の働く女性たちの声を読めば、女性だけに適用される“30歳定年”など、現代の感覚では非常識な慣習に驚くはずだ。ちなみにどちらの企業も現在では「ダイバーシティ経営」を掲げている。
実際に訴訟まで至っていない、小さな性差別は数えきれない。
私が就職活動をした1996年のこと。就職に強いとされる大学の3年生で、男子学生の多くが銀行や保険会社など金融系企業の就職内定を得ていた。獲得した内定先を滑り止めにしつつ、商社やメーカーなどの採用試験を受ける人もいた。しかし、同じ大学・同学年でも、女子学生にそのような選択肢はなかったのだ。
当時の大手金融機関で女性総合職の採用は少なく、「今年は女性総合職を取らない」「男子百数十人、女子1人」なのはざらだった。同じ大学に女子学生が2割はいたから能力や専攻は理由にならない。
かつて「女性は事務職です」の時代があった
性差別的な採用は業界を問わず存在した。私が就職説明会に参加した不動産会社では、人事担当者が「女性は事務職です。男性は企画か営業です」と、参加した学生たちに面と向かって言った。私が「女性が営業を希望したらどうなりますか?」と質問したら、人事担当者は「女性は事務職です」と即答したのである。
その企業でペーパーテストを受けながら吐き気が込み上げてきた。能力や適性でなく性別で仕事内容を決められるのが嫌だったからだ。1986年の男女雇用機会均等法施行から10年後の話である。
とはいえ、私は幸運だった。探せば男性と同じ仕事・同じ賃金の就職先もあったからだ。私より10歳以上年上の女性弁護士は、東京大在学中「男子のみ」という求人票の山を見て絶望を感じ、企業就職を諦めて司法試験を受けたそうだ。日本企業が四大卒の女性を採用しないので、外資系を中心に試験を受けた人もいる。
もし、あなたの勤務先でもこうした過去があるなら、まずは真摯に反省してほしい。女性の役員や管理職が少ないのは、差別的なマネジメントの結果だと認めてほしい。そして長年、男性の補助と位置付けられた女性たちに、「時代が変わったから」と急に活躍を求めても、やる気がでるはずがないことも理解すべきである。
では、過去の人材マネジメントを反省し、今後は是正していくことを決めたら、女性リーダーは増えるのだろうか。
次に知っておくべきなのは家庭や社会の歴史だろう。かつての日本では、男性が外で働き、女性は家庭を守る、性別役割分担システムが広範に根付いていた。それが効率的な経済発展に役立つから税制も主婦を優遇した。私自身、多忙な会社員の父と専業主婦の母という家庭で育ったから、システムの恩恵を受けたと言える。 
ただし、今、2人の子どもを育てながら私が歩んでいるのは、母と父の人生を混ぜ足したような人生だ。子育てしながら男性と同じような仕事をして稼いできた。
夫婦共働きが主流の現在、家庭内の仕事を女性だけが抱え込んでいたら、職場で責任ある仕事を引き受けて、リーダーシップをとるのは難しい。男性も家事や育児を「お手伝い」ではなく、「自分の責任」として担う必要がある。これは日本が抱えるジェンダー・ギャップの中でも大きな課題だ。
日本では、6歳未満の子どもを持つ夫は、共働きでも76.7%の夫が家事をしておらず、69%の夫が育児をしていない。国際比較でも日本男性の家事育児参加の少なさは際立つ。6歳未満の子どもを持つ人を見ると、米英独仏など先進国で家事育児をするのは、女性が5~6時間なのに対して、男性は半分の時間を費している。一方、日本は女性が7時間半、男性が1時間半弱と、ジェンダー間の格差が大きい(「令和2年版 男女共同参画白書」より)。
仮に職場での性差別がなくなったとしても、家事育児などの無償ケア労働の差が大きいままでは、女性リーダーを増やすのは難しい。男性も家事育児を担える働き方になること、つまり家庭内のジェンダー平等を目指す必要がある。
男性上司や先輩、夫の意識を変えるべき
最後にひとつ実践可能なエピソードをお伝えしておく。
1997年のちょうど今ごろ、新入社員だった私は、職場で来客にお茶を入れた。すると、3~4歳上の先輩に呼ばれて注意を受けた。お茶がまずかったからではない。
「君の仕事はお茶入れじゃないから。給料が高いから、もっと頭を使って仕事して。おもしろい雑誌を作るのが君の仕事」
当時この先輩は「ジェンダー」という言葉を知らなかったと思う。それでも彼の言葉はジェンダー中立だった。このとき、私は自分の仕事がいったい何なのか、肌で理解した。「やっぱり女の子の入れたお茶は美味しいなあ」と言われていたら、私は今こういう仕事をしていなかっただろう。
つまり、上司や先輩、そして夫たちの意識と行動変容こそがカギなのだ。
治部 れんげ(じぶ れんげ)
Renge Jibu
ジャーナリスト
昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員・同大学女性文化研究所特別研究員。 

眞子さまはなぜICUを選ばれたのか 宮内庁の後悔先に立たず

下記の記事は日刊ゲンダイデジタルからの借用(コピー)です

「小室文書」を公開したにもかかわらず、期待した国民の祝福は得られそうもないようだ。眞子さまの結婚がすんなりいくかどうかは予断を許さないが、皇族の結婚がこれほどもめるのは前代未聞だろう。これも本をただせば、眞子さま学習院大学ではなく、国際基督教大学(ICU)を選んだからで、ICUに行かせなければ小室さんと出会わなかったはず、と宮内庁は悔やんでいるかもしれないが、後悔先に立たずだ。

 それにしても、なぜ眞子さまはICUを選ばれたのか。というより、皇族の学校選びはどうやって決められるのだろうか。

 上皇さまも天皇陛下学習院愛子さま学習院だ。愛子さまが女子高等科3年の頃、学習院大学ではなく東大に進学するのではないかと話題になったことがある。しかし当時の宮内庁関係者が「将来、女性天皇が認められれば、愛子さま天皇になられる方です。学習院以外にないでしょう」と言った通り、結局、学習院大学を選ばれた。

なぜ皇族は学習院なのだろうか。

 学習院が創立したのは明治10年。設立目的が「華族学校」だったように、華族のための学校だった。華族学習院で学ぶことが義務付けられたのである。当時はよほどの事情がない限り学習院から軍人になることが奨励されていたから、中等科を修了すると陸軍士官学校などに編入した。当時も学習院は法的に私立だったが、宮内省華族が拠出して設立したのだから半官半民である。もっとも、その後は皇室の丸がかえだったから「皇立」と言えるかもしれない。

 大正15年の皇族就学令によって皇族も学習院で学ぶことが義務となり、昭和天皇学習院初等科に入った。ただ卒業前に明治天皇崩御され皇太子になられたから、中等科には進まず東宮御学問所で学ばれている。帝王教育を受けられるためだ。

 学習院と皇室の関係が深くなったのは、むしろ戦後で、皇族の教育に熱心だった安倍能成院長以降だといわれる。明仁皇太子(現在の上皇陛下)をはじめ、皇族の多くは学習院に入った。現天皇浩宮さまも幼稚園に入る年齢になると、それまでなかった学習院幼稚園が急きょつくられて入園されている。こうして学習院は皇族のための学校になっていくのだが、かつて学習院で働いた人物はこんなことを言った。

「皇族の方とお話をするにも、いざその方が目の前に立たれると、緊張して言葉が出てこないものです。ところが学習院はそういうことに慣れている先生方が多い。それに職員も警備には手慣れています。一昨年、秋篠宮家の長男・悠仁さまが通われていた中学校で、机の上に刃物が置かれた事件がありましたが、学習院だったらまずそういうことは起こらなかったでしょう」

 学習院なら安心して通わせられるという。

 天皇陛下学習院大学を卒業したあと大学院に進学した。礼宮さま(秋篠宮)も学習院大学だが、皇室記者によれば、浩宮さまとあらゆる面で対照的だったせいか、「兄と同じ学習院大学に進学したくなかったのに、ご両親の説得で仕方なく進学した」とされている。

 もっとも、そのおかげで、紀子さまと巡り合えたのではあるが、眞子さま学習院でなくICUに進学した裏には、秋篠宮さまの学習院に対する複雑な心境が影響したようだ。

体形の問題ではない! 血糖値が上がりやすくなる「やせメタボ」の危険性

下記は日経ビジネスオンラインからの借用(コピー)です   記事はテキストに変換していますから画像は出ません

やせ型の人でも体内でひそかに進行する「やせメタボ」があるのをご存じだろうか。ポイントとなるのが筋肉だという。筋肉に脂肪がたまった状態である「脂肪筋」になっていると、糖尿病やメタボリックシンドロームのリスクを高めてしまう。「もはや、メタボは体形だけでは判断できません」と、順天堂大学大学院代謝内分泌内科学・スポートロジーセンター先任准教授の田村好史さんは言う。リモートワークで「歩かない生活」になり、忙しくて食事内容が偏っている人は要注意だ。気になる「やせメタボ」について聞いていこう。
糖尿病発症リスクは、肥満者よりもやせた人のほうが高い?!
 メタボといえば、太った人、お腹がぽっこり出ている人の病気。太っていない自分は大丈夫、と安心していないだろうか。近年、やせ型の人であっても油断できない研究結果が続々と発表されている。40~79歳の日本人約7200人を対象に9.5年間追跡した研究によると、BMI(*1)が高い肥満の人よりも、低い(やせている)人のほうが糖尿病発症リスクが数値としては高いことがわかった(下グラフ)。
やせ型の人は肥満者よりも糖尿病発症リスクが高い
40~79歳までの糖尿病ではない日本人男女7240人を9.5年間追跡。BMIが18.5未満のやせ型の群は、18.5~22.9の普通体形の群に比べて糖尿病の発症リスクが約2倍高く、25以上の肥満の群よりもリスクは高かった。(データ:Diabetol Int(2012) 3;92-98より改変)*統計学的有意差あり
 メタボリックシンドロームは、内臓周囲に脂肪が蓄積する「内臓脂肪型肥満」に加え、脂質代謝異常、高血圧、高血糖のうち2つ以上が当てはまる状態のことを言う。動脈硬化を進め、脳梗塞心筋梗塞といった命に関わる病気につながることが広く知られている。
 メタボが進行した先にある糖尿病も、肥満度が高くなるほどかかりやすくなるものでは、と思っている人がほとんどではないだろうか。
 肥満ではない人の体に起こる代謝の問題について15年間研究を続けてきた順天堂大学大学院代謝内分泌内科学・スポートロジーセンターの田村好史さんは、「もともとアジア人は欧米人と比べて血糖値を下げるインスリン(*2)の分泌能力が弱く、軽度の体重増加であっても糖尿病やメタボにかかりやすいことが知られてきました。発表された上記の研究では、まだ糖尿病を発症していない人であってもやせ型の人はその後、糖尿病にかかりやすくなることが明らかになりました。もはやメタボなどのリスクは体形のみでは判断できない、してはいけないと考えています」と説明する。
*1 BMIとは、肥満の基準となる体格指数(body mass index)のこと。体重(kg)を身長(m)で2回割って算出する。
*2 インスリンは、膵臓から分泌されるホルモンの一種で血糖値を下げる役割がある。
 BMIという基準から言うと、BMI25kg/m²以上が「肥満」となる(身長170cmで体重72.25kgの人の場合、BMIは25.0)。意外にも、BMIが低い人たちのほうが、糖尿病リスクが高かったというのだ。やせても糖尿病になってしまう人の体の中で何が起こっているかについて、田村さんは複数の事実を明らかにしてきた。
標準体形でもメタボリスク因子が1つでもあると肥満の人並みにインスリンが効きにくくなる
日本人男性70人を対象に、BMI23~25kg/m²で、高血糖脂質異常症、高血圧のメタボリスク因子を1つも持っていない人、1つ持っている人、2つ以上持っている人に分け、骨格筋のインスリン感受性(筋肉でのインスリンの働き)を測定。リスク因子が1つでもあると、肥満でメタボの人と同程度に骨格筋でのインスリン感受性が低下している、つまり糖尿病リスクが高い可能性があることがわかった(*3)。
閉経後のやせ女性では「脂肪筋」が多くなるほど食後血糖値が高くなる
やせた閉経後女性(BMI18.5kg/m²未満。平均年齢56.2歳)では、食後に高血糖値になる割合が同年代の標準体重女性の約2倍高い(やせた女性37%、同年代女性17%)。さらに調べると、筋肉量が少なく、筋細胞内に脂肪が蓄積する「脂肪筋」が多いほど、食後血糖値が高くなった(*4)。
若年やせ型女性では標準体重の人より耐糖能異常が7倍多くなる
やせ型の若い女性(BMI18.5kg/m²未満。平均年齢23.6歳)では、食後高血糖となる「耐糖能異常」の割合が、標準体重女性よりも約7倍高い(やせた女性13.3%、標準体重の女性1.8%)。その率は米国の肥満者(BMI30kg/m²以上)における割合(10.6%)よりも高かった。耐糖能異常のある人は、インスリン分泌が低下していただけでなく、肥満の人に生じると考えられてきたインスリンの効きが悪い(インスリン抵抗性)という特徴が見られた(*5)。
*3 J Clin Endocrinol Metab. 2016 Oct;101(10):3676-3684.
*4 J Endocr Soc. 2018 Feb 19;2(3):279-289.
*5 J Clin Endocrinol Metab.2021 Jan 29;dgab052.
田村さんは「メタボなどのリスクは体形のみでは判断できない」という
糖を代謝する巨大な臓器「筋肉」の問題が全身に悪影響
 「肥満ではないのに糖の代謝が悪くなり、やせメタボとなっている人の体では、脂肪筋などが原因で、インスリン抵抗性となっていることがわかりました」(田村さん)。
 通常、食事でとった糖は、筋肉や肝臓など、糖をエネルギー源とする臓器に運ばれる。筋肉と肝臓がブドウ糖を取り込むときのスイッチ役となるのが、前出のインスリンというホルモンだ。
 インスリンが正常に働いていれば、血糖値は一定に維持される。ところが糖尿病患者では、インスリンの分泌量が減ったり効きが悪くなったりして、糖が十分に取り込まれず血糖値が上昇したままになる。インスリンの効きが悪くなる主たる原因が、内臓脂肪。だから肥満の人は糖尿病になりやすい。これが、これまで知られてきた事実だ。
 一方、「やせているのにインスリンの効きが悪い、やせメタボの体」では、脂肪筋が悪さをしているのではないかと田村さんは話す。「現時点での仮説として、筋肉が脂肪筋になると糖代謝に悪影響を及ぼす、と考えています」(田村さん)
 体は、皮下脂肪や内臓脂肪にエネルギーを蓄えるが、それ以外の臓器でも、エネルギー源として脂肪が蓄積される。脂肪組織以外の骨格筋や肝臓などの臓器にたまる脂肪を「異所性脂肪」と呼ぶが、その量が過剰になると、さまざまな障害を起こすのだ。もちろん、「脂肪筋」もこの異所性脂肪の一種だ。
 「食事で脂肪をとりすぎて、活動しない、つまりあまり歩かないような状態であると、脂肪がエネルギーに変わりにくくなります。脂肪細胞にためきれずに余って漏れ出した脂肪が筋肉にたまった、あるいは使われずにたまったのが、脂肪筋です(下イラスト)」(田村さん)
 脂肪筋では、脂肪が筋肉内で何らかの毒性をもたらし、糖を取り込むインスリンの効きを悪くすると考えられている。糖が血中でだぶつき、やがて糖尿病やメタボの悪化につながっていく。「やせメタボは、肥満とは別個に起こる現象です。男性では、体脂肪率が20%を超えたあたりから脂肪が漏れ出るようになり、インスリンの効きが悪くなることを確認しています」(田村さん)。
 骨格筋は、全身を動かす臓器であるとともに、人体の中で糖をグリコーゲンとして蓄える最大のタンクでもある。「骨格筋は、体重の約50~60%を占める人体最大の臓器ですが、この大きなタンクの調子が悪くなり、糖代謝がうまくいかなくなると、糖尿病になるだけでなく、動脈硬化や高血圧になることが明らかになってきています」(田村さん)
【脂肪筋とは】
筋肉の細胞の中に脂肪がたまると「脂肪筋」になる。骨格筋は、食事でとった糖をグリコーゲンとして蓄えるタンク。ところが脂肪筋では、たまった脂肪が毒性を発揮し、インスリンを効きにくくする。このため、糖をスムーズに取り込めなくなり、糖尿病が進む。これが、やせていても「メタボ」になる仕組みだ。
 田村さんは特別な装置で、脂肪筋を「すね」部分の筋肉で測定している。自分の筋肉が脂肪筋になっているかどうかを知りたくなるが、「残念ながら脂肪筋は外側からはわかりません。すね部分の見た目や触り心地でも、判断できません」(田村さん)。
 そこで、目安にしたいのが以下のチェックリスト。これまでの研究結果を総合し、「チェックが複数当てはまる人は、脂肪筋などが原因でインスリン抵抗性になっている可能性が高い」という。
〈脂肪筋チェックリスト〉
    * □ 血圧が高め
    * □ 中性脂肪値が高め
    * □ 血糖値が高め
    * □ 肝機能が悪い
    * □ 脂肪肝である
    * □ 歩く量が少ない(歩数1日5000歩以下)
    * □ 油ものが好き
    * □ 車を利用することが多い
3日間の油っこい食事と運動不足で脂肪筋が1.5倍増える
 前出のとおり、脂肪筋を作る原因となるのが「活動不足」と「高脂肪食」だ。
 これまでは通勤などで歩いていたが、リモートワークでめっきり歩数が減った、食事内容も偏っている、という人は「このような生活がどのぐらい続くと脂肪筋に変わってしまうのか」についても知りたくなるだろう。
 「実は、肥満していない若い男性を対象にした私たちの研究では、3日間脂っこいものを食べ、1日3000歩以下しか歩かない、という生活によって、脂肪筋が1.5倍に増え、インスリン感受性も低下してしまいました」と田村さんは言う(下グラフ)。
3日間の高脂肪食で脂肪筋が増え、インスリンの効きが悪くなった
50人の肥満していない男性(平均年齢23.3歳)に、3日間の普通食を、そのあと3日間の高脂肪食(炭水化物20%、脂質60%、たんぱく質20%)をとってもらい、その前後に脂肪筋量、骨格筋のインスリン感受性を測定した。高脂肪食による反応が大きかった群では、脂肪筋量が約1.5倍増え、骨格筋のインスリン感受性が有意に低下した。(データ:Am J Physiol Endocrinol Metab. 2016 Jan 1;310(1):E32-40.)
 また、「どのような人で脂肪筋が増えやすいか」を確かめた研究では、週1回以上運動しておらず、かつ、あまり歩かない人は、脂肪筋が増えやすいことがわかった(*6)。
 「普段からしっかり活動をしている人では、脂肪筋が作られにくいと言えます」(田村さん)。
 いかがだっただろうか。在宅のリモートワークで歩かない生活は、危ないとわかっていただけたと思う。ぜひ、リモートワークが続いても、活動を減らさずに、できるだけ歩くようにしよう。
*6 J Diabetes Investig. 2011 Aug 2;2(4):310-7.
 次回は、「歩かない、動かない」ことが「やせメタボ」だけでなく、総死亡リスクや認知症などさまざまな疾患リスクを高める要因になる、というエビデンスについても見ていこう。
(図版制作:増田真一)
田村好史(たむら よしふみ)さん
順天堂大学大学院 代謝内分泌内科学・スポートロジーセンター 先任准教授
順天堂大学医学部卒業。糖尿病専門医。

「愛してる」と言って亡くなった小林麻央さんの最期を作り話だという医師たち

下記は文春オンラインからの借用(コピー)です

大切な家族やあなた自身がどんな最期を迎えたいと考えているか、赤裸々に話し合ったことはありますか? 「自宅でなら安らかな死が迎えられる」と美談ばかりが語られてきた在宅医療に様々な問題があることが明らかになりました。ドラマや映画の中ではない「リアルな死」を知らない人が多い現代の日本社会。家族も本人も後悔しない“平穏死”を迎えるには、元気なうちから死を自分の事として考えておくことが大切です。
 兵庫県尼崎市で20年以上にわたり在宅での看取りに取り組み、著作『痛い在宅医』(ブックマン社)が話題の長尾和宏医師に、医療現場に詳しいジャーナリストの鳥集 徹さんが「在宅医療のリアル」を聞く最終回です。
◆◆◆
鳥集 モルヒネなどを投与しても耐えがたいほどの苦痛を訴える末期がんなどの患者さんには、鎮静薬でウトウトと眠らせる「鎮静」という方法もあります。長尾先生はどうお考えですか?
長尾 大病院やホスピスでは鎮静率50%と聞いたことがあります。しかし、僕らはほとんど鎮静しません。去年も100人のうち1人やったかどうか。鎮静を積極的に行うべきかどうかについては、実は緩和ケア医のあいだでも議論があります。確かに鎮静をすれば患者さんは深い眠りにつき、苦痛を感じることはありません。ですが、意識がなくなって、無理やり起こさない限りしゃべることができなくなりますし、命が縮んでしまう可能性もあります。これは倫理的に正しいことなのか、日本では犯罪とされる「安楽死」に当たらないのかどうか、慎重に考える必要のあることなんです。
鎮静をあまりやらないのは最期の言葉を残せないから在宅診療中の長尾さん 写真提供:長尾クリニック
鳥集 長尾先生は、どうしてあまり鎮静しないんですか?
長尾 若い人のほうが痛みに敏感で、とても苦しむことが多いので、そうした方には鎮静することもあります。といっても、鎮静薬を点滴で入れて深く眠らせる方法ではなく、ラムネのような睡眠薬を口から飲んでいただき、浅く眠らせる方法をとることが多いです。僕は大病院やホスピスで鎮静率が高いのは、点滴のしすぎで溺れているような状態になり、息苦しさを訴える人が多いせいではないかと思っているんです。それに僕は、やはり意識は大切だと思っていて、せっかく目が覚めてるなら、しゃべってもらったほうがいいと思うんです。小林麻央さんだって、海老蔵さんの帰りを待って、最期に「愛してる」って言い残して亡くなったでしょう。もし病院でたくさんの点滴を受けて鎮静をかけられていたら、最期の言葉を残すこともかなわなかったはずです。
医師までが「作り話だ」と……みんな平穏死を見たことがないだけ
編集担当 ネットの一部では、「死ぬ間際の人が『愛してる』なんてドラマのように言えるはずがない。こんなのは作り話だ」とまで言われて、心ない反応もありました……。
長尾 そう。ある医師限定の医療サイトでも、ほとんどの医師が「作り話だ」と言って、僕が「作り話じゃない」と書いたら炎上したんです。別に炎上するのは構わないんですが、みんな平穏死を見たことないから、知らないだけなんです。僕は麻央さんと同じような人を在宅で実際に見ている。小さな子供がいる30代の乳がんの女性を看取った経験も2例ありますが、死の直前まで訪問看護師や僕と話していました。ですから僕は事実だと思っています。多くの人が亡くなる直前までしゃべってますよ。そういうことを知らない。多くの医師や看護師は自然死、平穏死をまだ一度も見たことがないんです。市川海老蔵さんに「愛してる」と言い遺して息をひきとった小林麻央さん 
鳥集 ご本人が、「眠らせてくれ」と言った場合はどうするんですか?
長尾 睡眠薬をある程度強めに飲んでもらうということになると思いますが、鎮静の判断は本当に難しい。欧米には「パリアティブ・セデーション(緩和的鎮静)」という言葉があり、安楽死とは違うとされているんです。仮に死期が早まっても「何がおかしいんですか? 全然何も問題ないです。どっちみち死ぬでしょう」と。でも、日本だと人為的な薬剤投与でちょっとでも命が縮まったら、「安楽死をやった」と言われかねません。だから、在宅での看取りをする医師がなかなか増えない。
安楽死を認める国も多い欧米との文化の違い
鳥集 欧米ではスイス、オランダ、ベルギーなど安楽死を法律で認めている国も多いですが、肉体は滅びても魂は残るというキリスト教的な考えが強いからでしょうか。
長尾 欧米人は、自分が正常じゃなければ人間じゃない、正常でないなら意識を消してしまってもいいという考え方が強いようですね。でも、日本人には、もともとはっきりした自分がないせいか、死に方も簡単には決められないんです。今日亡くなった患者さんも、昨日、「娘さんは、最期は病院でって言ってるけど、家と病院とどっちがいいの?」って聞いたら、「どっちでもいい」って言って、結局奥さんが家で看取ることを選びました。
鳥集 今の日本社会は「死」というものをすごく遠ざけていて、自分がどんな最期を迎えたいかあまり考えないし、家族とも話をしません。やはりそれはやるべきことでしょうか?
長尾 これが難しくて。僕も一人暮らしの母親に聞いたんですよ。「お母さんもう86歳だし、だんだん動けなくなるから、施設に入るか?」「最後は病院がいいの? 家がいいの?」って聞いたら、「なんてこと言うの!  親にそんなこと聞くものじゃない!」って、えらい怒られて。結局、車にはねられて即死だったんですけど。
鳥集 エーッ。
長尾 あらかじめ元気なうちから、命の終わりについて患者・家族や医療者たちと一緒に話し合っておくプロセスのことを「アドバンス・ケア・プランニング(ACP)」と言って、日本でもやっておくべきだと思うんですが、まだまだ難しいと感じる人が多いのが現実です。「もしバナゲーム(Go Wish Game)」という、「もしもの時にどうケアしてほしいか」「どこで誰にそばにいてほしいか」といったことを話し合える米国発祥のカードゲームがあって、日本では亀田総合病院(千葉県鴨川市)の緩和ケア科が中心となったiACPという団体が普及活動をしています。そうした遊び感覚で、ちょっとずつ家族で死の心づもりをしておくことは、いいことだと思うんです。
鳥集 地域の老人会なんかでも、「自分はどう死ぬか」を話し合ってみる会を開くといいかもしれませんね。
長尾 それもいいですね。そうした町づくりに関わることこそ、医師会の仕事なんです。医者嫌いで、在宅医療を受けてないおじいちゃん、おばあちゃんだっていっぱいいます。そういう取り組みを上手にやって、在宅で平穏死を迎える土壌を作るのが、本当は医者の仕事なんです。
高校3年生の時に父親が自殺したトラウマ
鳥集 確か、棺桶に入る体験会なんかもありましたね。
長尾 ええ、僕が理事をしている日本ホスピス・在宅ケア研究会のイベントで入棺体験できるコーナーがあって、僕もしょっちゅう棺桶に入ってます。棺桶に入ると、死との距離が一気に縮まる感じがします。そうやって、死を「自分の事」と考えられるようにしておくことが大切なんです。でも、みんな怖いんですよ。お年寄りの人も入らない。入るつもりで来ているのに、入らない(笑)。ですが、それどころか僕、今度7月7日に生前葬もやるんですよ。
鳥集 え?  まだ早くないですか?
長尾 僕は今年還暦になるんですが、そこまで生きられるとは思ってなかったんです。自分の中では、すごくめでたいことだなと。実は、高校3年生のとき、親父がうつ病で自殺しました。それもあって、自分は長くは生きれない運命にあると思ってきたんです。死に関する本を書くのもその辺に理由があって、要はトラウマ(心の傷)、PTSD心的外傷後ストレス障害)なんです。
鳥集 そうだったんですか……。長尾和宏さん 
長尾 なぜ自殺がよくないか。それは残された子どもがPTSDになるから。だから、やっぱり死に関してはナーバスになる。でも、それでも60歳になれそうなので、よかったなということで、盛大にやります。しかし、本当に死ぬ時は逆にひっそりと、誰にも分からないように完全消滅するような死に方をしたいなと。
1人でガンジス川に行って死にたい
鳥集 大切な家族に見守られたいという気持ちはないんですか?
長尾 全然ないです。今ここで言っちゃったらバレるけど、たぶんインドに行って、1人でガンジス川に行って、行方不明になってそのまま帰ってこないみたいな。
鳥集 えー、ガンジス川ですか? 僕なんて1人で死ぬなんて考えられないです……。いずれにせよ、いつか自分も死を迎えると自覚できる仕掛けがないと、死について考えたり語り合ったりするのは、なかなか難しいですよね。
一人暮らしでも在宅死はできる
長尾 死の受容と言うと、『死の瞬間』(1969年発表)を書いた米国の精神科医キューブラー・ロスの五段階モデル(終末期の患者は、1.否認と孤立、2.怒り、3.取り引き、4.抑うつ、5.受容、と段階を踏んで死を受け入れるという考え方)が有名ですが、実は本人よりも「家族の死の受容」が一番大変なんです。本人は覚悟が出来ていて「もういい」と思っているのに、家族がなかなか受け入れられない。実は日本の終末期医療の問題は、8割ぐらいが家族の問題なんです。だから今、家族に向けた本ばっかり書いています。この本(『痛い在宅医』)も、本人より家族に読んでほしいと思っています。とくに遠くに住んでいる息子さんや娘さんたちに。
鳥集 家族の問題は、よく聞きますよね。せっかく在宅で死を受け入れる準備ができているのに、「なんで病院に連れて行かないの」って、離れて暮らしてる娘や息子がやってきて怒り出すという。実は、在宅医の先生方にうかがうと、一人暮らしの患者さんを看取るほうがかえって楽なんだと言います。家族のいる人はいろんなことを言う人がいるので、意見がまとまらず困ることが多いと。
長尾 そうなんです。病院の方々も「一人暮らしの方は、在宅は無理です」って言うんだけど、私たちからしたら「なんでできないの?」って思います。だって、世の中一人暮らしの高齢者だらけじゃないですか。65歳以上の人の独居率は3割近くにもなっています。長生きすればするほど、いつか一人暮らしになって、しかも認知症になるんです。それが普通のことなので、町を挙げて包み込み、柔らかく見守る。建物でなく町が病院になる。そんな社会になるべきです。でも、医者が一番頭が固い。とくに病院でわかっていない人が多いんです。病院の医者が「在宅の看取りなんてインチキだ」と思っている限り、なかなか世の中の空気は変わらないですね。
それでも家で死ぬのは幸せなこと
鳥集 今回のテーマは、国が在宅医療に本腰を入れて10年以上たち、そろそろ美談ばかりでなく、ダメな現実も見るべきだという話だったわけですが、インタビューの最後ぐらいは希望を持てるような終わり方にしたいと思います。いろいろ問題はあっても、やっぱり在宅で看取るほうがいいんですよね。
長尾 はい、在宅死は非常にご家族の満足度が高く、「死んだのにこんなにありがたがられるのか」というぐらいご家族から感謝されます。別に自慢しているわけじゃないけど、家で死んで後悔する家族って僕らは知らないんです。人類はみな「遺族」ですから、僕らはお看取りした家族は遺族とは言わず、家族と言うんですが──みんなで思い出を語り合う家族会をすると、たくさんの方が来られて、みんな「よかった」って口々に言いますよ。家で看取って、悪いことなんて一つもないからです。
鳥集 逆に病院ではたくさんの管をつけられたあげく、心停止した瞬間に蘇生措置をするために、「ちょっと病室から出てください」と言われて、家族が患者さんの死の瞬間に立ち合えないと言った話もよく聞きました。そのような無理な延命治療や蘇生措置は減っただろうとは思いますが……。
「こんなに楽に逝くとは思いませんでした」
長尾 なんで在宅死をよかったと思うかというと、病院での死をみんな知っているから。お母さん、お父さん、兄弟などが病院でえらい目に遭って、えらい死に方をして、あれだけは嫌だと思っていた。だけど、家では全く違った。「まさかこんなに楽に逝くとは思いませんでした」「先生、思ったよりずっと楽に逝きました」。ほとんどの人がそう言います。2人、3人と在宅での平穏死を経験した家族は自信満々になりますね。もう分かっているから。でも、初めての人は全員ビックリする。「人ってこんな楽に死ねるんですか」と。異口同音に言うんです。だから、死んだ瞬間に笑顔になる。「先生、朝ご飯食べませんか?」。そう言われることもある。ほんとに、そんな感じなんですよ。
鳥集 まさに、死が日常の中にあるという感じですね。この『痛い在宅医』の中には、〈正しい在宅医選び10カ条〉も記載されています。
長尾 はい、まずは看取りの実績が多い医師を選ぶことが大切です。それには、僕が監修した『さいごまで自宅で診てくれるいいお医者さん』(週刊朝日ムック)が参考になりますので、精読することをおすすめします。また、24時間対応の内容や、診療所の医師数も確認してください。それから、家族だけで受診して在宅医と話し、医師との相性を確認することも重要です。可能なら、訪問看護師さんやケアマネージャーさん、それから実際に在宅看取りを経験したご家族から話も聞いてみてください。
鳥集 多くの人が「よかった」と思える看取りができるよう、在宅医療のレベルアップを望みたいと思います。本日はどうもありがとうございました。
長尾和宏(ながお・かずひろ)
医学博士。医療法人社団裕和会理事長。長尾クリニック院長。一般社団法人 日本尊厳死協会副理事長・関西支部長。

作家・佐藤愛子「2度の離婚も、借金も…つまずいたら起き上がるしかない」

下記は婦人公論オンラインからの借用(コピー)です

ベストセラー『九十歳。何がめでたい』など、軽妙洒脱なエッセイが人気の佐藤愛子さん。初エッセイから最新まで本誌掲載作を収めた『気がつけば、終着駅』では、人生の終わりを見つめています。97歳の佐藤愛子さんの胸のうちは(構成=本誌編集部 撮影=宮崎貢司)
──著書のタイトルは『気がつけば、終着駅』。どういう思いでつけられたのでしょうか。
もうおしまい。それだけのことですよ。とにかく、まっしぐらに生きてきました。あまり先のことを考えずにここまできたけれど、気がついたら人生の終わりに来ていた。
『気がつけば、終着駅』(佐藤愛子:著/中央公論新社
私の干支は亥ですからね。猪突猛進してきて、80代までは歳のことを考えなかった。それが90を過ぎると五感は衰え、体はあちこち悪くなってきて。そこで初めて人生の終わりに来ていることに気がついた、ということです。
今回の本は、50年以上前から今日までに『婦人公論』に書いたものを集めたものです。『婦人公論』からエッセイの依頼を受けたのが、プロの作家としての私の第一歩でしてね。それが昭和40年ごろでしたかね。
その時から今日まで50年あまり『婦人公論』とおつきあいしてきたわけで、その50年の間に世間も変化し、私自身も変化してきました。その間のエッセイを年代順にまとめると時代の推移が見えて面白いかも、と思って、本を出してもらう気になったんです。

初エッセイは「悪妻」について
──芥川賞候補になった小説「ソクラテスの妻」がきっかけで初めてエッセイを依頼されたのは1963(昭和38)年。39歳だったこの頃は、佐藤さんの人生においてどのような時期でしたか。
売れない小説家でした(笑)。2度目の結婚をして娘が生まれ、夫の田畑麦彦も作家を目指していました。ちょうど、田畑の父が亡くなって、夫婦で売れない小説を書いていることができるくらい遺産をもらうという、結構な身の上でしたので、傍目にはのらくら夫婦に見えていたと思いますよ。いや実際のらくらでしたね、夫婦とも。その後でドカッと罰が下りましたけど。
わが家は同じような小説家志望の友人のたまり場のようになって、夕飯は私の家で食べるのが当たり前みたいに思ってる手合いがいたんですよ。のらくらの私の中にも眠っていた「主婦気質」というようなものが目覚めてきて、怒ってばかりという生活に。
それで書いたのが「ソクラテスの妻」です。あの作品によって私は、男を攻撃する女としての立場を確立したんです。確立ってのもヘンだけど(笑)。つまりは原稿注文が来るようになったってこと。
──メディアに「悪妻代表」と書かれた佐藤さん。初エッセイ「クサンチッペ党宣言」は、伝説的悪妻と名高いソクラテスの妻クサンチッペとご自身を例に、悪妻とは何かをユーモラスに書いたものでした。なぜ「悪妻」が注目されたのでしょうか。

初エッセイ「クサンチッペ党宣言」(『婦人公論』1963年8月号より)
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「われわれは堂々と悪妻の座にいればよいのです。自然のままのわれわれ自身でいればいいのです」
***
もともと「悪妻」というのは、男社会が一方的につくり出した概念です。男が勝手に女の理想像をつくって、そこから外れた女を悪妻と呼んだ。私が「悪妻たれ」と言い出したのは、当時としても珍しかったでしょうね。
日本の女性は、長い間、妻というものは夫に仕えるものだという考え方を妄信し従っていました。あのエッセイを書いたのは、女性たちのそんな考え方が変わってきたから。女が男の理想から外れはじめたんですね。
なぜ変わったかというと、戦争に負けたからでしょう。敗戦でそれまで私たちが教わってきた道徳というものが全部ひっくり返った。
戦後の男たちは疲れ果て、自信を失っていましたね。とにかく敗戦国ですから。食べるものはなし、仕事はなし、家はバラックで失業者だらけですよ。
そこで女たちが生きる力を発揮したわけです。女は子どもに食べさせるものがなければ、必死になってお芋やお米を手に入れようとする。戦後、主食は配給以外で買うと法律に触れました。だから女たちは鉄道で近在の農家へ行くのね。持ってきた着物だなんだを渡して機嫌を取り、わずかばかりのお米を分けてもらう。
帰りに駅で見張っている警察に没収されないよう、背負ったお米に毛糸の帽子をかぶせて赤ん坊に見せかけて運んだり、知恵を絞ってね。たくましいでしょう。そうやって一家を食べさせたのは女なんです。そのあたりから女は実力で強くなっていきました。
それで男と女の力関係というものは次第に変わっていったんですね。
苦しい経験も糧になる
──第2作は田畑氏との再婚を入り口に女性の人生の選択について記した「再婚自由化時代」(1963年)。このなかに「人生のつまずきは、さらに新しい人生へ向う一つの契機にほかならない」という一文があります。その後、佐藤さんは田畑氏の破産が原因で離婚、その借金を自ら返済するなどたくさんの苦難を越えてこられました。つまずきから立ち直るために必要なものとは何でしょうか。
「再婚自由化時代」(『婦人公論』1963年12月号より)
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「忍耐だけで成立っている結婚生活をしているよりは、別れた方がよい。別れて一人で無理な頑張りようをしているよりは再婚した方がよい」
***
そんなものありませんよ。だって、つまずいたら起き上がるしかないわけでしょう? 倒れっぱなしっていうことはないんですから。人間は自然に起き上がって次の人生に向かって歩き出すものなんです。
またつまずくかもしれませんよ。私みたいに深く考えない人は、つまずきが多いの(笑)。だけど、つまずきをマイナスだと思わなきゃいいだけの話。つまずきのない人生なんてあるわけないんですからね。
夫の会社の倒産で私が借金を肩代わりしたことも、つまずきとは思ってないですよ。あのとき私はそうしたかった。それだけのことです。

──田畑氏との離婚後のエッセイ「三人目の夫を求めます」(1971年)では「心の柔軟性を保つために(三度目の)結婚したい」と書いています。結婚は女性にとってどういうものと考えていらっしゃいますか。
「三度目」は文章の行きがかり上書いただけで、現実にはありませんよ(笑)。
ただ、柔軟性というのは経験の量から生まれますから、苦しい経験も大いにしたほうがいいと私は思っています。
娘が結婚するときに、「酒もタバコもやらん堅い男をムコにすれば、一生安泰」という親心は、間違ってると思うんですよ。結婚生活というのはそれまで思ってもいなかったようないろんな経験、つまりは修業をすることになりますから。
ひとりでいたって大変なことはありますよ。でも結婚したほうが、それまで思いもよらなかった他人の考えと衝突して、たくさんの経験をすることになる。
他人と生活を共にするってことは、経験のし甲斐があると私は思っていますね。どんなに大変な目に遭ったとしても。
「三人目の夫を求めます」(『婦人公論』1971年7月号より)
「一度、二度と経験したことによって、私は自信が出来た。二度と失敗せぬという自信ではない。失敗しても平気、という自信である」
50年の変化とは
──前書きには「それにしてもこの五十年間の日本の変りようはどうでしょう! 国の変化に伴って、日本人、男も女も老人も子供も変貌して来ました。同時にこの佐藤愛子も変化してします」とあります。50年の変化とはどういったものでしょうか
この世の中は、良くも悪くも変化するのが当たり前。現状よりもさらにいい暮らしを、と思えば当然状況を変化させようとする。しかし歳をとると変化に対応することが厄介になってくるから老人は変化を好みません。今の私がそうです。
この国が最も変化したのは、かつては精神性に重きを置いていた日本人が、こぞって物質的価値観になったことですね。
たとえば学校でイジメられている子どもがいる。昔の親はそれを聞いて「お前はその子の味方をしてイジメっ子と戦いなさい」といったものです。しかし今は「さわらぬ神にたたりなしという言葉があるからね。知らん顔してないとお前がイジメられるようになるかもよ」と教える。
50年前は古い日本人の精神性というものがまだいくらか残っていた。何が美徳か、美しい行いとは何かを子どもに教える大人がいました。でも今は美徳を教えないで、損得を教えるようになっていますね。
美徳とは何かって? いや、それについてしゃべり出すと、終わらなくなるからやめましょう。「君はヤバン人か」と昔、遠藤周作さんに言われたことがあるけれど、私はなんだか時代オクレの人間のようなんですね。
ですから、何かの相談を受けても「私の言うとおりにしたら、ろくでもない人生になりますよ」と断ったうえで答えています(笑)。まず損得ということは無視して生きてきました。これだけでももう、時代錯誤ですね。
佐藤愛子
さとう・あいこ
1923年大阪府生まれ。69年『戦いすんで日が暮れて』で直木賞、79年『幸福の絵』で女流文学賞、2000年『血脈』で菊池寛賞、15年『晩鐘』で紫式部文学賞を受賞。17年、旭日小綬章を受章。近著に『九十歳。何がめでたい』『冥界からの電話』など